【DHM/88697 281822-1】●ドゥランテ:マニフィカト
●アストルガ:スターバト・マーテル
●ペルゴレージ:《主よ、あなたに告白します》
⇒トーマス・ヘンゲルブロック/
バルタザール・ノイマン合唱団
フライブルク・バロック・オーケストラ
年頭に申し上げたように、久しぶりにイタリア・バロックの波が来ている。いよいよ本業がシーズンに突入したために、土日さえ削り取られながらの毎日ではありますが、そうなればますます、日々の慰めは大切だ。
ただ、イタリア・バロックと言っても僕の場合は中後期のことなので、相変わらずモンテヴェルディとかウッチェッリーニにはアプローチできていない。DHM50周年箱を開けて、親父スカルラッティの《ヨハネ受難曲》を聴いてみたのだが、様式が古っぽくてすぐにSTOPボタンを押してしまう。
その点、ナポリ楽派の皆さんの作品はいずれも底抜けに後期。モーツァルトの元ネタのひとつとして、ナポリ楽派はもう少し広く聴かれていいと思うんだよね。
このCDだって、ジャケットがマリアさまでこういうテキストの宗教作品が並んでいるから、残念ながらいかにもアピールが弱い。でも実際に聴いてみれば、それは華美な様式でブイブイ言わせたナポリ楽派の作品であるから、どの作品も能天気な通奏低音を土台にした肯定的な旋律美に溢れています。そして信頼のヘンゲルブロック/FBOブランド。
ドゥランテはナポリのボスとして、ロッシーニの雛型とでも言えるような直線的アレグロを形にしてしまっている。イタリア・オペラを老後の楽しみに取ってある僕としては、どうやらここに登山口のひとつがありそうだということをメモしておかなければならない。
アストルガはちょっと湿っぽいけど、しかしながらここではあのペルゴレージでさえ、主よ、あなたに告白しますが、告白の内容をすっかり忘れてしまったのでまた明日来ますあっそこのお姉さんボクとお茶しませんか、といった軽い調子で世のスタバファンを怒らせるに十分。
【2010年1月30日(土)18:00~ ミューザ川崎】●リスト:Pf協奏曲第1番変ホ長調
○ショパン/リスト:17の歌曲
~第12番《私の愛しき人》
→ベンジャミン・グローヴナー(Pf)
●マーラー/クック:交響曲第10番(第3稿第2版)
⇒飯森範親/東京交響楽団
マーラーイヤーの第一歩は第10交響曲で!
…と思って威勢よく踏み出したのです。
でも、第一歩を踏み外して大怪我。あーあ。
まずは本題の前に、前半のリスト。1992年生まれグローヴナーくんのピアノは、青少年らしい自然な衒いが素敵だった。たぶんこの曲ってそういう曲じゃんね。はしゃぎ過ぎたり老成しすぎたりする「若者」たちの中で。
+ + +
で、本題。第1楽章の全体と、第5楽章の最後はよかった。
クック版を隅から隅まで知悉しているマラヲタではないから、詳しいことはよくわからんけど、少なくともこの両端の楽章では、何の小細工も弄さずに嫋々とメロディを歌い上げる作戦がかなり功を奏していたと思う。
特に第1楽章のコラール絶叫は響きが澄んでいてとても美しかったです。が。
真ん中の第2、3、4楽章は、ちょっと弁護のしようがない。あれほど縦の線が破綻していて、それをお客に聴かせてお金を取ろうというのだろうか?プロでしょう?
主旋律への愛は飯森センセの指揮ぶりから大変よく伝わってまいりましたが、コンマス高木氏による決死の統率が何度も見られ聴かれたのは、なかなか辛かった。センセが指揮する公演のチケットは、よほどのことがない限りもう二度と買わないことにしよう。感動した方、ごめんなさいね。
ブラヴォ飛び交う終演後、拍手するのももったいなくてすぐにホールを飛び出すと、ピアス光らす少年たちがぞろりぞろりとたむろする、川崎西口インフェルノ。

1月初めの3連休。南関東は実に天気が良かった。
冬の南関東はどうしてこんなに天気が良いのだろうか。ネイティヴ南関東住民たちはこれが祝福された晴れであることを忘れないでほしい。そんな、僕の中でぐずぐず発酵する裏日本メンタリティを引き連れて熱海に向かうことにした。お一人サマ熱海は罰ゲームみたいね。でも気にしないね。
つまり、MOA美術館にはずいぶん昔から一度行ってみたくて、手元に招待券が舞い込んだからにはこの予定のない冬の晴れを活かさないわけにはいかなかったのです。
タクシーを降りて(新春贅沢)、噂どおりのメガロマニアックな建築に苦笑いしつつ入館する。熱海らしく喧しい家族連れも居はするものの、喧しい集団というのはスタスタ歩いていってしまうケースが多いから、ほとんどの瞬間において、そこは見物人と展示物がほぼ同数という閑かな空間に保たれていました。美術館はこれくらいがちょうどいいスよ。
◆1. 尾形光琳 《紅白梅図屏風》(18世紀) [国宝]
どんなに大規模な琳派の展覧会でも、この国宝が熱海から呼ばれて展示されることはないらしい。年間に浴びせてよい光量が決まっているらしいとか、そんな噂もある。
幸いお客さんもそんなに多くなかったから、これの前に置かれたソファに座って20分くらいじっと視ていた。じっと視ていると、左隻にはもちろん中央のV字の枝、右隻にも幹と河岸によるV字の構図が見えてきて、一見すると変な画面なのになぜかこの作品から湧き出てくる安定感のゆえんを感じた次第。vv。
クリムトがインスパイアされたらしい波紋は、上の画像でははっきりと見えてしまっていますが、実物の展示状態ではよほど近寄らなければ窺えない。川の色彩も想像していた濃紺ではなく、濁った黒に見える。この状態では金黒ギャップの鮮やかさが増しているのだから面白い。形のある藝術にあっては「展示」が、音楽における「演奏」に匹敵するわけですな。
◆2. 酒井抱一 《雪月花図》(19世紀) [重要美術品]
