左のパンダ、
テレビ愛知のブログまとめサイトのキャラクタなんです。
そうなんでしょうね。赤いし。でもこのあからさまに適当なノリにはちょっと面食らう。
うちはノンポリブログなんでレーニンに深い共感とか全然ないけどさ。
パロディってのは、対象のことを憎むなり愛するなり、何がしかの深い感情が土台になってこそだと思うのです。翻って…テレビ愛知の担当者とデザイナーは何か深い感情を持っていたのかな?ブログパンダ→プロパガンダ→社会主義→レーニン、ってテキトーに連想しただけじゃないかな?意志なきパロディは文化を騙る贋物ではないかな?
ちょっと腹が立ってハチャトゥリャーンの
《レーニン追悼の頌歌》(1948)を聴きました。
ジダーノフ批判によって産み落とされたいくつかの作品のひとつ。この作曲家らしい仄暗いロマンティシズムがとても美しい。チェクナヴォリアン/アルメニア・フィルの録音で。