【2009年9月20日(日) 15:00~ NHKホール】<メンデルスゾーン>
●序曲《フィンガルの洞窟》 op.26(ローマ版)
●Vn協奏曲ホ短調 op.64(初稿)
○ラヴィ・シャンカール:ラプソディ(?)
→ダニエル・ホープ(Vn)
●交響曲第3番イ短調 op.56 《スコットランド》
⇒クリストファー・ホグウッド/NHK交響楽団
寝てしまうかもなあという危惧の下、晴天の渋谷へ。だいたい、晴天でしかも休日の渋谷なんかできれば行きたくないのだ。そのように思って原宿から歩いたけど、あっちはあっちで眩しすぎて辛い。NHKホールを新しくするときは所沢とか青梅に移転させてほしい。
そんな暗い妄想に取り憑かれていたけれど、いや、演奏は頗るよかったですよ。この機会を逃さなくて正解だった。
このAプロ、会場はやんやの喝采だったですが、ネットで検索してみるとけっこう批判的なレヴューが目に付くんですよ。いやあこれは本当にいいことだと思う。FMで中継されTV収録されることによって日本中に名を轟かせているオーケストラが、ホグウッドの指導下で至極真っ当なピリオド・アプローチをやってのけて、それが知られ感じ取られることの重大さ!いくらミンコフスキ+ルーヴル隊がオペラシティで最先端のモーツァルトをやっても、それは認知される度合いとしては絶対にN響には敵わないんだもの。。
今回のホグウッドを耳にされて、「やっぱりなんにもないメンデルスゾーンが好きだなあ」と思われた方は、ぜひこの機会にドホナーニなりセルなりのディスクをガッツリと聴き返して、自分が「なんにもないメンデルスゾーン」のどういうところが好きなのか考えてみてもいいかもしれませんよね(僕は彼らの録音も大好きです)。
僕が見事だなと思ったのは、Vn協奏曲の第2楽章と《スコットランド》の第3楽章。
どちらも仄かな香水のように浪漫が漂う幸福な緩徐楽章ですが、決して刈り込まれてはいない大きな編成の弦楽を従えつつ、木管のアンサンブルを理想的なバランスで聴かせるホグウッドの感覚にまず驚いた。この人の録音してきたバッハやヴィヴァルディは、このメンデルスゾーン(や、来たるべきシューマンとか)のための下書きでしかなかったのではないか?あの弦楽合奏の青白さは、管楽器を迎え入れるための下地だったのではないか?
これら薄絹のような緩徐楽章のあればこそ、大袈裟なメンコンの第3楽章、速すぎるとの不評を買っているスコッチの第4楽章が活きているのは明らかでありましょう。バロックでは絶対に破綻を避けていたホグウッドが(少なくとも僕は例を知らない)、恐らく強い確信を持ってロマン派の様式でメンデルスゾーンを造形している姿はまったく頼もしく、「学究肌」というのはこういう人のことを評する誉め言葉なのだと思われました。
協奏曲のソリスト、ダニエル・ホープは、僕たちの生きているのがハイフェッツやオイストラフの時代ではないことを朗らかに教えてくれます。甚だしい抑揚の山谷もわざとらしい加減速も、伴奏と「合っていない」ことさえも、それも彼のスタイルの一部ではないかしら。

朝から雨の土曜日。どうしても音楽を聴く気が起こらないのでYouTubeをぶらついて過ごし、夕方から街に出る。雨が強くなってきたので駅前の本屋に入ってやり過ごし、コーヒーの本など立ち読む。帰宅して、夜の「美の巨人たち」がマックス・エルンストの《ナイチンゲールに脅かされる二人の子供》だったので、しっかり見ることにする。
エルンストのことが本格的に気になり始めたのはそんなに昔のことではなくて、例によって豊田市美術館のコレクションにある《子供、馬そして蛇》、それからこのとき見に出かけて結局感想文を書いていない「シュルレアリスムと美術」展で見た《女、老人と花》の双方から、強いセンスを感じてからです。
マグリットがあのようなポピュラリティを獲得しているのは、マグリットの絵がちっとも狂気を感じさせないから、プラスチックのように仕組まれて些かの害もないから、だと思っている(でも、だから価値がない、ということじゃないので。藝術音楽の分野からはサティを、もしかするとプーランクの一部の作品も、この系統に加えるべきだと感じている)。それに対するエルンストの作品は、もっと生肉のような、湿気を帯びた狂気をムンムンと発している。何かが篭もっている。
木戸と建物のコラージュ、午後の空、高い空を舞うナイチンゲール、刃物を振り回してそれを追う女、子どもを抱きかかえて逃げる男、地面に横たわる不定形の何か。小林薫は「ナイチンゲール=エルンスト」という解釈を与えていたけれども、あんまりしっくりこないな。。
Tags:エルンスト
【2009年9月11日(金) 19:30~ 新国立劇場中劇場】
●ストラヴィンスキー:《兵士の物語》
→アダム・クーパー(兵士)、ウィル・ケンプ(ストーリーテラー)
ゼナイダ・ヤノスキー(王女)、マシュー・ハート(悪魔)
→ウィル・タケット(振付)
⇒ティム・マーレー/ソルジャーズ・アンサンブル・オーケストラ
うーん。《兵士の物語》は「音楽」劇じゃなくて音楽「劇」なんだなあ。この形で体験できてよかったなあ。ストラヴィンスキーの音楽だけ取り出して聴くのはもったいないのかもしれない。今回はバレエ形式の上演だったけど、ダンサーがちゃんと台詞まで担当したから「劇」のイメージは崩れないのです。
舞台上には劇中劇のように野外舞台のセットが組まれて、その周りを囲むテーブルには蝋燭が灯り、観客役の俳優たちが着席している。紫や緋、橙の多い色遣いはいかにも猥雑で、こってりと装飾されたセットがいやらしい光を反射している。オケピットもそのように装飾されて、楽員氏らも舞台の一部。
たった4人の登場人物である、進行役兼狂言回しのウィル・ケンプ、兵士役のアダム・クーパー、悪魔役のマシュー・ハート、そして王女様役のゼナイダ・ヤノスキー。彼らは(バレエヲタではない僕も認識せざるを得ない)強靭な筋肉でもって、ストラヴィンスキーの音を可視化していく。作曲家がたぶん死ぬような思いで五線譜に捕まえた空気が、何の苦もないかのように平然と可視化される様子は、音楽と音楽に関わる芸術家への痛罵であり、決定的な嫌味でもある。…にも関わらず、その可視化はとっても美しいかたちをしている!バレエはいつも音楽の上位にいたがる!