で、光琳のパワーを浴びた後の順路には、巧い具合に抱一の三幅が掛かっています。何も知らない鑑賞者に襲いかかる光琳の梅モンスター…それとは一線を画す優美なミクロコスモスこそ、抱一の醍醐味なのだろうと思った。
しかし、優美の裏地に淫靡が隠れていそうだぞというのは衆目の一致するところで、、か細い桜の枝ぶりや、月の円みや、松の枝からコンデンスミルク状にたらりと落ちかかる雪に、何も思ってはいけないということもないだろう。
◆3. 伝 銭選 《花籠図》(13世紀)
一見すると奥行きもないし画面も小さいし、地味な作品なのだが、よぅく視ると、満杯に盛られた花に籠が食い込んでいる様子がかなり細密に、マニアックに描写されている。13世紀ボンデージ。今日のエントリにはエロ系のスパムTBがいっぱい飛んできそうですね。(※ちなみに英雄交響曲について書くと、エロイカの「エロ」に反応して飛んでくる。彼らは敏感だ。)
◆4. 唐物箆目肩衝茶入 大名物(13~14世紀)
こんなにでっかい茶入があるんだ!!高9.8cm、口径4.9cm、胴径8.9cm、底径5.0cmであるから、350mlのアルミ缶を横方向に思い切りぶくりと太らせたような存在感。あるいはその紫褐色の照りから、加茂茄子も連想しやすい。
そのユーモラスさの中に、右上から左下に走るヘラの痕がナチュラルなアクセントになって可愛らしさが増幅している(もしヘラ目がなかったらただの鈍重になってしまうところだろう)。
+ + +
展示室を出ると、冬の午後に光る相模灘が眼前にあった。
【2010年1月16日(土) 16:30~ シネスイッチ銀座】<2009年 仏(原題"COCO CHANEL&IGOR STRAVINSKY")>
→アナ・ムグラリス(ココ・シャネル)
マッツ・ミケルセン(イーゴリ・ストラヴィンスキー)
グリゴリイ・マヌコフ(セルゲイ・ディアギレフ)
マレク・コサコフスキ(ヴァーツラフ・ニジンスキー)
ジェローム・ピルマン(ピエール・モントゥー)ほか
⇒ヤン・クーネン(監督)
舞台は1920年のパリ。一流デザイナーの地位を手にしながら、初めて心から愛した男を事故で亡くし、悲しみにくれるココ・シャネル。天才音楽家でありながら、「春の祭典」初演を酷評され、悲観にくれるイーゴリ・ストラヴィンスキー。そんな2人が出会い、たちまち恋に落ちていく―。というストーリー。クラヲタ的には、1920年のハルサイ再演のために改訂作業を行なっている途中のストラヴィンスキー、と書いたらいいか。
妻子あるストラヴィンスキーだが、2人はお互いを刺激し、高め合い、心を解放し、悲しみさえも活力にかえていった。そしてお互いの中に眠っていた新たな創造力を、次々と開花させていくのだった。初めての香水創りに魂を注ぐシャネルと、「春の祭典」再演に命を賭けるストラヴィンスキー。秘められた恋の行方は―。
昨秋の「クララ・シューマン 愛の協奏曲」が記憶に(特にロベルト錯乱シーンが生々しく)残っているところですが、今度の「シャネル&ストラヴィンスキー」は、はっきり言って、よかった。
まず、徹頭徹尾、装飾的に仕上がっている作品だというのがポイント。
服飾デザインとクラシック音楽という、一般的にはマニアックな世界のお話なのに説明口調の部分がほとんどないし、むしろ観客が想像する余白がたっぷりと取られている。そのために枠組みは重厚なのに足腰の運びが軽いんだな。だから、説明される映画が好きな人にはこれは絶対物足りなく感じられるだろうし、決して万人受けはしないと思う。
それから、その点にも関わるけども、シャネルにもストラヴィンスキーにも寄りすぎていない脚本のバランスが見事。
完全な3人称とまでは言わないけども、シャネルの視点もストラヴィンスキーの視点も不完全で、2人の考えている内容が明確に提示されることはあまりない。(←それでもイーゴリの行動がわかり易いのは僕が男子だから?) しかし見終えた後にトイレに行ったら、すれ違った2人組の女子が「シャネルってマジめんどくさい女ぁ!」って言ってたから、女子的にもココは謎なのか。それも謎。
+ + +
以下、鑑賞後に同行者と話し合った内容及び個人的補足を箇条書く。
■冒頭の唐草模様エフェクトがカコイイ。
■モントゥー似過ぎ!!!!!鼻血出そう!!
■ハルサイ初演のシーンは極めてよくできていると思った。クラヲタならこのシーンだけでもこの映画を見る価値があるだろう。(演奏はラトル/BPOなのかしら?巧すぎるので演奏のリアリティはない。) 怒って席を立つサンサーンスを探したが見つけられず。
■ココもイーゴリもカラダがきれいだなあ。R-18ながらきれいすぎて装飾化。
■エレーナ・モロゾヴァ演ずるエカチェリーナ・ストラヴィンスキーはホラー寸前。シャネルに告発文を渡して別荘を去っていくときの演技はなかなかのものです。
■スリマ発見。
■秘書面接と称して男の子を裸にしているディアギレフが可笑しい。
■赤ワインうまそう。
■ストラヴィンスキーが自らタクトを取ってハルサイ再演を行なうラストシーン。その一歩手前で、ストラヴィンスキーはニューヨーク、シャネルはホテル・リッツと、最晩年の老いた2人の様子と彼らが過ごした場所のカットが挿入される。これはどうしてだろう。
「我を忘れて愛し合った瞬間を見ていた観客に、それも人生の僅かな一部分だったにすぎない、ということを客観的に感じさせるためではないか」というのが同行者の説。僕は考えたけども理由がわからなかった。
■タイトルロールで席を立ったらダメダヨ。
+ + +
これ、原作があるんすね。amazonでその商品情報を見てたら
天才音楽家でありながら、7年前のニンジンスキー振付の「春の祭典」初演を酷評され、悲嘆にくれるイゴール・ストラヴィンスキー。って書いてあるんだなあ。我喜欢胡萝卜!
