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僕はこのコンサートにイザベル・ファウストを聴きに行ったはずなのだが、気がついたらベルトラン・ド・ビリーのファンになっていた。おそろしい。
+ + + ![]() 【2012年2月11日(土) 18:00~ NHKホール】 ●ドビュッシー:《牧神の午後への前奏曲》 ●プロコフィエフ:Vn協奏曲第1番ニ長調 op.19 ○バッハ:無伴奏Vnソナタ第3番ハ長調 BWV1005~ラルゴ →イザベル・ファウスト(Vn) ●シューベルト:交響曲第8番ハ長調 D944 ⇒ベルトラン・ド・ビリー/NHK交響楽団 僕の心をぐっと掴んだのは、ド・ビリーのきわめて安定して高品質な音楽的センス(なかんずくテンポと木管バランスに関する感覚)と、それを生かしていろいろな様式を巧みに捌いてしまう彼の職人技なのである。この指揮者がヨーロッパのあちこちで引っ張りだこな理由がやっとわかったということだ。 昨日の多くの聴衆はもしかしたらド・ビリーを「特徴がない」とか「何でも屋」と捉えたかもしれないが、本当の指揮のプロはああいう音楽を作るということを忘れちゃいけない。鬼才に異才、奇演に凄演、そんな音楽ばかりでは、僕は厭なのだ。 まことに勝手な想定だが、僕がドイツとかベルギーに住んでいるつましい商売人とか小役人だったら、余裕があるわけではない家計からお金を捻り出してでも、ド・ビリーのような指揮者が監督をやっているオケの会員になるし、自分の子どもにはド・ビリーのような音楽を日常的に聴いて育ってほしいと思うだろう。 そういうことです。 + + + 最初のドビュッシーから、木管のバランスの良好さに驚いた。N響ソロ管のなかで僕がもっとも信頼し尊敬しているのが神田さんのフルートなのだが、彼による導入から木管の緩やかなマーブル模様が拡がり、たいへん美しい。 それと同時に、風呂敷を広げすぎない「小体の美学」とも言うべきド・ビリーの手堅さに、感興がぶくぶくと湧くのであります。 プロコフィエフは、ホールが広すぎていかにもファウストの音が遠い。昨年の新日フィルとのブリテンほどには心に響かなかったのが無念。それでも第1楽章の澄み切ったフラジョレットや、甲虫のように光るスル・ポンティチェロ、第3楽章の夢幻的空間の出現など、いくつかのポイントはしっかりと感じ取れた。しかしもっと小さいホールで聴きたい。決定的に。 さてここでも、ド・ビリーの底堅いセンスがよくわかる。あくまで軽やかに。 後半のグレートは名演だったと言わざるを得ない。 フルトヴェングラーのグレートや、チェリビダッケのグレート、そういうどろどろしたシューベルトがお好みの方の琴線には全く触れないだろうが、明るい青空にクリスプなクラング塊がぷかぷかと浮いているような横方向のつくりは、20世紀浪漫でも、20世紀古楽でもない、独特の(あるいは1950年代のカラヤンにうり二つの!)センスに基づいている模様。 なるほどこれなら「小体なグレート」が実現される。第3楽章のトリオが極上な此岸的美しさを湛えているのも好いし、第4楽章のコーダで品の良いアッチェレランドをちゃんとかましてくれるのも花丸。ピリオドにあえなく呑み込まれてしまったと思われていたノイエザッハリヒカイトの正統的嫡流、なんて書いたら大げさだろうか? いやいや、ぜんぜん大げさじゃねーだろ。 このスタイルはノリントンの64倍くらい新鮮。そして256倍くらい上質。始めに話を戻すと、要は、僕はこのひとにN響の監督になってほしいっつーことです。
プロコ第5交響曲の最終楽章の、テクノアレンジ(初音ミク入り)を発見した。しかもちゃんと全曲。予想をはるかに上回る「しっくり」感にぎょっとしています。
機械的残酷と抒情の分裂というプロコフィエフの本質、その一部をこのクリップは確実に捉えている(ミクが何を歌っているか聴き取れないのも、フトゥリズムって感じでいーぜ)。プロコフィエフが1891年のロシア帝国ではなく1991年の日本国に生まれていたら、初音ミクを自在に操るニコ動の人気Pになっていたかもしれない。 これを聴きながら高速をすっ飛ばしたいが、確実に事故りそう。 この作者さんはほかに、第6交響曲第1楽章のテクノアレンジや、スキタイ組曲のプログレアレンジなどもUPしているが、いずれも素敵です。