オリジナルの7楽器アンサンブルはあまり精度が高いとは言えなかったけれども、そのぶん、パイプをくわえた王女様のダンスは変ないかがわしさに彩られていたし、終劇の兵士地獄落ちは徹底的に乱雑でむしろ効果的であったと言えます。千秋楽に向けて練り上がったら却って面白くなくなるかもしれないな。
最後に、いかにもそれらしく火焔燃え盛る奈落からせりあがってきた悪魔のやりたい放題が、シンプルに可笑しかった。狂言回しを追っかけ回し、兵士を奈落に突き落とし、王女様を犯すポーズで笑いを起こし、、しかしこの幕切れって、悪魔側からしたらただの契約履行なんだよねえ。違反しようとしたのは兵士の方だし。
お客さんはバレエヲタっぽいおばさんが多かったけれども(バレエは本当にいつも肩身が狭い)、この「機能的な」幕切れに彼女たちはどんな思いを致すのだろうか。終演後にお仲間と、「見た!?マシュー・ハートの逆さゴキブリ戦法!健在ねえ!」とか言ってた人もいたが、一方クラヲタだって「1stVn汚かったなあ!」とか言い合ってるんだから、五十歩百歩なのか。
●ストラヴィンスキー:《兵士の物語》
→アダム・クーパー(兵士)、ウィル・ケンプ(ストーリーテラー)
ゼナイダ・ヤノスキー(王女)、マシュー・ハート(悪魔)
→ウィル・タケット(振付)
⇒ティム・マーレー/ソルジャーズ・アンサンブル・オーケストラ
うーん。《兵士の物語》は「音楽」劇じゃなくて音楽「劇」なんだなあ。この形で体験できてよかったなあ。ストラヴィンスキーの音楽だけ取り出して聴くのはもったいないのかもしれない。今回はバレエ形式の上演だったけど、ダンサーがちゃんと台詞まで担当したから「劇」のイメージは崩れないのです。
舞台上には劇中劇のように野外舞台のセットが組まれて、その周りを囲むテーブルには蝋燭が灯り、観客役の俳優たちが着席している。紫や緋、橙の多い色遣いはいかにも猥雑で、こってりと装飾されたセットがいやらしい光を反射している。オケピットもそのように装飾されて、楽員氏らも舞台の一部。
たった4人の登場人物である、進行役兼狂言回しのウィル・ケンプ、兵士役のアダム・クーパー、悪魔役のマシュー・ハート、そして王女様役のゼナイダ・ヤノスキー。彼らは(バレエヲタではない僕も認識せざるを得ない)強靭な筋肉でもって、ストラヴィンスキーの音を可視化していく。作曲家がたぶん死ぬような思いで五線譜に捕まえた空気が、何の苦もないかのように平然と可視化される様子は、音楽と音楽に関わる芸術家への痛罵であり、決定的な嫌味でもある。…にも関わらず、その可視化はとっても美しいかたちをしている!バレエはいつも音楽の上位にいたがる!
オリジナルの7楽器アンサンブルはあまり精度が高いとは言えなかったけれども、そのぶん、パイプをくわえた王女様のダンスは変ないかがわしさに彩られていたし、終劇の兵士地獄落ちは徹底的に乱雑でむしろ効果的であったと言えます。千秋楽に向けて練り上がったら却って面白くなくなるかもしれないな。
最後に、いかにもそれらしく火焔燃え盛る奈落からせりあがってきた悪魔のやりたい放題が、シンプルに可笑しかった。狂言回しを追っかけ回し、兵士を奈落に突き落とし、王女様を犯すポーズで笑いを起こし、、しかしこの幕切れって、悪魔側からしたらただの契約履行なんだよねえ。違反しようとしたのは兵士の方だし。
お客さんはバレエヲタっぽいおばさんが多かったけれども(バレエは本当にいつも肩身が狭い)、この「機能的な」幕切れに彼女たちはどんな思いを致すのだろうか。終演後にお仲間と、「見た!?マシュー・ハートの逆さゴキブリ戦法!健在ねえ!」とか言ってた人もいたが、一方クラヲタだって「1stVn汚かったなあ!」とか言い合ってるんだから、五十歩百歩なのか。

出張でオホーツク海沿岸部に行くことになり、前日入りして「能取岬」に向かう。
能取岬(のとろみさき)は網走市の北約10キロにある突端部で、オホーツク海に突き出していることから流氷の季節には賑わうらしいが、晩秋にあっては人影もまばら。しかし僕の到着した15時にはすでに太陽が沈まんとしていて、辺り一面が金色に染まり、死んだように美しい光景が広がっていたのだった。
ボボボ...という漁船のエンジン音以外には何も聴こえない。風の音もない。
これで本当に無音だったならば何やら世をはかなんでしまう局面だけど、幸いにしてカーステレオから札響のライヴが聴こえてきたために助けられる。この10月にゲルハルト・ボッセが客演した定期演奏会がオンエアされていて、特に《時計》の引き締まったフォルムにはすっかり驚かされたな(ベト7は残念だけどオケにとってオーバースペック気味だった)。
もちろん、次に何が飛び出してくるかわからないスリリングさも今や極めて重要だけれども、一方で古典派をフォルムのみで聴かすのはかなり難しいと見えて、こちらはライヴではなかなかお目にかかることはない。
北海道内だけの放送ということだけど、もったいないね。

間もなく雪に閉ざされるだろう。
ミンコフスキのラモー&モーツァルトが良すぎて何も言えね、状態ですが。
+ + +
【2009年9月9日(水) 19:00~ サントリーホール】
<ベートーヴェン>
●序曲《コリオラン》 op.62
●Pf協奏曲第4番ト長調 op.58
→クリスティアン・ベザイディンオート(Pf)
●交響曲第7番イ長調 op.92
⇒クリストファー・ホグウッド/NHK交響楽団
急遽、友人からチケットを譲り受け、定時ダッシュでサントリーへ。N響のB定期を聴くのって本当に久しぶりだけど、前以上に会員の高齢化が目につきました。新しい客層が全然入らないっていうのも、、なんだかなー。
Pブロックに座って眺めるホグウッドは、タクトを持たない指揮ぶりからして円い感じ。モダンに進出したあとの彼の曲づくりは全然聴いてなくて、むしろあの青ざめたヴィヴァルディの印象がずっと強いものだから、今回の客演はなかなかの興味をそそるものです。
最初の《コリオラン》序曲は、実はあまりいい印象ではない。確かにアンサンブルは整然としているし、ノンヴィブを実施してはいるものの、ホグウッドが今のピリオド指揮者たちのように目的意識の強いアクセントを付けないので、楽器はモダンで編成も巨大なのに、30年前のヴィヴァルディと同じようにツンと取り澄ました平明さを漂わせるのです。それにしてもこの曲で!(いや、だからこそ?)