【disk UNION 吉祥寺店】
1 W.F.バッハ:12のポロネーズ、クラヴサンのためのソナタ(Virgin) *ルセ
2 シューマン:ObとPfのための作品集(PHILIPS) *ホリガー+ブレンデル
3 ショスタコーヴィチ:Vn協奏曲#1(Live Classics) *カガン+ラザレフ
4 ショスタコーヴィチ:交響曲#15(ERATO) *ザンデルリング/CO
【リブロ 吉祥寺店】
5 山田芳裕:へうげもの 10服(講談社)
【吉祥寺中道通り 珈琲散歩】
6 散歩ブレンド(やや深煎り)200グラム
+ + +
⇒1はメモリアルイヤーのために。「独奏者としての」ルセは信頼している。
⇒2はシューマンの室内楽が急に聴きたくなったため。
⇒3は長年の探索が報われてほくほくの購入。
⇒4は実はまだ未体験であった。
⇒5。『へうげもの』についてはいつか時間を取って書こうと思う。茶道具がちゃんと見られるようになったのはこの作品のおかげでもあるからね。利休が死んでますますトンチキな展開になってきたあああ。
⇒6。散歩はこの日も繁盛していた。(3月の初訪問)
1 W.F.バッハ:12のポロネーズ、クラヴサンのためのソナタ(Virgin) *ルセ
2 シューマン:ObとPfのための作品集(PHILIPS) *ホリガー+ブレンデル
3 ショスタコーヴィチ:Vn協奏曲#1(Live Classics) *カガン+ラザレフ
4 ショスタコーヴィチ:交響曲#15(ERATO) *ザンデルリング/CO
【リブロ 吉祥寺店】
5 山田芳裕:へうげもの 10服(講談社)
【吉祥寺中道通り 珈琲散歩】
6 散歩ブレンド(やや深煎り)200グラム
+ + +
⇒1はメモリアルイヤーのために。「独奏者としての」ルセは信頼している。
⇒2はシューマンの室内楽が急に聴きたくなったため。
⇒3は長年の探索が報われてほくほくの購入。
⇒4は実はまだ未体験であった。
⇒5。『へうげもの』についてはいつか時間を取って書こうと思う。茶道具がちゃんと見られるようになったのはこの作品のおかげでもあるからね。利休が死んでますますトンチキな展開になってきたあああ。
⇒6。散歩はこの日も繁盛していた。(3月の初訪問)
【2009年11月28日(土) 14:00~ 東京芸術劇場】<シュニトケ>
●《リヴァプールのために》(日本初演)
●Vn協奏曲第4番
○アンコール 〈ポルカ〉
→アレクサンドル・ロジェストヴェンスキー(Vn)
●オラトリオ《長崎》(日本初演)
→坂本朱(MS)
→新国立劇場合唱団
⇒ゲンナジー・ロジェストヴェンスキー/
読売日本交響楽団
シュニトケの多様式主義には共感し難い、ということが改めてわかった。
音楽美学的には「様式の境目にギャップ萌え!」という価値の見出だし方をするんかな?シュニトケのそうした「ギャップ」部分には、お花畑が突如として殺戮現場になるような趣味の悪さがあって僕は嫌だし、それを僕の好みの問題にするにしたってもう少しコンパクトなスコアにまとめられるような気がする。。
前半の二曲はそれが顕著なんです。ちょっと久々に聴いたロジェヴェン先生の華麗な音響設計魔術は完全に健在で、余計鮮やかにギャップが描かれるのでたまらない。本当に趣味が悪い(苦笑)
Vn協奏曲のソリストである息子アレクサンドルのために用意したオケ付きのアンコール〈ポルカ〉もおかしな小品で、アンサンブルが合ってるんだか合ってないんだかよくわからんし、またしてもロジェヴェン先生の煙に巻かれてしまったナ。
+ + +
で、最後に打ち上げられるたのがオラトリオ《長崎》日本初演。
前半のことがあったのでかなり覚悟してたんですけど、よくプログラムを読んでみたら1956年に音楽院の卒業作品として作曲された曲で、その実はほとんど純正のショスタコ・インスパイアだったのでした。
それにしたって、交響曲第12番のようなショスタコをさらに露骨なリアリズム路線に仕立てたような感じなのです。ティーシチェンコ以上に…って書いたらおわかりいただけるかもだし、音楽史的には「長年埋もれてても仕方がなかった」レベルかもしれない。
全五楽章からなる反原爆詩をテキストにしたオラトリオですが、例によってテキストには社会主義リアリズム臭が芬々としてて不謹慎ながらついニヤニヤさせるのがミソ(「五大陸のすべての人々よ」とか、「平和と勤労を擁護するために立ち上がろうと」とか)。
ともあれ原爆炸裂シーンの阿鼻叫喚と(ああいう巨大な音響は読響の十八番だわなあ)、畳み込むような露語合唱のパワー、そしてそれを悪魔のように軽くヒョイヒョイ振っているロジェヴェンの姿が印象深い。。ロジェヴェン先生は2010シーズンの来日予定がないみたいだけど、また必ず、僕らを愉しませてください。
鬼も呆れる時差感想文。
【2009年11月21日(土)14:00~ 新国立劇場】
●ベルク:《ヴォツェック》
→トーマス・ヨハネス・マイヤー(ヴォツェック)、
エンドリック・ヴォトリッヒ(鼓手長)、
高野二郎(アンドレス)、
フォルカー・フォーゲル(大尉)、妻屋秀和(医師)、
大澤建(第一の徒弟職人)、
星野淳(第二の徒弟職人)、
ウルズラ・ヘッセ・フォン・デン・シュタイネン(マリー)、
山下牧子(マルグレート)
→新国立劇場合唱団
→アンドレアス・クリーゲンブルク(演出)
⇒ハルトムート・ヘンヒェン/東京フィルハーモニー交響楽団
生で舞台を観たことのない演目ってのは結構多い。《モーゼとアロン》は体験済みで《ヴォツェック》が未体験というのは変わり種かもしれないが、ようやくこれをライヴを味わうことができた。故若杉監督の薫陶は僕のようなキャリアの浅いクラファンにも及ぶのだから、まことにありがたいことです。
会社への往還にiPodでベーム盤を聴きまくったので、予習はバッチリ(新聞に目を通しながらヴォツェックを聴くことの倫理性は措いとく)。