ワイセンベルクも亡くなっている。
僕は彼の熱心なファンではないどころか、僕と彼の間に在ったのはたった一枚のアルバムでしかない。しかしその一枚が僕のなかで絶対的な位置を保っているわけだから、ワイセンベルクについて何も書かないなんて許されないよ。 + + + 【DGG/POCG7097】<ドビュッシー>●版画 ●組み合わされたアルペジオ ●ベルガマスク組曲 ●子供の領分 ●亜麻色の髪の乙女 ●喜びの島 ●レントより遅く ⇒アレクシス・ワイセンベルク(Pf) その一枚というのは、ワイセンベルクが1985年にDGへ録音したドビュッシー作品集です。 このアルバムは、僕のクラ歴のごく初期に、父親のライブラリからほとんど無理やり譲ってもらったものであると同時に、僕が初めて聴き込んだドビュッシーのピアノ作品集でもある。 刷り込みというのは恐ろしいもので、以来ミケランジェリもフランソワもクロスリーも、ワイセンベルクのように心に響くことがない。唯一モニク・アースが別のドアから優しく入り込んできたが、このことからしてもよくわかるのは、ワイセンベルクのドビュッシーがフォルムの強靭さ、しなやかさではなく硬度の点で、他のピアニストの追随を許さないのだろうということだ。 ケークウォークのクソ真面目なエッジ、きりりと冷えた金属線が交錯し林立する喜びの島。ここに萌える。これはドビュッシーの聴き方として間違ってるだろうか。間違ってるかもしれない。でもいいんだ。いつまでも、このアルバムで僕はワイセンベルクのことを覚えているだろう。
何度か書いているが、この数年、明るく美しくちょっと哀しい旋律に奇妙に惹かれる。ヨハン・シュトラウスやレハール、コルンゴルト、ワイルにコール・ポーターまで、昔は大して興味がなかった作曲家たちに心を揺すぶられてたまらない。
+ + + 【DGG/00289 479 0050】<LIVE AUS DER SEMPEROPER - The Lehár Gala from Dresden> ●《ジュディッタ》~ワルツ ●《ジュディッタ》第1幕~〈Freunde, das Leben ist lebenswert〉 ●《パガニーニ》第2幕~〈Liebe, du Himmel auf Erden〉 ●《ルクセンブルク伯爵》~間奏曲 ●《フリーデリケ》第1幕~〈Die Mädels sind nur zum Küssen da〉 ●《微笑みの国》第2幕~〈Wer hat die Liebe uns ins Herz gesenkt〉 ●《野ばら》 ●《パガニーニ》第3幕~〈Wer will heut Nacht mein Liebster sein〉 ●《パガニーニ》第2幕~〈Gern hab' ich die Frau'n geküsst〉 ●《パガニーニ》第2幕~〈Niemand liebt Dich so wie ich〉 ●《理想の夫》序曲 ●《エヴァ》第1幕~〈Wär es auch nichts als ein Augenblick〉 ●《ロシアの皇太子》第3幕~〈Warum hat jeder Frühling, ach nur einen Mai〉 ●《ジプシーの恋》第2幕~〈Zigeuner-Marsch: Endlich, Jószi, bist du hier〉 ●《ジプシーの祭り》~バレエのシーン ●《微笑みの国》第2幕~〈Dein ist mein ganzes Herz〉 ●《この世は美しい》第3幕~〈Ich bin verliebt〉 ●ヨハン・シュトラウス:《10人のポルカ》op.121 ●オスカー・シュトラウス:《Eine Frau, die weiss was sie will》~ 〈Warum soll eine Frau kein Verhältnis haben?〉 →アンゲラ・デノケ(S)、アナ・マリア・ラビン(S) ピョートル・ベチャーラ(ベチャラ)(T) →ドレスデン国立歌劇場合唱団 →クリスティアン・ティーレマン/ドレスデン国立歌劇場管弦楽団 このCDはタワレコで視聴して、一発で購入を決めた一枚である。 それにしても、このブログにティーレマンが登場するとはね!! ティーレマンはセルフブランディングが本当に巧い。最近彼がVPOを振って出したベートーヴェンなどは、店頭で掛かっているのを聴いて「オエーッ」って感じであるが(お好きな人、ごめんなさいね)、かつてのバレンボイム以上の上手な手腕で、ますます保守層を味方に付けていく。 ティーレマンの大時代的で粘度の高い音楽づくり、混濁を気にしない強烈な主旋律重視、メロディ原理主義は、レハールを当然のように燦然と輝かせる。シュターツカペレ・ドレスデンを豊満に、また傲然と鳴らして素敵だ。Ah, Heil Christian!! …はっ。毒にやられてる。 でも、そのような叫びが身体から湧き上がってきてしまうのだ。 ティーレマンが振りまく毒エロの頂点は、トラック6《微笑みの国》からの二重唱、そして続く《野ばら》かなと思う。ベチャーラとデノケのデュオは金襴緞子の趣き。甘みのある液体がぽた、ぽた、と滴り落ちるような、何とも言い表せないエロい音楽をさんざん聴かされてはこらえきれません。このようにしてあたしもティーレマンを翼賛することができて光栄でございます。 ことほど左様にレハールも佳いんだけど、最後の、たぶんアンコールで取り上げられたオスカー・シュトラウスも物凄いです。とても2011年の今とは思えない。1930年代のウィーンはこのような猛毒に満ちていたのであろう。
【1984年10月6日 シャンゼリゼ劇場】
<France Musique rend hommage à Gustav Leonhardt> ●デュパール:組曲第4番ロ短調 ●フォルクレ:組曲第1番ニ短調~la Laborde, la Forqueray, la Bellmont, la Portugaise ●コレッリ:《ラ・フォリア》 ●ウッチェッリーニ:? ●バルトロメオ・デ・セルマ:カンツォーナ ●フレスコバルディ:Vcと通奏低音のためのカンツォーナ ●フォンターナ:ソナタ第2番 ●ルイジ・ロッシ:トッカータ ●カステッロ:ソナタ第2番 ⇒フランス・ブリュッヘン(Rec) アンナー・ビルスマ(Vc) グスタフ・レオンハルト(Cem) (2012年1月29日/France Musique オンデマンド) フランス国営放送から、レオンハルト追悼企画として28年前のライヴ音源が蔵出しになった。バロックのソロソナタ編成を、ステージと客席に段差のないホールの最前列に座って聴くとちょうどこんな感じですね。生々しい音質が嬉しい。 + + + 番組表だとテキトーな記述なんで、聞き取れた範囲で曲目も書いた。ご覧のように夢のような豪華なプログラムなんだけど、最初の1曲目はシャルル・デュパール Charles Dieupart (1667?-1740?) の第4組曲です。 ねばねばしたアルマンドの歩みに、また、烈しいジーグの跳躍に(本当に烈しいのです…)、われわれが彼の的確な通奏低音魂を聴かなくてどうする。ブリュッヘンは笛吹きキャリアの最後期でも相変わらず獅子王だし、ビルスマも思いっきり見得を張るし。名曲の名演奏としか言いようがない。 続いてフォルクレのニ短調の組曲からの抜粋を、レオンハルトのソロで。 もしレオンハルトのことを「無味乾燥な教条主義者」だと思っている方がおられたら、この演奏だけでも聴いていただかなければ困る。このフォルクレを聴いてもなおそのように思われるなら、僕が諦めることにしよう。 前に「フォルクレは女神転生」と書いたことがあるけれど、その表現を完全に満たす演奏が実現されている。驚いた。悪魔のような演奏(魔神クリシュナ LV57…)。チェンバロが破滅的に囂囂と鳴っている。センペやアンタイはお師匠さんのこういう側面をしっかり受け継いでいるんだな。 いっぽう、コレッリ《ラ・フォリア》には、脂が乗りきったおっさんたちのダンディズムが平らかに薫る。彼らの若いころの録音と違って、スリルではなくコレッリのコレッリ性をこそ追求してる、というか。 ブリュッヘンとビルスマに見せ場がたくさんあるのは変わりないので、レオンハルトは完璧な通奏低音者に徹することにしているようだ。 + + + 続く17世紀作品たちだが、上の3曲から続く一夜のコンサートなのかどうか、自信がない。録音状態もまちまちなので、もしかしたら別日程を組み合わせて放送してるのかもしれん(フランス語よくわからないんで…)。 こちらのリンクから、たぶん来月17日までオンデマンドで聴くことができる。