さて、蓋を取ったスタインウェイのモダンが対向配置された弦の真ん中に縦に置かれ、当夜のソリスト、ベザイディンオートは指揮者をまっすぐ見据える形で座る。そのような格好で奏されたPf協奏曲第4番は、今度は面白いことになっていました。
まずベザイディンオートは、彼のようなスタイルはモダンピアノとは(ついでに言えば鳥井さんホールの音響とも)相容れないだろうなあ。比較的ステージに近いP席で聴いたのに、彼の持ち味であるらしいコロコロしたスタッカートが全部数珠つなぎになって飛んでくるのは大変残念だったし、そのうえトゥッティに合わせすぎるような嫌いもあり(通奏低音じゃないんだから…)。響きの硬い小さな空間で、音が鋭く減衰するいいフォルテピアノでソロを聴いてみなければ、ベザイディンオートの真価はわからないかもしれないが、あるいはベートーヴェン以降の「キャラ立ちした」協奏曲は向かない人なのかもしれない。
あ、でも第1楽章冒頭の弾き始めに装飾入れちゃってました。これはキャラ?
一方の伴奏は、示唆的と言ってもいいだろうと思った。
第2楽章について、プログラムでは「前代未聞の驚くべき構成」という解説が付されているのだけれども、叙情的なソロと峻厳なトゥッティの短い交替の連続というのは、イタリア様式のバロック協奏曲、それこそ(何度も引き合いに出すが)ヴィヴァルディの緩徐楽章ならよく耳にするような気がする。これまでこの楽章からバロックを嗅いだことがなかったのは、トゥッティの「合いの手」の表情が思わせぶりすぎたためだったのかも。ホグウッドの「合いの手」は予断なく仮借なく突き刺さる。
第3楽章ではPfソロに付き従うVcソロの動きに強く集中させられました。大体の演奏はこのソロVcは目立たないようにコソコソしているような気がするんだけど、こういうオブリガートもバロックでは普通のことだし、、この楽章も案外古い形式に接近しつつ作曲されているのかしらん。中ほどのVaに現れた鮮やかな瞬間は、ノンヴィブでしか出せない味わいでしたね。
で、ベト7。これは真ん中2つの楽章がベラボーによかったです。
もう簡単に書いちゃうけど、第2楽章は再現部分のフガートがこれ以上ないというくらい鮮やかな切り分け(インテル入ってた!)、第3楽章はこのスケルツォが実はジーグであったことを気づかせる軽いタッチ。なんだかんだ言ってもポテンシャルのあるN響のアンサンブル能力も含めて、非常に満足度の高いパフォーマンスだったと言えます。大抵は非協力的で仏頂面がとりえの紺マス氏が、カーテンコールで珍しく笑顔を見せ、指揮者だけを立たす素振りをしていたのが印象的でした。でした。
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【2009年9月9日(水) 19:00~ サントリーホール】<ベートーヴェン>
●序曲《コリオラン》 op.62
●Pf協奏曲第4番ト長調 op.58
→クリスティアン・ベザイディンオート(Pf)
●交響曲第7番イ長調 op.92
⇒クリストファー・ホグウッド/NHK交響楽団
急遽、友人からチケットを譲り受け、定時ダッシュでサントリーへ。N響のB定期を聴くのって本当に久しぶりだけど、前以上に会員の高齢化が目につきました。新しい客層が全然入らないっていうのも、、なんだかなー。
Pブロックに座って眺めるホグウッドは、タクトを持たない指揮ぶりからして円い感じ。モダンに進出したあとの彼の曲づくりは全然聴いてなくて、むしろあの青ざめたヴィヴァルディの印象がずっと強いものだから、今回の客演はなかなかの興味をそそるものです。
最初の《コリオラン》序曲は、実はあまりいい印象ではない。確かにアンサンブルは整然としているし、ノンヴィブを実施してはいるものの、ホグウッドが今のピリオド指揮者たちのように目的意識の強いアクセントを付けないので、楽器はモダンで編成も巨大なのに、30年前のヴィヴァルディと同じようにツンと取り澄ました平明さを漂わせるのです。それにしてもこの曲で!(いや、だからこそ?)
さて、蓋を取ったスタインウェイのモダンが対向配置された弦の真ん中に縦に置かれ、当夜のソリスト、ベザイディンオートは指揮者をまっすぐ見据える形で座る。そのような格好で奏されたPf協奏曲第4番は、今度は面白いことになっていました。
まずベザイディンオートは、彼のようなスタイルはモダンピアノとは(ついでに言えば鳥井さんホールの音響とも)相容れないだろうなあ。比較的ステージに近いP席で聴いたのに、彼の持ち味であるらしいコロコロしたスタッカートが全部数珠つなぎになって飛んでくるのは大変残念だったし、そのうえトゥッティに合わせすぎるような嫌いもあり(通奏低音じゃないんだから…)。響きの硬い小さな空間で、音が鋭く減衰するいいフォルテピアノでソロを聴いてみなければ、ベザイディンオートの真価はわからないかもしれないが、あるいはベートーヴェン以降の「キャラ立ちした」協奏曲は向かない人なのかもしれない。
あ、でも第1楽章冒頭の弾き始めに装飾入れちゃってました。これはキャラ?