■悪意の沼地+見る装置
最初にして最大の吃驚だったのが、今演出の核の部分が、舞台一面に浅く水が張られた「長靴ヴォツェック」だったという点です。
ヴォツェックが嵌まり込む沼地は、第1幕の大尉のシーン直後から終劇までずっとそこに存在していて、そこには、黒いフロックコートを着た黙役たちがパラパラと立っている。彼らは誰かが放り投げた肉片やGeldに群がったり、〈職求む〉のカードを首に下げて一列に並んだりして、一見本筋とは関係ないことをやってみたり、あるいはヴォツェックにナイフを渡したり、マリーの死体を片付けたりして、黒子を兼ねながら進行に絡んできたりもする。彼らの存在感はなかなか凄くて、僕は「社会の悪意」や「狂気」や「ヒステリー」の擬人化なんだろうなあと思って見た。でももしかしたら何の意味もない遊び要素だったかもしれない。
そんな「沼地の妖精さんたち」が巨視的なフォルムだとしたら、微視的なフォルムとして位置付けられていたのが「家庭」だったろう。細部の趣味がちょっと特殊だけども、そうした意味では正統的なやり方ではあった。
こちらのほうのフォルムを黙役として支えていたのが、ヴォツェックの息子。
彼は始まりから終わりまで舞台の上にいて、父親が大尉のヒゲを剃っていたり、実験台にさせられていたりする様子を見ている。あるいは、母親が鼓手長と不倫関係にあるのを見、第3幕でマグダラのマリア気取りの母親に向かって、壁に「売女」と書く。終幕では溺死して沼地に浮んでいる父親の死体に寄り添って座ったりする。
子どもの黙役はびわ湖サロメでも「装置」として大事な役割を担っていたわけだが、狂人ばかりが登場するオペラに対峙した観衆が、誰かに感情移入しなければならないものなのであれば、思いは彼らに注ぎ込まれるしかない。そして、彼らが幸せになることはない。
でもね。細かすぎてめんどくせ、というのが一番の感想。
本筋に何ら関係のない小ネタを散りばめるやり方はとても好きだけど、そうではなくて、「本筋」のヴァリアントが厖大に並べてあるのはご勘弁願いたい。あれならもうちょっと約分されてもよくね?という。
■うたも音楽も
そんなわけであんまり頭に入ってきませんでした。
マイヤーという人のヴォツェックは声が立派すぎて哲人みたいだったなあ。案外マリーって見せ場少ないんだなあ。殺人シーンの音楽は本当に凄いなあ。
【2009年11月21日(土)14:00~ 新国立劇場】●ベルク:《ヴォツェック》
→トーマス・ヨハネス・マイヤー(ヴォツェック)、
エンドリック・ヴォトリッヒ(鼓手長)、
高野二郎(アンドレス)、
フォルカー・フォーゲル(大尉)、妻屋秀和(医師)、
大澤建(第一の徒弟職人)、
星野淳(第二の徒弟職人)、
ウルズラ・ヘッセ・フォン・デン・シュタイネン(マリー)、
山下牧子(マルグレート)
→新国立劇場合唱団
→アンドレアス・クリーゲンブルク(演出)
⇒ハルトムート・ヘンヒェン/東京フィルハーモニー交響楽団
生で舞台を観たことのない演目ってのは結構多い。《モーゼとアロン》は体験済みで《ヴォツェック》が未体験というのは変わり種かもしれないが、ようやくこれをライヴを味わうことができた。故若杉監督の薫陶は僕のようなキャリアの浅いクラファンにも及ぶのだから、まことにありがたいことです。
会社への往還にiPodでベーム盤を聴きまくったので、予習はバッチリ(新聞に目を通しながらヴォツェックを聴くことの倫理性は措いとく)。
■悪意の沼地+見る装置
最初にして最大の吃驚だったのが、今演出の核の部分が、舞台一面に浅く水が張られた「長靴ヴォツェック」だったという点です。
ヴォツェックが嵌まり込む沼地は、第1幕の大尉のシーン直後から終劇までずっとそこに存在していて、そこには、黒いフロックコートを着た黙役たちがパラパラと立っている。彼らは誰かが放り投げた肉片やGeldに群がったり、〈職求む〉のカードを首に下げて一列に並んだりして、一見本筋とは関係ないことをやってみたり、あるいはヴォツェックにナイフを渡したり、マリーの死体を片付けたりして、黒子を兼ねながら進行に絡んできたりもする。彼らの存在感はなかなか凄くて、僕は「社会の悪意」や「狂気」や「ヒステリー」の擬人化なんだろうなあと思って見た。でももしかしたら何の意味もない遊び要素だったかもしれない。
そんな「沼地の妖精さんたち」が巨視的なフォルムだとしたら、微視的なフォルムとして位置付けられていたのが「家庭」だったろう。細部の趣味がちょっと特殊だけども、そうした意味では正統的なやり方ではあった。
こちらのほうのフォルムを黙役として支えていたのが、ヴォツェックの息子。
彼は始まりから終わりまで舞台の上にいて、父親が大尉のヒゲを剃っていたり、実験台にさせられていたりする様子を見ている。あるいは、母親が鼓手長と不倫関係にあるのを見、第3幕でマグダラのマリア気取りの母親に向かって、壁に「売女」と書く。終幕では溺死して沼地に浮んでいる父親の死体に寄り添って座ったりする。
子どもの黙役はびわ湖サロメでも「装置」として大事な役割を担っていたわけだが、狂人ばかりが登場するオペラに対峙した観衆が、誰かに感情移入しなければならないものなのであれば、思いは彼らに注ぎ込まれるしかない。そして、彼らが幸せになることはない。
でもね。細かすぎてめんどくせ、というのが一番の感想。
本筋に何ら関係のない小ネタを散りばめるやり方はとても好きだけど、そうではなくて、「本筋」のヴァリアントが厖大に並べてあるのはご勘弁願いたい。あれならもうちょっと約分されてもよくね?という。
■うたも音楽も
そんなわけであんまり頭に入ってきませんでした。
マイヤーという人のヴォツェックは声が立派すぎて哲人みたいだったなあ。案外マリーって見せ場少ないんだなあ。殺人シーンの音楽は本当に凄いなあ。
N響名誉指揮者、オトマール・スウィトナーさん死去(asahi.com/1月12日)