本業のピークが始まろうとしている。そして今年のピークはいつもより長い。やべーうひょーぉっという綱渡りがじりじり続くということである。厭だねえ。
こんなときは書きためておいたエントリを放出。ちょっと前のことですが。 + + + 個人的に江戸琳派に強い親近感を感じること、また、はろるどさんや藝術に造詣の深い友人が絶賛していたので、是非もなく出掛けた。千葉市美術館は初体験。東京都心からは一定の距離、千葉駅からも一定の距離、さらに雨の日曜の夕方なれば、ミーハーなおばはん連や知的デートを演出したいカポーなどもごく少なく、視たい人同士が作り出す良好な環境が保たれて善き哉。(最近の展覧会ってなんであんなに混んでるの?) かねがね自分の中では、酒井抱一と彼の弟子筋にメンデルスゾーン的天才が重なっていた(光琳萌えもバッハ萌えと重なることだし)。あの強く自己完結した清潔感と瀟洒、意志のある精緻さ、空間支配の洗練された方法は、フェリックスぼっちゃまの音楽に相通じる。 しかし、フェリックスぼっちゃまにあって抱一ぼっちゃまにないものがひとつだけある、それが、作り手と藝術のデーモンとの交歓、みたいなものじゃないかと思ってたんです。メンデルスゾーンの複数の曲にはやっぱり確実にそういうところがある一方で、酒井抱一の作品ではそういうものがいまだに見つけられていなかった。 でも今回の大回顧展で、抱一の屏風の中に、背筋にゾッとくるものを容易に、そしていくつも発見することができた。さすが「全貌」である。 + + + ◆《四季花鳥図屏風》(六曲一双・文化十三年(1816)・陽明文庫蔵) ![]() また、右隻「春」の区画には、クリムトの《人生は戦いなり(黄金の騎士)》の下生えが、より洗練されたかたちで存在している。すなわち強靱な金地、モスグリーンのフラットな台、ワラビにツクシ、タンポポ、くっきりと色づく朱鷺色の花弁…。 ◆《波図屏風》(二曲一双・文政後期・MIHO MUSEUM蔵) →抱一にはもうひとつ、有名な《波図屏風》があるらしいが、そっちではない。こちらは高さ45センチ、幅は一双で155センチと親密な大きさだが、その内容が物凄い。ここに描いてある青黒い波の不敵な力強さはいったい何だろう。中期のベートーヴェンのような、力ある者の正当な傲慢さを感じさせる。 ◆《月に秋草図屏風》(二曲一双・文政八年(1825)・個人蔵) ![]() + + + 同時に、ほんのりとした幸福感を与える小品が多いのもメンデルスゾーンと同じ。僕が抱一に惹かれるのは、この小さな幸福感に吸い寄せられるからでもある。 ◆《河豚蘿蔔図》(一幅・個人蔵) →画像がご用意できないのが実に悔しい。 ひっくり返って腹を出したフグと、その脇にぼて…と寝そべった大根。描画も彩色もほんとうに最小限にとどめた結果、円っこさだけが要素として残った。この円っこい幸福感は絶大である。心から所有欲をかき立てられたもののひとつ。 ◆《州浜に松・鶴亀図》(三幅・寛政後期・個人蔵) →中央が松、左に亀、右に鶴。いやーめでたいね。汀に根っこを、空に枝を伸ばす、松の舞踊的な表現。キュートな亀にスマートな鶴。 ◆《麦穂菜花図》(双幅・静嘉堂文庫美術館蔵・重要美術品) →麦の穂が前面と背面の二層で描かれている。春霞にぼやける背面層と、空のヒバリ、そしてちょっと無生物的なほど規則正しい、青い麦の穂。春らしい雑駁なにおいが漂ってきそうな強力な空間支配ですね。 + + + 見逃した方は、春になったら京都の細見美術館へ。巡回してます。 近年の大河ドラマのなかではかなり楽しみにしていた部類で、現に、期待は裏切られていない。