METライブビューイング 《サロメ》@ミッドランドスクエアシネマ

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【2008年11月2日(日)10:00~ ミッドランドスクエアシネマ】
●R. シュトラウス:歌劇《サロメ》
⇒ユルゲン・フリム(演出)
→キム・ベグリー(T/ヘロデ)
  イルディコ・コムロージ(MS/ヘロディアス)
  カリタ・マッティラ(S/サロメ)
  ユハ・ウーシタロ(Br/ヨカナーン)
  ヨゼフ・カイザー(T/ナラボート)、ほか
→パトリック・サマーズ/メトロポリタン歌劇場管弦楽団
(2008年10月11日/メトロポリタン歌劇場)


いやー行ってきましたよー。METライブビューイング。
最近「おかか1968ダイアリー」さんと同じ動きをしていますが(笑) 東京在住であればいざ知らず、東海北陸広域圏在住であれば、クラ的に興味の湧く対象は限られてきますね。

たぶん3年ぶりくらいの映画館なので、オドオドしながらチケットを買って座席へ。
燦燦と晴れた日曜の朝10時に、幸せそうな家族連れやカップルのただ中で、キャラメルポップコーンの甘い香り漂う空間で、恍惚とした血まみれの女が男の生首に接吻する演目。
(レイトショーにならないんですか松竹さん。。)

もっともっと「映画」なのかなあ、大音響のサラウンドでオケの音が聴こえてきたらやだなあ、と思ってたんですが、実体はかなり「オペラ」を感じさせる。というか感じさせるように地道な努力が払われている、と書くべきでしょうか。
映像の解像度が高くて皺の一本一本が見えるというのは本当ですし、開演前のざわめきをそのまま流したり、終演後のカーテンコールを平土間の人々の頭越しに見せたりの工夫は当たっている。一方カメラは固定ではないのでかなり動くのですが、編集のセンスがよいためにそんなに気にならない。ただ前の方に座ると眼がスクリーン全部をカバーし切れないので、中心に捉えられている歌手だけ見られればよいという方を除き、演出の細かい部分まで視たいというクラヲタ連はできるかぎり後方に座るべきですかね。

ただ、映画なので拍手は起こらない。拍手という自己表現を奪われるので、自分が映画館のシートに座っていることを最後に強く意識させられるのは、、ちと寂しいですが。
ここをご覧になっている方たちで「METライブで拍手OFF」でもやりましょうか(笑)

+ + +

さてこの間のびわ湖サロメ@グルーバー演出の記憶も生乾きでありますが、ユルゲン・フリム演出はいかにも正調、ネオリアリズムといった感じで、際立った読み換えもなく粛々と物語が進展します。砂丘の間の井戸の牢獄、ヨカナーンは釣瓶の装置で上下し、サロメは一人で、ナラボートは自殺し、生首は血まみれ、サロメは死刑執行人の奴隷に殺される―、安心と伝統のコンサバ演出ですね。
一点だけちょっと面白かったのは、ヘロデが「翼の音がする」って錯乱しながら何度か言うじゃないですか。あれと呼応しているのかどうか不明なんですが、舞台の最後方である砂丘の縁から、物語中ずっと「翼のある黒ずくめの登場人物たち」が様子を眺めているんです。初めは数人だったのが物語の進展とともに徐々に増えてゆき、最後は7人になるので7大天使ってやつなのかなあ。幕切れでサロメを殺す役目だったらさらに興味深かったのですが、最後まで動かず。いずれオカルトっぽくて受けが良さそうです。

歌手たちは、、びわ湖サロメと比べる意味がないでしょう。
マッティラ(サロメ)とウーシタロ(ヨカナーン)の応酬、かわいそうなカイザー(ナラボート)、コムロージ(ヘロディアス)のいやらしい欺瞞。それから「7つのヴェールの踊り」以降幕切れまでのマッティラの凄惨な声、、これが有無を言わせず迫ってくるのです。おぞましいのに美しい、正調サロメ。クラシカル・ウォッチさんの「『ザロメ』と発音した方が相応しい公演」というのはまったく言い得て妙で、世界でも一線級の歌手たちによる、ほとんど仮想現実的な共演でした。これを生で視たり聴いたりする自分があんまり想像できない。

唯一、ベグリー(ヘロデ)だけは、歌い手のノーブルな善良さが声にも演技にも滲み出てしまって何とも中途半端。助平な好々爺みたいになっちゃって、サロメの要求をなだめるところなんかかわいそうになってしまいました。びわ湖の高橋淳ワールドの方が、僕は好み。

オケもなあ、、センチュリー響と比べる意味はないわなあ。
METオケの芳醇な(時として威圧的にぶよぶよと響き渡る)音ブレンドは、日本のどこに行っても聴くことができないでしょう。強烈な不協和音が素晴らしいのは言うに及ばず、このオペラに特徴的な、ヨカナーンがイエスのことを口にする際に鳴る神々しい和音が何とも自信に満ちているのが面白い。こういうのは所属する文化の違いだろうなあ。

+ + +

最後にマッティラ(48歳熟女)の演技について書いておかねば。
確かにイブニングドレスから覗く背中のお肉がたぷたぷだし、顔にも隠しきれない皺が浮んでいるんだけど、不思議と違和感がない。強靭な声質ももちろんのこと、いかにも少女らしい「無駄の多い動き」を(恥ずかしがっている様子なんか当然見せないで!これ大事!)巧みに演技していたので、聴衆もいつの間にか前提としてそういったことを了解します。

で、「7つのヴェールの踊り」は見ものかもしれない。
変な意味ではなくて、マッティラのたぐいまれな役者魂とその身体能力がダンスの形を取って我々の眼前に現れるからです。高々と足を上げる美熟女にカツモクすべし。どうやら最後の最後にフルヌードになったようなんだけどそこはカメラが映さずってことで、いい趣味でした。

+ + +

…という、すべての印象は、予告編として流れた《ドクター・アトミック》の映像の前にいささか(大幅に?)威力を減じています。
歌詞に現れる「NAGASAKI」の単語、天井からぶら下がる醜悪な原子爆弾、「廣島市」の地図が中心部から燃えていく映像、アダムズの「キレイな」音楽、すべてに肌が粟立つ。
日本人のクラシック者として、視、聴く責任があるような気がする。

《サロメ》は11月7日まで、《ドクター・アトミック》は11月29日から。
by Sonnenfleck | 2008-11-04 06:42 | 演奏会聴き語り
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