仕事帰りに携帯で巨大匿名掲示板を眺めていたら、クラシックニュース速報スレッドにスウィトナー死去の文字を見る。
世代的に、スウィトナーのライヴに接することは到底かなわなかったが、SKDと録音した《魔笛》のCDを通して、確かに彼とはつながっていたような気持ちがある。2009年3月29日のエントリで詳しく書いたから、もうこれ以上触れないけれども。
1988年、ベルリン国立歌劇場管とのブラームス。響きが美しいの。
合掌。
仕事帰りに携帯で巨大匿名掲示板を眺めていたら、クラシックニュース速報スレッドにスウィトナー死去の文字を見る。
世代的に、スウィトナーのライヴに接することは到底かなわなかったが、SKDと録音した《魔笛》のCDを通して、確かに彼とはつながっていたような気持ちがある。2009年3月29日のエントリで詳しく書いたから、もうこれ以上触れないけれども。
1988年、ベルリン国立歌劇場管とのブラームス。響きが美しいの。
合掌。
【DECCA/289 458 902】●マーラー:交響曲第9番
⇒クリストフ・フォン・ドホナーニ/
クリーヴランド管弦楽団
おっCD感想文久しぶりじゃね?的な?
「このブログのキャラクタだからきっとこのCDのこと書くでしょう?」という、傍から見たらそんなことどうも思ってねえっつうのというジジョージバク。この数ヶ月、縄抜けしたつもりになっていたけど、むしろその空白の辛さによって、この強迫観念を自分の力で断ち切るのは無理であるとの結論に達した。断ち切るよりはもがき苦しんでも何かを書いて、乗り越えていくよりほかにないのかもしれない。だからこの演奏のことを書きます。
+ + +
僕がこの曲の中身をちゃんと知ったのは、FMから流れてきたケント・ナガノのライヴと、それからラトルとギーレンのCDだったから、見事にドライなテクスチュア好みに育った(と自負)。
それにしてもこのドホナーニは、ドライマラ9好みの僕でもかなりビビるほど大気が乾燥している(特に真ん中の二楽章に関して)。これまでに聴いてきた一連のドホナーニ録音群の中でも異色の乾燥ぶりと書いてしまいたい。
ウェットな曲づくりは何がウェットを感じさすのかと言うと、まあ要素はいろいろあるけれども、僕は第一にフレーズの収まるところに湿り気を感じる。
各フレーズのしっぽに吐息のような余韻が残っていると、次のフレーズの立ち上がりにその余韻が微妙に重なって襞ができる。さらに、特にオーケストラであれば、楽器ごとのズレは無くなりようがないから、フレーズしっぽ自体にも襞がある。これによって何層もの重なりが湿気に富んだテクスチュアを形づくるというわけ。
(蛇足ながら、湿度には演奏のスピードは関与しないように思う。速くて湿った演奏も、遅くて乾いた演奏もある。)
+ + +
ドホナーニのマラ9は、この人らしくフレーズの設計が隅々まで行き届いて、一片の破綻もない。気になるフレーズしっぽには、憎たらしいことに、余韻の襞まで「設計」されている。
マーラーの懊悩に付き合うことなんて端からドホナーニの頭にはない(この録音を聴いて「苦しむマーラーの姿が表されていないといえよう!」とか言っちゃうのはマヌケです)。ネジやバネや歯車が噛み合って運動しているところに、私小説的なのけぞりや不幸の涙や洟が生じるわけがないんですもの。その意味で第2楽章と第3楽章の、触覚に訴えてくる機械的な美しさには心底驚嘆する。ことに後者なんか、ブルレスクに縋りついてでも生きたい作曲者を完全に無視して、テクスチュアで遊んでしまう非道の演奏でありましょう(こりゃまさに二重ブルレスク)。
この作品は両端の二楽章と真ん中の二楽章が別物すぎてさぞかし設計に苦労するんだろうなあと思うんだけど、この録音の第1楽章は乾きと湿り気のバランスが素晴らしい。フレーズとフレーズの連結部分はしっかりしているのにわざと曖昧にぼやかされているので、フレーズたちは間接照明のようにぼうっと暗い部屋に浮んでいるような具合。泣いたり絶叫したりする演奏がお好きな方はここに近寄ってはいけないかもしれない。
第4楽章だけは、湿った旋律美の図面がシンプルに選択されていて興味深い。フレーズしっぽごとに設計されている襞が急に厚くなって響きが前方に滑らかに流れ出す様子が、真ん中の乾ききった二楽章との著しいギャップを形成している。これは、ウソっぽいくらい超高級なクリーヴランド管の弦楽合奏がいい味を出しているとしか言えず、コーダの薄氷のようなpppには、他の演奏では味わい難い冷たい緊張感があります。
+ + +
150→100の初めに。

目の前の庭に大きな柿の木が根を下ろしている。2008年の12月に引っ越してきたときには葉をすっかり落としていたから、このように見事に色づいた姿を目にするのは初めてなのだ。午後には、向かい合う僕の部屋の中が柿色に染まる。
ここのところ毎日、ヨゼフ・スークとヤン・パネンカが弾くブラームスのヴィオラ・ソナタに惹きつけられて仕方がない。なんて複雑な音楽なんだろうと思う。
それでもヘ短調の第1番のほうは、まだ幾分親しみやすさを感じさす。第1楽章の憂鬱で気高い主題に心を奪われない人はいないだろうし、すっきりとしたスケルツォに大管弦楽の残滓が窺われるのも素敵だ。桃色のカーディガンを身に着けたおじいさんのように、健やかでしかも少し翳りのある第4楽章が幕を引く。
今年もやらなかんなあ。
2005年はモスクワ室内歌劇場のショスタコーヴィチ《鼻》、2006年はアーノンクール/CMWの《メサイア》、2007年は>BCJの《ロ短調ミサ》、2008年はパリ国立オペラ 《トリスタンとイゾルデ》が1位でした。どうすかね今年は。
10位 ◆新国立劇場オペラ研修所公演 《カルメル会修道女の対話》(3月)
→ずらりスター揃い踏み、の公演だったら、きっとこんなに素晴らしくはなかった。
9位 ◆ブリュッヘン/新日フィル ハイドン・プロジェクト 《天地創造》(2月)
→光あれ!