躍動感があるうえに政治劇らしい禍々しさにも欠けず、何より真摯だ。昨年同じ時間に同じチャンネルで放送されていた、歴史お笑いファンタジー「江」などとはずいぶん違っている。そして音楽が良いのも当然、満足感に結びついているわけです。 吉松隆の無国籍的抒情が、どこの国とも知れない900年前の日本の遠さをよく下支えしているように思うんだよね。OPで(たぶん舘野泉が)弾いている「今様」のメロディは、劇中では吹石一恵と松田聖子が口ずさんでいることもあってすでにしっかり耳に残っているし、怜楽舎の演奏する吉松邦楽に乗って松山ケンイチが舞うシーンからも、独特の感覚を想起させられた。 (※久しぶりに吉松のFg協奏曲《一角獣回路》を引っ張り出して聴いてる。) ところで、どこかの県知事が「画面が汚い」と公に発言したことにはかなり驚いた。こういう愚昧な感覚の大人もいるんだなあ。あたしは演出を演出と理解できません!って市民に向かって大告白してるわけですから。幼稚な審美眼のまま年老いてしまうってどういう気持ちなんだろうね。気づかないから幸福なのかな。 + + + さてもこのあたりの時代について、自分は何も知らないのである。悔しいので年末から「平家物語」を読んでいる。 といっても残念ながら原文を読んでいく能力はないので、中山義秀訳(河出文庫)上中下を入手してるんだけど、中山の訳文体が平明で温かく、たいへん読みやすい。すいすいと進んでゆける。このひとは1938年の芥川賞作家ということだ。 「平家物語」は平清盛が入道相国と呼ばれるようになってから、すなわち彼の晩年の、後白河院や平家以外の貴族に対する悪逆非道ぶりを告発し、平家が滅亡に向かう様子が内容の中心だけど、大河ドラマ「平清盛」はそこに至るまでの長い道のりを描いていくようなので、順序は逆さま。 でも「平家物語」ですでに死んで(≒清盛に殺されて)怨霊になって登場するような人びとが、大河ドラマでは生きて登場するので楽しかったりもする。このへんはちゃんと補完してますね。中山義秀訳、おすすめです。 ![]() 出張先でレオンハルトの訃報を知ることになった。 ああ。 昨年12月の演奏活動引退の報せに接し、文章を書こうとしても思うように書けないでいたところへこの訃報であった。彼は死期を悟っていたのかも知れない。 およそバロクーのなかでレオンハルトに導かれなかった者がいるだろうか(硬質なスタイルはときに反発をも呼んだが、それはただ、父親的存在への反感だったのではなかったか)。偉大な藝術家を僕らは永遠に喪った。 + + + 2004年にソロチェンバロを、2011年にオルガンを、それぞれ一度だけ聴くことができたのは僕の大切な経験だ。特に、明治学院大学チャペルのオルガンを弾くレオンハルトの姿と、形づくられてゆく音楽の強度、空気の震動や湿度を忘れることはないだろう。 叶わなかったこともある。一度でよいから、レオンハルトが通奏低音を弾くアンサンブルを生で聴いてみたかったんだ。 彼がブリュッヘンやビルスマと録れたテレマンのトリオ・ソナタを、今ホテルの部屋でぼんやり聴いている。そろそろ支度をしなきゃいけないけれど。iPodに詰めた僕の夢だった。 R.I.P. ![]() →1月8日(日)、初詣。今年は深川八幡こと富岡八幡宮に初めて行ってみたのである。門前仲町から歩いて下町らしさを堪能。なかなか混雑してる。 リーマン雑兵として八幡神に心の内のさまざまのことをお願いして、おみくじを引いてみると数年ぶりで大吉を授かった。添えられた歌は、 海原に船出をせんと月待てば潮も満ちきぬいざ漕ぎ出でんとのことであった。気分の良いときの白樺派って感じだね(笑) ![]() →現代のリーマン雑兵は甘味も食す。白玉ぜんざいの奥行きのないフラットな甘みが、冷えた体に染み渡ります。 夜は下町特集らしくちゃんこでも…と思っていたら、目当てのお店が予約でいっぱい。一般的にちゃんこ屋さんはホスピタリティに欠けるところが多く(店員が不機嫌とかさ)、飛び込みで別のお店に行って失望させられてはかなわないから、結局、銀座に移動しておでんを食べることに。大根ほくほく。 身も心も温まった一日でした。