一方の伴奏は、示唆的と言ってもいいだろうと思った。
第2楽章について、プログラムでは「前代未聞の驚くべき構成」という解説が付されているのだけれども、叙情的なソロと峻厳なトゥッティの短い交替の連続というのは、イタリア様式のバロック協奏曲、それこそ(何度も引き合いに出すが)ヴィヴァルディの緩徐楽章ならよく耳にするような気がする。これまでこの楽章からバロックを嗅いだことがなかったのは、トゥッティの「合いの手」の表情が思わせぶりすぎたためだったのかも。ホグウッドの「合いの手」は予断なく仮借なく突き刺さる。
第3楽章ではPfソロに付き従うVcソロの動きに強く集中させられました。大体の演奏はこのソロVcは目立たないようにコソコソしているような気がするんだけど、こういうオブリガートもバロックでは普通のことだし、、この楽章も案外古い形式に接近しつつ作曲されているのかしらん。中ほどのVaに現れた鮮やかな瞬間は、ノンヴィブでしか出せない味わいでしたね。
で、ベト7。これは真ん中2つの楽章がベラボーによかったです。
もう簡単に書いちゃうけど、第2楽章は再現部分のフガートがこれ以上ないというくらい鮮やかな切り分け(インテル入ってた!)、第3楽章はこのスケルツォが実はジーグであったことを気づかせる軽いタッチ。なんだかんだ言ってもポテンシャルのあるN響のアンサンブル能力も含めて、非常に満足度の高いパフォーマンスだったと言えます。大抵は非協力的で仏頂面がとりえの紺マス氏が、カーテンコールで珍しく笑顔を見せ、指揮者だけを立たす素振りをしていたのが印象的でした。でした。
【2009年9月5日(土) 14:00~ 近江楽堂】<バルトロメオ・デ・セルマ(1580-1640)>
●カンツォン第11番~バレット
●カンツォン第3番~コレンテ
●チャコーナ**
●パッセジャータ《スザンナ》(ラッソ原曲)
●パッセジャート《草原と丘》(パレストリーナ原曲)~リチェルカータ
●カンツォン第4番
●カンツォン第35番*
●カンツォン第14番*
●パッサカッレ**
●ガリアルダ&2つのコレンテ*
●カンツォン第20番*
●チャコーナ*
●カンツォン第34番*
○アンコール チャコーナ?(詳細不明)
⇒古橋潤一(Rec*)
アントネッロ:濱田芳通(Rec, Cor)、石川かおり(Gam)、
西山まりえ(Cem**)
実は近江楽堂初体験なのです。狭いんだねえ。夜公演は雰囲気もよかろう。
アントネッロを聴くのはちょうど一年ぶり。その宗次ホール公演で知ってしまったのが、思わずさん付けしてしまいたくなる濱田さんの親しみやすいお人柄でして、彼の堂々たる不良クールな音楽とは何かが違うギャップ萌え。アントネッロのコンサートはこれで通算3度目だったけれど、そのいずれも音楽的にはクール、雰囲気的にはほっこりと心温まるものであったために大満足。今やグイと心を掴まれています。
今回取り上げられたのは、バルトロメオ・デ・セルマ Bartolomeo de Selma というスペイン人が書いた音楽。マドリードで音楽を勉強したあと、インスブルックから遥かブレスラウまで行ってしまった面白い人で、濱田さんのプログラム解説には「17世紀のテレマン」とのキーワードもあり。
デ・セルマの〈カンツォン〉はバス声部つきのソロ・ソナタ、あるいはトリオ・ソナタの形を取っているみたいで、この日は前半に濱田さんのリコーダーに石川・西山コンビを合わせたソロ・ソナタ、後半にゲストの古橋さんがリコーダーで入ってトリオ・ソナタが演奏されました。ただ17世紀前半に弱い自分としては、ここで聴けた華々しい演奏が、ポーランド音楽からエッセンスを汲んだデ・セルマの楽譜のためなのか、それともアントネッロのプレイのためなのか、イマイチ判断できずでした。両方だろうか。
スペイン古楽(の、しかも初期)らしく荒々しい展開を、さらに増幅するアントネッロの3人+1人は、よく田町駅のデッキで見かけた南米系のパフォーマーたちなんか敵ではないくらい「辻音楽師」だった。あれはもしかすると藝大古楽科のセンセたちをカンカンに怒らせるプレイなのかもしれないが、やっぱり愉しいのだ。
さてこの日一番の衝撃は、西山さんがソロで聴かせてくれた〈パッサカッレ〉でありました。
栄のHMVでこの人の《イタリア協奏曲》を試聴して、異様な濃厚さに引いた経験もあり。しかし彼女が鍵盤に長い髪を垂らしてデ・セルマの音符に耽溺する様子、そしてそこから立ち昇る音楽には、何か胸を締め付けるような美しさがあった。ここではさらにパッサカリア萌え属性も刺激されたゆえ、溜息も出ず。
+ + +
幕間にファゴットの祖先・ドゥルツィアンが登場(デ・セルマはファゴット奏者でもあった)。あの至近距離で受けるドゥルツィアンの音波はほとんどトロンボーンのように強烈。古橋さんも濱田さんも、二人とも吹けるんならもっと聴きたかったなあ。夜公演では吹いたのかな?