8位 ◆[カルミナ・ウィークエンド]第4日:The Challengers(9月)
→超インテリバルトーク+ジミヘンの20世紀。
7位 ◆ラザレフ/日フィル 第614回東京定期演奏会(11月)
→むしろギャップ萌え。
6位 ◆ハーディング/新日フィル 第442回定期演奏会@すみだ(3月)
→ようやくハーディングの凄さに気がつく《幻想交響曲》。
5位 ◆ボストリッジ+ビケット/東響 名曲全集第51回(11月)
→ヘンデル×ボストリッジの250年越しラヴ。
4位 ◆トゥルノフスキー/群響@地方都市オーケストラ・フェスティヴァル(3月)
→ようやくトゥルノフスキーの凄さに気がつく《海》。
3位 ◆東京二期会―R. シュトラウス《カプリッチョ》(11月)
→心にしまっておきたいシュトラウス。
2位 ◆ミンコフスキ/ルーヴル宮音楽隊(ラモー&モーツァルト)(11月)
→いまだ感想文提出ならず。ラモヲタの計測器は針が振り切れてしまった。
1位 ◆【LFJ】スキップ・センペ(ルイ・クープランほか)(5月)
→ルイ・クープランの、あの空気は何だったか?
以下選外ながら心に残ったもの。
ハイティンク/シカゴ交響楽団@横浜みなとみらいホール(1月)
カンブルラン/読売日響 みなとみらいホリデー名曲コンサート(4月)
ヴィラ=ロボス没後50年記念 ブラジル風バッハ全曲演奏会(8月)
ゲルネ+エマール[ベルク→シューマン]@東京オペラシティ(10月)
新国立劇場《ヴォツェック》(11月)
ハノーファーの風 佐藤卓史×矢島愛子@武蔵ホール(11月)
小林道夫《ゴルトベルク変奏曲》@東京文化会館(12月)
・2009年は感想文が書けてないコンサートが多いす。
・東京の西側でも休日に室内楽が聴きたいのです。がんばれ所沢がんばれ。
・今年のLFJはショパンなので、聴きに行くのは数公演に絞ると思う。
2005年はモスクワ室内歌劇場のショスタコーヴィチ《鼻》、2006年はアーノンクール/CMWの《メサイア》、2007年は>BCJの《ロ短調ミサ》、2008年はパリ国立オペラ 《トリスタンとイゾルデ》が1位でした。どうすかね今年は。
10位 ◆新国立劇場オペラ研修所公演 《カルメル会修道女の対話》(3月)
→ずらりスター揃い踏み、の公演だったら、きっとこんなに素晴らしくはなかった。
9位 ◆ブリュッヘン/新日フィル ハイドン・プロジェクト 《天地創造》(2月)
→光あれ!
8位 ◆[カルミナ・ウィークエンド]第4日:The Challengers(9月)
→超インテリバルトーク+ジミヘンの20世紀。
7位 ◆ラザレフ/日フィル 第614回東京定期演奏会(11月)
→むしろギャップ萌え。
6位 ◆ハーディング/新日フィル 第442回定期演奏会@すみだ(3月)
→ようやくハーディングの凄さに気がつく《幻想交響曲》。
5位 ◆ボストリッジ+ビケット/東響 名曲全集第51回(11月)
→ヘンデル×ボストリッジの250年越しラヴ。
4位 ◆トゥルノフスキー/群響@地方都市オーケストラ・フェスティヴァル(3月)
→ようやくトゥルノフスキーの凄さに気がつく《海》。
3位 ◆東京二期会―R. シュトラウス《カプリッチョ》(11月)
→心にしまっておきたいシュトラウス。
2位 ◆ミンコフスキ/ルーヴル宮音楽隊(ラモー&モーツァルト)(11月)
→いまだ感想文提出ならず。ラモヲタの計測器は針が振り切れてしまった。
1位 ◆【LFJ】スキップ・センペ(ルイ・クープランほか)(5月)
→ルイ・クープランの、あの空気は何だったか?