おお、まるでフツーのブログっぽい! 【2012年1月7日(土) 18:00~ サントリーホール】<レスピーギ> ●交響詩《ローマの噴水》 ●交響詩《ローマの松》 ●交響詩《ローマの祭り》 ⇒飯森範親/東京交響楽団 面白い。とっても面白いので参加してみた。 どうだったかって? 物凄く面白い経験だった。たった525円でこの面白さ。たまらないなあ。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ノートPCを抱えた事務局の方が映って「中継盛り上がってますよ~。叩かれてなんぼのニコ動なのに凄い!」との弁が聞こえる(笑) 最後は飯森氏がカメラに向かって「これが東京交響楽団です。北海道から、沖縄から、九州から、ぜひお越しください」との完璧なコメントで〆。 + + + 演奏もね。よかったんですよ。 まず、最懸案事項であった「音質」。これがFMくらいの、全然フツーに聴けるレベルだったのが大きいなあ。自然なサントリーホールって感じで。強奏部が多少マスクされるくらいならガマンできる(自分はニコ動のプレミアム会員なんだけど、一般会員でも同じ環境だったのかどうかちょっと気になる)。 これまでに聴いた感じでは飯森氏とはなんとなく相性が悪かったのだけども、〈ジャニコロの松〉や〈五十年祭〉〈十月祭〉で聴かせたスマートで透明な響き、〈主顕祭〉でもぐちゃぐちゃにさせないリズム感覚がたいへん好印象だった。 それから東響の音色の佳いこと!《噴水》こそ、ちょっとおとそ気分でぼんやりしてたけれど、例の「プチ重厚」路線がしっかりオケの音として息づいていて、〈チルチェンセス〉がところどころ(本当に)シェーンベルクに聴こえたことを忘れないうちに書いておきたい。 + + + このクオリティならば、またすぐにでもニコ動での中継を体験したい。あるいは525円が1050円になっても全然構わないから。 実際に足を運んで身体で空気を感じるライヴとは、もちろん違う。面白さのベクトルがまったく違う、別の新しいエンターテインメントという感じがする(ワンコインでも、ちゃんとお金を払ってるし)。自分の知ってるホール・知ってるオケ・知ってる空気感が、電子の海を通して伝わってくる感覚の楽しみ。BPOのデジタルコンサートホールをドイツ国内で体験するとこういう気分だったのかな。 むろん、そこへ加わるのが「実況」という特異な楽しみ。これはニコニコ動画ならではの、日本が世界に誇る面白い文化のひとつだろう。この謎の一体感が、客席に座って感じる空気振動と等価交換できる価値を持つんじゃないかと今は思うのだ。 コメント欄にはこれからに関するヒントがいくつもあった。ご紹介。 ・東京以外の地方都市のオケこそやってみるべき。 ・中継するなら歌舞伎や文楽もありだろう。 ・自分は初心者だが、コメント欄でいろいろ教えてもらえてありがたい。 ・プログラムはPDF化してDLできるようにしてほしい。 これが2012年のライヴ聴き初め。数年前ですら、こんなスタイルが実現し得るとは想像できなかった。今年も楽しい年になりそうね。
これまででもっともよく寝たお正月となった。寝過ぎて腰も背中も痛い。そして発熱は治まったものの、徳永英明ボイス→いかりや長介ボイスにランクアップ。
+ + + ニューイヤーコンサートすら見ていなかったので、クラ系なことがしたいようと思い、超久々に『レコード芸術』1月号を購入してみたよ。表紙は誰ですか。ジンマンですか。ブラームスとシューベルトに関するインタビューが面白かったなあ。こういうのはネット上には転がってない情報なんだよなあ。 宇野功芳によるシャイーのベト全評が凄いと一部で評判になっていたけど、彼の書き方のスタイルの善いところがはっきり出ていた。すなわち、たとえ全体が悪くても、彼が好いと判断した部分はちゃんと切り離して評価するという点(第5には推薦印が!)。彼のこういうところはさっぱりしていて好きなんです。 それにしてもF田某の文章は相変わらず。マス目を演奏者の名前で埋める悪癖は全然変わっていない。