■11月 5日(木) ミンコフスキ/ルーヴル宮音楽隊@オペラシティ
□11月14日(土) 佐藤卓史 タワレコ渋谷インストアライヴ(行ければ)
■11月21日(土) 新国立劇場《ヴォツェック》
■11月22日(日) 東京二期会《カプリッチョ》
■11月28日(土) ロジェストヴェンスキー/読売日響 第116回芸劇マチネー
■11月28日(土) ハノーファーの風 佐藤卓史×矢島愛子@武蔵ホール
■11月29日(日) ボストリッジ+ビケット/東響 川崎名曲全集
□11月14日(土) 佐藤卓史 タワレコ渋谷インストアライヴ(行ければ)
■11月21日(土) 新国立劇場《ヴォツェック》
■11月22日(日) 東京二期会《カプリッチョ》
■11月28日(土) ロジェストヴェンスキー/読売日響 第116回芸劇マチネー
■11月28日(土) ハノーファーの風 佐藤卓史×矢島愛子@武蔵ホール
■11月29日(日) ボストリッジ+ビケット/東響 川崎名曲全集
Tags:演奏会
本日から再開しますが、さしあたって以下のことを宣言します。
1. 緩やかにします
ほぼ毎日更新の負担が大きく、もう自分で嫌気がさしてきたので、どんなにやってもせいぜい隔日、少ないときは2週に1回程度まで更新頻度を下げます。
2. 初心に帰ります
ここは、もともと演奏会の感想文を書いておく場所として開いたブログです。CDレヴューはあくまでもオマケなので、レヴューするためにCDを買う、なんてのはもうやめます。でもジャンクドリンクやニコニコ動画クラシック支部の応援は地道に続けます。
3. ここを管理しているのは惰弱な人間です
いただいたコメントとTBには必ず目を通しますが、場合によってはお返事がなかったりすることもあるでしょうし、場合によっては一時的にコメント欄TB欄を閉じることもあるでしょう。そういう心の弱い人間が書いているブログだと思ってください。
4. その他
・twitterへの移行も少し検討しましたが、長文には全然向かないこと、検索性が著しく弱いこと、mixiと同じように内輪ノリが激しくてそれが頭にくること、楽しい書き手のみんながtwitterに閉じこもって出てこなくなったのが悲しいこと等あり、はっきり言ってtwitterには可能性よりも反感のほうを強く感じている。今どこにいるとか、これから何食べるとか、そんな事どもをネットの海に放流することに対して自分はほとんど興味が湧かない。これからも引き続きexciteのお世話になることにします。
・もし今後のエントリの中で、以前書いていた内容と矛盾が生じていても、寛大な心でスルーしてください。われわれが普段被っているリアルのキャラクタが、あたかも泥のように少しずつその中身を変えても許される(または気づかれない)一方で、ネットのキャラクタがガラスのようでなければならない理由はないだろうと思うのです。朝にショスタコーヴィチを愛し、夕にシューベルトを愛したっていいではないか。
・たくさんの人たちのためにたくさんの人たちの好みに合わせて何かを生み出していく作業は限界。
今までよりずっとひどいブログになると思いますが、そんなのでも見に来てやっていいぜという皆さまだけのために、これから書いていこうと考えています。よろしくお願いします。
1. 緩やかにします
ほぼ毎日更新の負担が大きく、もう自分で嫌気がさしてきたので、どんなにやってもせいぜい隔日、少ないときは2週に1回程度まで更新頻度を下げます。
2. 初心に帰ります
ここは、もともと演奏会の感想文を書いておく場所として開いたブログです。CDレヴューはあくまでもオマケなので、レヴューするためにCDを買う、なんてのはもうやめます。でもジャンクドリンクやニコニコ動画クラシック支部の応援は地道に続けます。
3. ここを管理しているのは惰弱な人間です
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4. その他
・twitterへの移行も少し検討しましたが、長文には全然向かないこと、検索性が著しく弱いこと、mixiと同じように内輪ノリが激しくてそれが頭にくること、楽しい書き手のみんながtwitterに閉じこもって出てこなくなったのが悲しいこと等あり、はっきり言ってtwitterには可能性よりも反感のほうを強く感じている。今どこにいるとか、これから何食べるとか、そんな事どもをネットの海に放流することに対して自分はほとんど興味が湧かない。これからも引き続きexciteのお世話になることにします。
・もし今後のエントリの中で、以前書いていた内容と矛盾が生じていても、寛大な心でスルーしてください。われわれが普段被っているリアルのキャラクタが、あたかも泥のように少しずつその中身を変えても許される(または気づかれない)一方で、ネットのキャラクタがガラスのようでなければならない理由はないだろうと思うのです。朝にショスタコーヴィチを愛し、夕にシューベルトを愛したっていいではないか。
・たくさんの人たちのためにたくさんの人たちの好みに合わせて何かを生み出していく作業は限界。
今までよりずっとひどいブログになると思いますが、そんなのでも見に来てやっていいぜという皆さまだけのために、これから書いていこうと考えています。よろしくお願いします。
Tags:日常
■9月 5日(土) アントネッロ:バルトロメオ・デ・セルマ作品集@近江楽堂
■9月 9日(水) ホグウッド/N響 第1652回定期公演Bプロ
■9月11日(金) ロイヤル・オペラ・ハウス《兵士の物語》@新国立劇場
■9月20日(日) ホグウッド/N響 第1653回定期公演Aプロ
■9月21日(月) クララ・シューマン 愛の協奏曲
■9月23日(水) スクロヴァチェフスキ/読売日響 芸劇マチネー
■9月26日(土) ホグウッド/N響 第1654回定期公演Cプロ
■9月27日(日) ジャン=ギアン・ケラス 無伴奏チェロ組曲選集@ミューズ所沢
+ + +
■10月3日(土) 古典四重奏団 ショスタコーヴィチ・ツィクルスvol.2-1
