大井浩明 Beethovenfries 第六回公演@京都文化博物館

c0060659_8124535.jpg【2008年10月30日(木) 18:30~ 京都文化博物館】
<大井浩明 Beethovenfries 第六回公演>
《いと麗しき新世界(とつくに)かな》
●ソナタ第16番ト長調Op.31-1
●ソナタ第17番ニ短調Op.31-2 《テンペスト》
●清水一徹:フォルテピアノのための《老人の頭と鯨の髭のためのクォドリベット》(世界初演)
●ソナタ第18番変ホ長調Op.31-3
●ソナタ第21番ハ長調Op.53 《ワルトシュタイン》
 ○ジェフスキ:《ウィンズボロ紡績工場のブルース》冒頭部分
 ○《アンダンテ・ファヴォリ》 WoO.57
⇒大井浩明
 (Jones-Round & Co., 1805年 ロンドン製 68鍵イギリス式アクション)
 (Muzio Clementi 1800年頃 ロンドン製 68鍵イギリス式アクション)


10月30日は一年に一度しかない誕生日だったので、休暇を取得し(フランス・ブリュッヘン氏も74歳の誕生日おめでとう!)、自動車免許の更新だとか部屋の掃除だとかクレジットカードの手続きだとか、もろもろの雑事を午前中に済ませる。
それから、京都に向かう。
大井浩明氏が進めているベートーヴェン・ツィクルスを聴くためです。

烏丸御池駅から地上に上がって三条通を進むと、やがて見えてくるのが当夜の会場である京都文化博物館の別館。この建築は1906年竣工、旧日本銀行京都支店なのですが、辰野金吾の設計なので東京駅にそっくりですな。雰囲気も満点であるぞよ。

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この日、使用された楽器は二台ありましてです。
一台が「イギリス式グランドピアノの始祖鳥」ことジョーンズ・ラウンド。こちらは存在が大変珍しく、またこの百年間一度も弾かれていなかったらしいのだけど、それを山本宣夫氏という方が修復し今回のコンサートに提供したみたい。
形はいちおうグランドピアノ、しかし木製かつ構造が脆弱で、打鍵やペダリングでミシミシギシギシと揺れるので恐ろしい。響きは安定しないし発音は繊維っぽくて無骨だし、楽器というよりはピアニストの身体運動を増幅する道具といったイメージを持ったのです。でも、この素直な道具性、これがピアノの歴史における重要な一歩だったのでしょう。

そしてもう一台が「スクエアピアノ」ムツィオ・クレメンティ
こっちは「18世紀の黄昏」とのことで、格好も音色もクラヴィコードの親玉といった感じ。道具ではなく残酷なほど楽器であって、しかも取り付くしまのないくらい完成されているんですね。ジョーンズ・ラウンドとは違い、楽器それ自体の個性は演奏者から独立していて、奏楽はピアニストとの共同作業といった趣き。

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まず第16番ト長調のソナタは、気のいいおっさんが酔っ払いノリで絡んでくるような憎めない音楽なんだけれども、ジョーンズ・ラウンドによって増幅された大井氏の手管に掛かったために、あっという間に不穏でいびつな音楽に仕立て上げられてしまう。上手く言葉で説明が付かないんだけど、あのギョロギョロしたアーティキュレーション、バーバリックな和音の趣味は、ジョーンズ・ラウンドの持ち味を知っているピアニストが最大限にそれを利用したためなのだろうと思う。狼のような表現欲の前に、ベートーヴェンも貴重なフォルテピアノもすべて変容させられている。
なお、この曲の終楽章の一部をマーラーが《巨人》第1楽章にパクったらしい。マジかい。

それから《テンペスト》!O brave new world, That has such people in't !
あの第1楽章の妖艶な響きは忘れようにも忘れられない。この曲だけスクエアピアノを使った理由がよくわかりました。あんな和音をあんなふうに妖しく弾くにはグランドピアノは無骨すぎるし、自我を持った楽器との共同作業でなければならないでしょうから。
響きがあの筐体の中に充満して、堪りきれず溢れ出て滴り落ちるようなエロス。

そんな忘我の境地から、前半最後の新作初演で叩き起こされるわけです。
奇妙な題名はフォルテピアノの材料の名前。統一感のないというか、音域ごとに全然異なる色合いを持つジョーンズ・ラウンドの音色を巧く利用して、非常に攻撃的で常に互いに対立するような不安な音楽が出来上がっておりました。《シナファイ》を弾く大井氏はこういう感じなんでしょうが、弾き終えてからブフーっと吹き出しておられたのはなぜ(笑)

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さて大井氏がまたジョーンズ・ラウンドに座って、、第18番変ホ長調のソナタがずいぶんブリリアントな音色だったので驚きました。休憩時間中の調律がクリティカルヒットだったのか、あるいは抜群に変ホ長調に合った楽器(調律?)なのか、詳細はわからないのですが、無骨でギスギスしているのになぜか輝かしいあの音色は不思議。第2楽章スケルツォの掴みかかるような陽気さとともに、あれは魔人の采配?

最後の《ワルトシュタイン》は、作品31の3曲の後では、ベートーヴェン内部の深化を見出すにふさわしい音楽です。ジョーンズ・ラウンドはそのスペック上限一杯一杯の音を出して対応するのですが、明らかに「道具」としてのジョーンズ・ラウンドの枠を超えてしまったなあという局面もあるし、大井氏の方でもライヴならではのヒヤリとさせられる瞬間を与えてくれるので、いろいろなイメージが交錯して湧き上がる20数分でありました。
第2楽章の深沈とした和音なんかは、この楽器が出すことのできる最上の音であり、またモダンのコンサートグランドが「製品」化するところで切り落とされていった「弱み≒味わい」部分の最良な結実だったと思われます。素晴らしかった。

最後に、《ワルトシュタイン》練習中にジェフスキの「しょうもない曲」を思い出した、という楽しい挿話のあと(笑) ムツィオ・クレメンティに座って《アンダンテ・ファヴォリ》を弾いてくれました。こっちは本当にツンと澄ましたお嬢さんのような楽器だなあ。

終演後、修復者・山本宣夫氏によるまさかの「ジョーンズ・ラウンド触っていいよ宣言」が発令され、わあっと群がる聴衆の図(辛うじて左側に天板が見える)。僕も一番上のソを弾きましたが、鍵盤はごくごく軽い反応だったです。


魔人・大井浩明とフォルテピアノの名器とベートーヴェンの交錯。濃密な時間。
by Sonnenfleck | 2008-11-01 07:38 | 演奏会聴き語り
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