一度、スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ/ザールブリュッケン・カイザースラウテルン・ドイツ放送フィルハーモニー管弦楽団のレビューを書かせてみたい。 あれは読者に「あれくらいならオレでも書ける」と思わせて「どれどれ、今月号はどれだけしょうもないかのう」と毎号買わせ続けるために、編集部が組んだスクリプトなんじゃないかという気さえしてくるね。 「海外盤REVIEW」が数年前に比べて拡充、しかも「月評」の直後に配置されていた。久々にじっくり読んでみると、もちろん内容の出来不出来にばらつきはあるけれど、ネット上の優れたレヴューのプロ版、という感じでポジティヴな既視感。これが安定的に読めるならまた購読してもいいかなあ。 + + + 吉田秀和「之を楽しむ者に如かず」。 何しろ私はこのごろ気分が晴れない日がよくあるので、音楽をきいてもせっかく音楽そのものから楽しい便りのようなものが発信されてきても、私の胸のどこかにつかえてしまって、ちゃんと届かない思いをすることが多いのだが、グリュミオーとハスキルのような人たちが《春のソナタ》をやさしくなだらかに歌ってくれると、「もう少し辛抱したら、また、いいこともあるよ」と慰めてくれるような気分になる。この一節を読んで本当に愕然としてしまった。なんと軽やかで重い文章だろう。98歳のペン先から―。どうかこれからもお元気で。
皆さま、明けましておめでとうございます。旧年中は拙ブログにお付き合いくださり、まことにありがとうございました。本年もよろしくお願いいたします。
…とまあ普通にご挨拶したものの、実は大みそかから熱を出して臥せっております(この文章も布団の中でぽちぽち携帯を打って書いてる)。こんな年もあろう。。 + + + 今年は北日本の日本海側としては珍しく、初日の出を拝むことができたのであった。今日一日はそれでよいものとする。 【ALIAVOX/AVSA9882AB】<L'orchestre De Louis XV|ラモー> ●《優雅なインドの国々》 ●《ナイス》 ●《ゾロアストル》 ●《ボレアド》 ⇒ジョルディ・サヴァール/ ル・コンセール・デ・ナシオン 近来のラモーのなかでは最強のヒット。これを聴いてラモーを好きにならない人がいるとは思えない。僕がまず初めに薦めたい「はじめてラモー」が更新された。 前々から、ラヴェルに真っ直ぐつながるようなラモー演奏がないもんかなあ、と思ってたんだよね。作り物っぽくて、感傷が分かちがたく混入していて、それでいて退屈しのぎに羽虫を引き裂くような無邪気さに溢れている演奏はないかと。(※オネゲルにつながるラモーとしてのブリュッヘンの演奏はいっぽう、その真摯さと性質の猛々しさから、いまだに物凄い価値を持ち続けているんだけども。) + + + 一般的に快楽派ラモーといえばミンコフスキだけど、アタックの強さや太鼓ばんばんに立脚しているようなところもあり、サヴァールの、時に緩慢で、堕落的で、音楽が停止しているような局面もある、本当のエロティシズム演奏の前ではすでに物足りなくなってしまったと言ってよいだろう(ここで演奏されている《ボレアド》のアントレなど甘美の極致である)。 要は、「快楽的演奏」の快楽的本質は、ゆったりしたナンバーや爽やかなナンバーがどれくらい耽美であるかで計ることができるんじゃないかと思うんだよね。このディスクの《ナイス》の序曲なんて、序曲のくせに目がとろーんとしてるからねえ。いったいこれから何が始まるのだろうか(笑) むろんこれは酩酊が売りの演奏ではない。引き締めるところはバッハのコンチェルトのようにトゥッティをきりりと引き締めて、伊達である。 《優雅なインド》のシャコンヌなどまずはたいへん素敵だ。いつまでも終わらないでほしいと願うシャコンヌ萌え・パッサカリア萌えのツボをよく知っている。また、もともとダイナミックで格好いいナンバーの多い《ゾロアストル》は、儀礼用甲冑のようなブリリアントささえ感じさせるわけです。 しかし、そんな《ゾロアストル》でも、第1コンセールの第2楽章〈リヴリ〉と共通の旋律を持つところのガヴォットとロンドーでは、儀礼用甲冑をさらりと脱ぎ捨ててコンセールのあの親密な雰囲気を想起させつつ、うっとりさせるような躯を投げ出している。