■10月10日(土) 東京二期会+読響 《蝶々夫人》
■10月11日(日) ゲルネ+エマール
■10月12日(月) 横浜バロックアンサンブル 第3回室内楽コンサート
■10月17日(土) ふて寝
■10月23日(金) ピーター・ウィスペルウェイ 無伴奏チェロリサイタル
■10月24日(土) ラザレフ/日フィル 第614回東京定期演奏会
■9月 9日(水) ホグウッド/N響 第1652回定期公演Bプロ
■9月11日(金) ロイヤル・オペラ・ハウス《兵士の物語》@新国立劇場
■9月20日(日) ホグウッド/N響 第1653回定期公演Aプロ
■9月21日(月) クララ・シューマン 愛の協奏曲
■9月23日(水) スクロヴァチェフスキ/読売日響 芸劇マチネー
■9月26日(土) ホグウッド/N響 第1654回定期公演Cプロ
■9月27日(日) ジャン=ギアン・ケラス 無伴奏チェロ組曲選集@ミューズ所沢
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■10月3日(土) 古典四重奏団 ショスタコーヴィチ・ツィクルスvol.2-1
■10月10日(土) 東京二期会+読響 《蝶々夫人》
■10月11日(日) ゲルネ+エマール
■10月12日(月) 横浜バロックアンサンブル 第3回室内楽コンサート
■10月17日(土) ふて寝
■10月23日(金) ピーター・ウィスペルウェイ 無伴奏チェロリサイタル
■10月24日(土) ラザレフ/日フィル 第614回東京定期演奏会
Tags:演奏会
道のゆくてを遮る木蔭の一つ一つが、あらたかで神秘に思われた。雨になれば川底のようになるであろうその道の雑な起伏が、日の当るところはまるで鉱山の露頭のようにかがやいて、木蔭におおわれた部分は見るから涼しげにさざめいている。木蔭には原因がある。しかしその原因は果して樹そのものだろうかと本多は疑った。

沼があった。沼辺の大きな栗の強い緑のかげに休んだのであるが、風一つなくて、水すましの描く波紋ばかりの青黄いろの沼の一角に、枯れた松が横倒しになって、橋のように懸っているのを見た。その朽木のあたりだけ、かすかな漣がこまやかに光っている。その漣が、映った空の鈍い青を擾している。葉末まで悉く赤く枯れた横倒れの松は、枝が沼底に刺って支えているのか、幹は水に涵っていず、万目の緑のなかに、全身赤錆いろに変りながら、立っていたころの姿をそのままにとどめて横たわっている。疑いようもなく松でありつづけて。

道の勾配は急になったが、もう山門が近いという思いと、杉木立が深くなって涼風が立って来たのとで、本多の歩みはよほど楽になった。道の上のところどころに帯をなして見えるのは、前には木蔭だったのが、今度は日向であった。
その杉木立の暗みの中を、白い蝶がよろめき飛んだ。点滴のように落ちた日ざしのために燦と光る羊歯の上を、奥の黒門のほうへ、低くよろぼい飛んだ。なぜかここの蝶は皆低く飛ぶと本多は思った。

黒門をすぎると、山門はすでに眼前にあった。ついに月修寺の山門へ辿り着いたかと思うと、自分は六十年間、ただここを再訪するためにのみ生きて来たのだという想いが募った。
車寄せの陸舟松が奥に見透かされる山門に立ったとき、現実に自分の身がここにあることを本多は殆ど信じかねた。山門をくぐるのさえ惜しく、今はふしぎに疲れも癒えた心地で、小さな耳門を左右に侍らせ十六弁の菊の紋瓦を屋根に連ねた山門の柱に佇んだ。

山門をくぐると卵いろの五線の筋塀に沿うて、黄ばんだ小砂利に、四角い敷石が市松つなぎに内玄関まで敷かれてある。本多が杖でひとつひとつこれを数えて、九十に達したとき、ひたと閉め切った障子に、菊と雲の紋様の白い切紙細工の引手のある、内玄関の前にその身は在った。

これと云って奇功のない、閑雅な、明るくひらいた御庭である。数珠を繰るような蝉の声がここを領している。
そのほかには何一つ音とてなく、寂寞を極めている。この庭には何もない。記憶もなければ何もないところへ、自分は来てしまったと本多は思った。
庭は夏の日ざかりの日を浴びてしんとしている。三島由紀夫『天人五衰』
目的の場所を訪れることができ、今は心から満足しています。
2005年2月に始めたこのブログも、いつの間にか5年目に突入しました。ずいぶん長く続けたので、ここで遅めの夏休みをいただこうと思います。ただ、そのままさよなら、とするほどの意志の固さは自分にはないので、少ししたら再びお会いすることになるでしょう。
それではまた、その時まで!
2009年8月31日
【2009年8月28日(金) 19:00~ サントリーホール】●リゲティ:《サンフランシスコ・ポリフォニー》
●ウェーベルン:オーケストラのための5つの小品 op.10
●ウンスク・チン:大オーケストラのための《ロカナ》
●スキ・カン:大オーケストラのための《カテナ》
●ウンスク・チン:中国笙とオーケストラのための協奏曲《シュウ》
→ウー・ウェイ(笙)
⇒秋山和慶/東京交響楽団
とにかくというかやっぱりというか、客席が豪華でした。見かけただけでも岡部先生(は当然か)、一柳氏、池辺氏、その他業界の偉い方たちばかりという感じで。彼らが座っていた正面席ではどう聴こえたんかいなあ。僕が座ったステージ脇上も聴こえ方が面白かったですけどね。あれで2000円は安い!
結論は、リゲティとウェーベルンの凄さが改めてわかった、ということです。
《サンフランシスコ・ポリフォニー》は、クラスターのプールの中で色とりどりのゴム鞠がぶつかり合うような様子がとんでもなく美しかったし(晴朗な夏だ!)、5つの小品はウェーベルンの強烈なロマンティシズムがねっとりと凝縮しているのがやっぱり理解された。ウェーベルンは100年分、リゲティは30年分の時の淘汰に揉まれて生き残っている作品たちであり、古典たるに必要なパワーを強く感じた次第。藝術だ。
一方、リゲティの弟子であり、1961年生まれのウンスク・チンはどうであるか?