以下選外ながら心に残ったもの。
ハイティンク/シカゴ交響楽団@横浜みなとみらいホール(1月)
カンブルラン/読売日響 みなとみらいホリデー名曲コンサート(4月)
ヴィラ=ロボス没後50年記念 ブラジル風バッハ全曲演奏会(8月)
ゲルネ+エマール[ベルク→シューマン]@東京オペラシティ(10月)
新国立劇場《ヴォツェック》(11月)
ハノーファーの風 佐藤卓史×矢島愛子@武蔵ホール(11月)
小林道夫《ゴルトベルク変奏曲》@東京文化会館(12月)
・2009年は感想文が書けてないコンサートが多いす。
・東京の西側でも休日に室内楽が聴きたいのです。がんばれ所沢がんばれ。
・今年のLFJはショパンなので、聴きに行くのは数公演に絞ると思う。
10位 ◆新国立劇場オペラ研修所公演 《カルメル会修道女の対話》(3月)
9位 ◆ブリュッヘン/新日フィル ハイドン・プロジェクト 《天地創造》(2月)
8位 ◆[カルミナ・ウィークエンド]第4日:The Challengers(9月)
7位 ◆ラザレフ/日フィル 第614回東京定期演奏会(11月)
6位 ◆ハーディング/新日フィル 第442回定期演奏会@すみだ(3月)
5位 ◆ボストリッジ+ビケット/東響 名曲全集第51回(11月)
4位 ◆トゥルノフスキー/群響@地方都市オーケストラ・フェスティヴァル(3月)
3位 ◆東京二期会―R. シュトラウス《カプリッチョ》(11月)
2位 ◆ミンコフスキ/ルーヴル宮音楽隊(ラモー&モーツァルト)(11月)
1位 ◆【LFJ】スキップ・センペ(ルイ・クープランほか)(5月)
以下選外ながら心に残ったもの。
ハイティンク/シカゴ交響楽団@横浜みなとみらいホール
カンブルラン/読売日響 みなとみらいホリデー名曲コンサート
ゲルネ+エマール[ベルク→シューマン]@東京オペラシティ
新国立劇場《ヴォツェック》
小林道夫《ゴルトベルク変奏曲》@東京文化会館
追記しました(1/4)。
9位 ◆ブリュッヘン/新日フィル ハイドン・プロジェクト 《天地創造》(2月)
8位 ◆[カルミナ・ウィークエンド]第4日:The Challengers(9月)
7位 ◆ラザレフ/日フィル 第614回東京定期演奏会(11月)
6位 ◆ハーディング/新日フィル 第442回定期演奏会@すみだ(3月)
5位 ◆ボストリッジ+ビケット/東響 名曲全集第51回(11月)
4位 ◆トゥルノフスキー/群響@地方都市オーケストラ・フェスティヴァル(3月)
3位 ◆東京二期会―R. シュトラウス《カプリッチョ》(11月)
2位 ◆ミンコフスキ/ルーヴル宮音楽隊(ラモー&モーツァルト)(11月)
1位 ◆【LFJ】スキップ・センペ(ルイ・クープランほか)(5月)
以下選外ながら心に残ったもの。
ハイティンク/シカゴ交響楽団@横浜みなとみらいホール
カンブルラン/読売日響 みなとみらいホリデー名曲コンサート
ゲルネ+エマール[ベルク→シューマン]@東京オペラシティ
新国立劇場《ヴォツェック》
小林道夫《ゴルトベルク変奏曲》@東京文化会館
追記しました(1/4)。
【2009年10月24日(土) 14:00~ サントリーホール】<プロコフィエフ交響曲全曲演奏プロジェクト vol.3>
●チャイコフスキー:幻想的序曲《ハムレット》
●モーツァルト:Pf協奏曲第27番変ロ長調 K595
→田村響(Pf)
●プロコフィエフ:交響曲第3番 op.44
○同:バレエ《シンデレラ》~ワルツ
⇒アレクサンドル・ラザレフ
/日本フィルハーモニー交響楽団
いま彼らを聴かぬは損!
土曜朝の11時頃まで部屋で悩んだあげく、ブログ界隈でのラザレフ+日フィルの評判がここ一年くらいでどんどんうなぎ上りになっているのを鑑み、プレヴィン/N響のタコ5を切って溜池山王に行ったのでした。しかしこれは…ラザレフを選んだのはまったく正しかった。コンサートの全編に亘って痺れた。
この人の指揮を初めて聴いたのは2003年に日フィルとやったショスタコーヴィチ11番で、相当壮絶だったに違いない第2楽章よりも、今となっては意外に第3楽章の豊かな抒情が強く印象に残っている。2回目はこのブログを始めてからの2005年12月、サントリーホールでのオール・プロコフィエフ。このときの第5交響曲について、当時の自分は「偉大な鈍重」「大蛇ずるずる」と書いていますが、まさに今思い返してみてもそんな感じで、いずれも強烈な印象を残しているのです。
+ + +
プロコの第3交響曲は、ほぼ理想的な演奏だったとしか。
ギャングスターのような悪ぶりに冷えたオカルトを混ぜて、その土台に少年のようなリリシズムがもったりと添加されたこの曲、僕はプロコフィエフ作品の中でも特に好きなのだけど、ライヴではまず滅多に取り上げられることがありません。演奏技術的にオーケストラに掛かる負担と、上記のような相反する要素たちに気を配らなくてはならない指揮者の負担が、ともに大きすぎるからだと思う。
今回ラザレフと日フィルは、その負担どもに対して、真正面からがっぷり四つに組む。
少なくともラザレフの態度は「共同作業」という感じではなく、各パートへの異常にねちっこい指示の飛ばし方を見ていると(よほど緻密にスコアを読み込んだ結果だろう)、「歯を食いしばって俺についてくれば負担も全部引き受けてやる」というような信頼の親方ブランドが燦然と光って見えるのです。きっと練習は苛烈を極めたと思うけど、オケが指揮者を強く信頼して音楽を付託している様子が客席に伝わってくると、それはお客だって強く引き込まれちゃうよね。