まことにエロいというほかない。 + + + そもそもラモーの場合は、ラモー自身が無節操で快楽的な音楽を書いているものだから、サヴァールのこのやり口はリュリ以上に完璧にフィットしちゃう。ゆえにこの伝説的完成度。ちなみにコンチェルティーノを務めるのはマンフレート・クレーマーとエンリコ・オノフリ、リッカルド・ミナシ…。聴き逃す手はないのです。 【2011年12月22日(木) 19:00~ 東京文化会館小ホール】<フランスハープ音楽の夕べ> ●タイユフェール:Hpソナタ ●グランジャニー:《子どもの時間》 ●コンスタン:《ハルパリュケ》 ●ルニエ:『告げ口心臓』による幻想的バラード ●カプレ:『赤死病の仮面』による幻想的物語 ●フランセ:五重奏曲第1番 ●ラヴェル:序奏とアレグロ ○アンコール ドビュッシー:アラベスク第1番 →長尾春花(Vn)、山本美樹子(Vn)、松村早紀(Va)、山本直輝(Vc) 窪田恵美(Fl)、前田優紀(Cl) ⇒景山梨乃(Hp) 佳いプログラムだとは思いませんか皆さん。 忘年会の特異日みたいなこの木曜日、幸いにして?何の予定もなかったので、急に決めて当日券で入りに行ったのだった。何しろ曲目が素敵だもんね。 ハープのリサイタルは、実は今回が初体験である。だから、ホールのどのへんに座ったらよいかもわからない。この楽器の正面はどこにあたるのか? で、数年分くらいのハープ分を一気に摂取して、あらためて、ハープってのは(良い意味でも悪い意味でも)独立して閉じた楽器だなあというのを実感することになる。 + + + 前半のソロ作品群では、この楽器が一台で行なう発音や表現する物事の幅広さを思い知らされた。考えてみれば、ハープはギターやリュート以上に複雑な角度から弦を弾くことができるわけだから、アーティキュレーションはそれこそ無限だよね。ショスタコーヴィチの交響曲で聴くチェレスタとかシロフォンみたいなハープの発音って、あれだけが「ハープらしい音」のカウンターパートじゃないんすね。 その意味で、マリウス・コンスタン《ハルパリュケ》が表現するイメージが興味深い。つまり空疎さや残虐、淫蕩に放心といったもの。こういう音楽では、ハープという楽器のくどいデザインが一周回ってよく活き、パフォーマンス自体がコンセプチュアルなものと化す。その好例だろうな。 あるいは、ルニエやカプレの「ポー音楽」。恐ろしく繊細な描写能力。 そして後半のアンサンブル作品群では、ハープの音像が擦弦楽器の音のエッジに負けて簡単に「最背面」に回ってしまう、この楽器特有の圧しの弱さが露呈していたのだった。圧しの弱さを生かして楽曲の壁紙にするのがもっとも平凡な解決とするならば(フランセ…)、しかし、ラヴェルの天才は平凡の愚を犯さない。 ラヴェルの序奏とアレグロ。 小生ですね、この曲をようやく生で聴けてかなりテンションが上がっているんですが、弦楽四重奏にフルートとクラリネットまでいる、この鮮やかな音響体に、さらにハープまで加えてバランスが崩れないどころか、ほとんどオーケストラみたいな音がゆら…と立ちのぼっているのは驚き以外の何ものでもないですよ。ラヴェルの天才を聴かされると、カプレやフランセはすっかりかすんでしまう。 景山さんのハープはこの日いちばんの冴えを見せていたように感じる。 ハープの上手下手ってあまりよくわからないんだけども、「序奏」のおしまいにカデンツァのように配置されたハープの見せ場では、景山さんの撥弦がガラスのように硬質になり、「アレグロ」が始まってもエッジで競り負けない。むろんラヴェルがそのように設計している部分も大きいだろうが、音大生らしく急にテンションを上げたストリングス4本を向こうに回して、堂々と渡り合っている。 1990年生まれの景山さんはこれから、吉野直子さんや篠崎史子のようにハープ界を背負って立つ人材に育っていくのだろう。 + + + 開演前にホワイエで飲んだ生ビールが奇妙に美味かった。疲れているな。
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