管弦楽のための合奏協奏曲とでも言える《ロカナ》は特にその傾向が強いように思われたのですが、その文脈では彼女の次の言葉が意味深く響きます。
文化的に異なる出身地を持つからでしょうか、私はシンフォニーオーケストラというものの音響について、ある種の反発を覚えています。19世紀的な美学の残滓が感じられる時には、特にそうです。(後略)…「反発」どころか、僕には「憎悪」に思われました。絶え間なく(あるいは意味もなく)炸裂する打楽器に、厳しく切り込んでくる管楽器、量感を持たない代わりに鋭敏な弦楽器は、いずれも極めて峻厳に響きます。
大管弦楽は、巨視的に見れば自明である展開を許されず、微視的に見れば各パートそれぞれの「らしさ」を禁じられ、ただ手も足も捥がれて舞台の上に転がされているような、そんな感じ。師匠のスキ・カンの作品が持ち得ない、聴き手を引き込む強い力をウンスク・チンの作品は持っているけれど、そこに漲っている否定や嫌悪のような負のアトモスフィアを、聴衆としての自分は受け入れられませんでした。こういうヒステリックな絶叫の連続なら、もう少し短くまとまるのではないかしらという気もします。
笙協奏曲《シュウ》は(笙の音量を慮ってのことでしょうが)全体にテクスチュアが薄め。ただし今回のソロに使われた中国笙はオーボエやファゴットのようにキーが装着されていて、ちょっとサイボーグみたいな雰囲気であり、音量も少なくとも日本の笙より大きいようでした。音色の似たアコーディオン協奏曲として聴いてみてもよかったかもしれない。
こちらの作品は笙奏者の超絶技巧にすっかり目が眩んでしまったのと、《ロカナ》のようなヒステリックさがあんまりなかったために、比較的好印象ではあった。それでも、またこの音楽のために自分の数十分を付託しますか、という質問への答えは自明です。
+ + +
31日の《グルッペン》3点盛り、聴きたかったなあ。
【ORFEO/C013821A】<ラヴェル>
●Pf協奏曲ト長調
●左手のためのPf協奏曲ニ長調
→クン・ウー・パイク(Pf)
⇒ガリー・ベルティーニ/シュトゥットガルト放送交響楽団
このCDはベルティーニの数少ないスタジオ録音盤ということで入手していたものです。1981年のベルティーニはここで、チェリビダッケ政権が終わった後のシュトゥットガルト放送響を使い、夢のような人工楽園を造営しています。ベルティーニが伴奏をするラヴェルの協奏曲は(ト長調の方ね)、アルゲリッチをソロに迎えたライヴ録音が先年発売されていますが、あそこに記録されているものに比べるとこちらのスタジオ録音は当然ながら塵ひとつないくらい滅菌されて、構造が燦然と輝いています。
ところが、聴き始めて最も注意を惹くのは、実はクン・ウー・パイクの極端に禁欲的なソロなのでした。僕はこの人がNaxosに録れているプロコフィエフの協奏曲全集が結構好きでこれまでも聴いてきたのですが、記憶にあるそのパフォーマンスに比べても、このラヴェルはあんまりにも静かでたじろがず、騒がず、動かない。凄い。
両手協奏曲の第1楽章と第3楽章のパイクは、ベルティーニの人工楽園の中を浮遊するだけで良しとしているような雰囲気。Pfソロの録音レベルが極端に低いということ以上に、オケを押しのけて前に出ようなんておこがましいと、そんなふうな姿勢が感じられる。テクニックは抜群な人なので余計そんな感じなのですが、「ピアノ協奏曲」として作曲された音楽の録音で、ピアニストがこんなに脇役を楽しそうに演じている例を僕は他に知らない。
じゃあ真ん中はと言ったら、その第2楽章こそこの録音の肝なのだ。
人工楽園が夜を迎えて閉園した後、相対的にパイクの緩やかなそぞろ歩きがクローズアップされることになります。この楽章のメロディの美しさを、並みの演奏よりもずっとずっと雄弁に語ってくれるのが、ここでテンションが上がってしまうでもなく、ふんわりとしたアーティキュレーションのままでストイックに演奏してしまうパイクの演奏なのですね。
昼間ガチャガチャとうるさい人が、夜になってムード満点になることの嫌らしさを、この罪作りな協奏曲はしばしば教えてくれます。ここでは、そこがよくわかっているベルティーニとオーケストラの強いサポートもあって、パイクの静かな声が静かに響く。とてもいい演奏ですよ。
一方、作品としてより優れる左手協奏曲は、指揮者のほうでかなり熱くなっている感がありまして、透明感のある管弦楽がしなやかに伸び縮みする様子は、クラシック音楽を聴く醍醐味の一つ。ベルティーニが遺したスタジオ録音の中でも、この左手協奏曲の伴奏は忘れてはならないものだと思いますね。パイクもそれがわかってか、両手のときほどには控え目ではなく、華やかな見得を切ったりしている。
【DECCA/POCL1208】●ショスタコーヴィチ:交響曲第10番ホ短調 op.93
⇒サー・ゲオルグ・ショルティ/シカゴ交響楽団
(1990年10月/シカゴ・オーケストラホールでのライヴ録音)
「ショルティの芸術」みたいな国内廉価再発売シリーズにも、この録音だけは登場しません。このディスクだけは絶対的に入手困難であり、タコ10コンプリートのラスボスの一角なのでありましたが、ついに先般、某オークションにて落札に成功しました。えがったえがった。
とりあえず一周聴いてみて思うのは、オケがベラボーに巧いというその点であります。
この交響曲の録音史にはカラヤン/ベルリン・フィルの2種類のスタジオ録音や、ムラヴィンスキー/レニングラード・フィルの作曲家追悼ライヴみたいに圧倒的なアンサンブル天国(あるいは地獄)を見せ付けられるものがいくつかありますが、シカゴ響唯一の録音であるこのショルティ盤は、オケメンたちが自分たちの技巧をこれでもかと誇示するような不敵な明るさがあって、カラヤンやムラヴィンスキーとは違う地平に存在しているようです。
この交響曲は本当に変な音楽なので、いかにも雰囲気ありげな肌触りとのバランスに目を配りすぎるあまり、楽天の中に「悲劇的な」調子を混ぜ込むという細工を弄した結果として、これまで聴いた演奏の大部分は火の加減に失敗して生煮え状態になってしまっていたのが現実です。
果たしてショルティの指揮は何を生んでいるか?第1楽章と第3楽章の意味深長なアトモスフィアは一顧だにされていませんが、反対に第2楽章、それから特に第4楽章はちょっと類を見ないくらい猛烈な躁状態で、全体を俯瞰すると竹を割ったように明快な構造をしています。1953年の作曲家が脳裏に描いていたのは、たとえばデプリーストやリットンのように真面目くさった生硬な曲づくりではなくて、きっとこのショルティのように突き抜けてしまう音楽だったのだと思う。