第1楽章と第4楽章の阿鼻叫喚は、ベクトルの長さが想定外。ただ表面をショッキングにするだけでなく、Vnにすら分厚い低音を求め、低音金管楽器と打楽器によって肉厚の(しかも引き締まった)響きを形作っていたのには舌を巻きます。説得力のないアッチェレランドが皆無なのもすげー。この曲の録音でたとえれば、ロジェストヴェンスキーとラインスドルフのいいとこどり、みたいな。第2楽章も美しい。。
13声部ディヴィジの第3楽章のみ、フラットめの設計に違和感がありましたが、これはラザレフの読みとこちらの好みが合わなかったか、あるいはオケの皆さんさすがに疲れたか、というぐらいのことだろう。あのように、平面の中に模様を閉じ込めるのもありかもしれない。
+ + +
で、このプロコフィエフはあくまでも(程度は高級だったけれど)こちらの予想を裏切らなかった。まったく予想外によかったのが、前半のチャイコフスキーとモーツァルト。。
今回の序曲《ハムレット》は、自分の中のチャイコフスキー像を見直さざるを得ないくらい完璧な仕上がりでした。オフィーリアを表すというObのメロディで「おめえらここを聴け」とばかりに客席に向かって指揮をし始めるマエストロが可笑しかったその直後に(これは《1905年》の第3楽章でもやってた)、木管たちが重なり合って天国のような響きが聴かれた。これがまず忘れがたい。
それから最後の葬送行進曲、このときの弦楽は(はっきり書いてしまおう)いったいコバケンが指揮したときにあのような音を出すのと同じオーケストラだろうか、というくらい緻密で静かで、そのうえ溶けたバターのようなぬらめきが備わっていて、とにかくこれも極上でありました。こんなのを聴かされたらブラヴォを飛ばさざるを得なかったです。
それからモーツァルト。うちは佐藤卓史勝手に応援ブログであるから、若手男子ピアニストにはどうしても点が辛くなりがちなのだが、いや確かに田村君のピアノはいいと思った。ハンマー投げ選手のような風貌(ごめんなさい!)に似合わない甘い音の持ち主で、はまったときには本当に素晴らしい効果を発揮すると思う。
ラザレフはやっぱりというか当然、オケメンたちが楽器を構えるタイミングまで指示していたし、さらにピアニストに向かっても指揮をしていて、協奏曲を指揮する指揮者って本来こういう感じなのだろうなあと妙に感じ入る。ラザレフのモーツァルトは今や誰もやらないような、ミッドセンチュリー的なつくりなのだけど、果たしてその精妙さにぐうの音も出ず。
第2楽章でピアノのつぶやきを最初に受けるホルンと、続く管楽器たちのあの美しいバランスを聴いて、それでもラザレフが爆演専門指揮者だと言うのなら、僕は受けて立ちますよ。それぐらいよかった。
+ + +
ちょっと興奮した。
【2009年10月23日(金) 19:00~ トッパンホール】●ヒンデミット:無伴奏チェロ・ソナタ op.25-3
●アンリ・プスール:《あなたのファウスト》のエコー第1
●リゲティ:無伴奏チェロ・ソナタ
●クラム:無伴奏チェロ・ソナタ
●コダーイ:無伴奏チェロ・ソナタ op.8
○バッハ:無伴奏チェロ組曲第1番~サラバンド
⇒ピーター・ウィスペルウェイ(Vc)
トッパンホールは何年ぶりだろう。六七年は来ていないはずだから、内装なんかほとんど見覚えがないし、行き方も忘れてしまったので、飯田橋駅からの新ルートを新規開拓する。
ウィスペルウェイのパフォーマンスは、ショスタコーヴィチの協奏曲やバッハの無伴奏のディスクで耳にタコができるくらい親しんできたものの、何度かあったライヴのチャンスをことごとく逃してきたために、この日が初めての出会いとなったわけです。今年のLFJもこの人のチケットの争奪戦には加わらなかったんだよなあ。
正直に書くと、恐らく多くの人にとってのメインであり、僕もそのように考えていたコダーイからは、あまりいい印象を受けなかった。
今回の演奏は本人の10年前の録音に比べてボウイングに硬直が感じられる瞬間が多く、それによって確かに表現主義みたいな力強さは生まれるけど、逆に曲想の落ち着いたところが変に空虚な雰囲気に支配されてしまっていたように思う(特に第2楽章の後半なんか)。非常に残念でした。本人的にはこれはこれで深化なのかもしれないけど、一番の持ち味であるはずのしなやかさを失くしたウィスペルウェイは、あまり積極的に聴きたい対象ではない。。
むしろこの日の白眉は、前半のプログラムじゃなかったかな。
二曲目のアンリ・プスール《あなたのファウスト》エコー第1は、微細な(しかもたとえばウェーベルンとは違ってコミカルな)パッセージが不規則に並んでいて、小体ながらも上品な抽象表現主義の一枚絵を思わす作品。ウィスペルウェイの脱力の仕方がナチュラルで可笑しく、さらにその前のヒンデミットを突き詰めるとああ確かにこんなふうになるなあという連関の妙味もあり、素敵でした。
続くリゲティのソナタは、何度も登場する静かな上行グリッサンドが特徴的な第1楽章に、狂騒的な第2楽章のカップリング、、これが素晴らしかった!ウィスペルウェイらしい緩急の付いた見事なボウイングはここでは完全に健在で、まったく感心することしきり。
若書きの作品(1948/53)だけあって妙にロマンティックだなあと思って聴いていて、あとで解説を読んだら、第1楽章はジェルジ青年がチェロ科の女子学生に恋をして贈ったものだとか。あのグリッサンドは問いかけだったわけだ。女子学生もそれを受け入れていたら物凄い人生になるところだったねえ。
+ + +
生のウィスペルウェイを目の前にしてわかったのは、この人が吐息系・足バタバタ系ノイズの宝庫だということ。コダーイの第3楽章なんか顔が緩んで何度か舌が出てたし、最後の音符を弾き終えて弓を振り上げるのと同時に椅子からビョンっと飛び上がって見事な着地でした、という10.0。
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