アレグロに突入した後の第4楽章は、興奮のあまり息を継ぐ暇もなくて、浅い呼吸による酸欠的な快感を漂わせています。僕がこの交響曲を聴き尽くそうと思ったきっかけは、このアレグロの破滅的な身振りから電波的な何かを受信してしまったためでありますが、ここにきて十全のカーニヴァル状態に浸ることができ、今まさに幸せを噛み締めているところなのです。
【2009年6月19日(金) ザ・シンフォニーホール】<ドイツ・ロマン派の秘密>
●S. ワーグナー:歌劇《異教徒の王》~間奏曲〈信仰〉
●同:交響詩《幸福》
●ブルッフ:交響曲第3番ホ長調 op.51
⇒児玉宏/大阪シンフォニカー交響楽団
(2009年8月23日/NHK-FM)
はあ。そうなのです。大阪シンフォニカー交響楽団もプログラミングが凄いのです。冴えまくっているのです。もうちょっと名古屋にいる期間が長かったら(あと、定期が平日じゃなかったら…)、きっといつかシンフォニカーの定期は聴きに行っていたはずなのです。この定期演奏会もマニアックな章立てで、ぶらあぼの裏表紙裏に載っているキレイな広告を見て、ムズムズと行きたくなっていたのでした。FMシンフォニーコンサート様様だ。
実にジークフリート・ワーグナーの音楽を聴くのは本当にこれが生まれて初めてでして、確かにオヤジさんに酷似してはいるものの、オヤジさんにはない肯定的な素直さがスコアに漲っているみたいで、これはこれでいいなあと思う。無条件でキレイだもんなあ。児玉氏の指揮を聴くのは初めてのような気がしますが、ここではシンフォニカーの音色は明るく色彩的で、何よりそこからノリの良さみたいなものを感じるんですよね。ノリのよさは演奏者側の強い理解と深い共感によってのみ生まれるものと思いますが、未知の作品を聴かせてくれるのにこれほど大事な要素はない。こないだのヴィラ=ロボスのときも強く感じたこと。
オペラの超絶ハッピーエンドの予感を漂わせる間奏曲〈信仰〉の美しさ。豊かな旋律美に基づく音楽が、素直に幸福を物語る交響詩《幸福》。確かに第一次大戦から戦間期にかけてこんなに素直なロマン派ぶりを示していたら、「勝者」たちが書いた音楽史の中では一章も与えられないだろうし、オペラでもし何時間もずっとこの調子だったら、脳ミソに花が咲きそうで辛い。それでもグラズノフやラフマニノフがオケのレパートリーとして定着しているのなら、このジークフリート・ワーグナーだって普通に聴かれていいよなあ。簡単に忘れられるには惜しい才能のように思いました。「勝者」たちが「ネタ」化した今だからこそ。
さてブルッフ。クラシック好きの(たぶんクラヲタではないと思う)友人の中に随分なブルッフ好きがいまして、一体ブルッフの何が彼を駆り立てるのか謎でしたが、この放送でその一端が窺えたような気がします。ああこれはカッコイイ。
結局さっきの話に戻ってしまうけど、ブラームスはシェーンベルクにジョイントされたために「勝者」の音楽史にも名前が残ったのに対し、ブルッフがウェーベルンに華々しく評価されたというエピソードがない以上、半ばは意図的に埋められていったというところなのでしょうか。音楽史がドラスティックに変わっていくのが許せない人たちだって、きっといたはずなのです。児玉氏からのメッセージにもあるとおり、自分はここにメンデルスゾーンを感じる。溌剌と躍動する親しみやすい旋律、全然深刻ぶらない第2楽章の優しさ、これも忘れられるのは惜しい。。
【CINCIN/CCCD1021】●ショスタコーヴィチ:交響曲第4番ハ短調 op.43
⇒ゲンナジー・ロジェストヴェンスキー/
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(1978年4月16日/ムジークフェラインザール)
ウィーン・フィルによるショスタコーヴィチの第4交響曲は、ゲルギエフの2006年ライヴがとーっても美しい演奏だったのが記憶に新しいところですが、このライヴよりも前にウィーン・フィルで取り上げられたのは、もしかしたらこのディスクに収められたロジェヴェン先生の1978年ライヴだけなのではないかなと思います。しかしこの交響曲とウィーン・フィルとの(イメージ上での)親和しなさ、聴いてみての(イメージを覆す)親和は、あるいはゲルギエフ以上に強く感じ取られるところ。
第1楽章は(いろいろと楽しいポイントはあるにせよ)、最後のコンマスソロが歴代最高位の放埓な美しさを湛えていることを第一に書いておきます(ヒンク?ヘッツェル?)。その後のファゴットとコーラングレも猛烈に美しい。この背景で、右チャンネルにカラカラカラとガラスが触れ合うような混線があるのですが、それでも、この部分のプレイを耳にするだけでも、この録音を捜し求める価値はあると思います。
すでに後年のロジェヴェンらしくしつこくてマニアックな造形なのに、その捕縛を逃れ出てくる響きは仄暗く、そういえばショスタコーヴィチをこのように演奏する人たちはいないなあと(白々しくも)気づかされます。とてもロシアン・アヴァンギャルドには聴こえず、マーラーというよりベルクの青白い美しさを髣髴とさせる感じ。若き日のロジェヴェンも、自分の振り下ろしたタクトからこのような響きが出るとは思いもよらなかったのではないだろうか。
第2楽章はレントラー風味が思ったより薄くてエッジも立っておらず、最後のチャカポコチャカポコまでぼんやりして、軽い羽毛のような手触りが心地よいです。むしろちょっと散漫な雰囲気になっているのが新鮮。。あーオケはきっとやる気ないんだろうなーいいなあー(笑)
もっそりと始まるも途中から急に集中力を取り戻す第3楽章。
ロジェストヴェンスキーがあんまりおかしなことをせず、薄い筋肉質の響きにまとめているのも大きいように思いますが、ワルツやギャロップが鳴り響く遊園地風の箇所に差し掛かって、にわかにオケのテンションが上がるのがわかります。金管コラールはブルックナーみたいで気持ちがよさそうですが、反面ヤケクソのような雰囲気もある。1978年のVPOにロジェヴェン先生のタコ4では、小さな躯体のminiに重量のあるディーゼルエンジンを積んでいるような趣きもなくはない。
ともあれ燃焼の効率は極めて高く、ネタだと思って聴き始めると痛い目に遭います。全編擬似ステレオみたいで実に聴きづらい音質なのに、それを乗り越えてくるものがあるんだなあ。カラヤンがシュターツカペレ・ドレスデンを振った第10交響曲と並んで、異種格闘技の真摯さに心打たれる一枚。
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