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on the air:カラヤン、悲愴'84@TOKYO MX

お正月休みも終わってしまう。

on the air:カラヤン、悲愴\'84@TOKYO MX_c0060659_948087.jpg【1984年1月 ウィーン・ムジークフェライン大ホール】
●チャイコフスキー:交響曲第6番ロ短調 op.74 《悲愴》
⇒ヘルベルト・フォン・カラヤン/
  ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
→坂本知子(司会)、山崎浩太郎(解説)
(TOKYO MX/2009年1月4日)

独立UHF放送局って動きが面白くて、なぜかORFと提携を結んでいるTOKYO MXはこういう番組を突然放映したりするんですよね。カラヤン生誕100年だった昨年放送されたものが年末年始にまとめて再放送されていて、これはその第7夜。

MXの特設ページではORFの蔵出し音源みたいに謳っているけれども、これはDVDになっているテレモンディアル収録の有名な映像作品。
自分が物心ついたころすでにカラヤンは亡くなっていて、そのため(だろう)、歴史に名を残した大勢の優れた指揮者のひとり、という認識でいます。リアルタイムで新譜攻勢を体験していたらもっと違う印象を持っていたかもしれないけど、それすら知らない素朴ポジションからすれば、あれほど個性的で優れた演奏を多く残しているのに、どうしてカラヤンはあんなに貶められることが多いんだろうなあ、という疑問を感じる。むしろ。残された音楽以外のことでいまだにああだこうだと言われるのを見ているとかなり不思議な感じがするし、意地になって全肯定派と全否定派に分かれなくたって別にいーんじゃね?と思うわけで。

テレモンディアル=カラヤン制作の映像作品だってそうです。
あんなにとろとろできらきらの音響美を体験することって、ほかにどれくらいあるでしょうか?無呼吸的というか、ただ流してるだけではないかという部分も確かにあるんですよ。「横の流れが呼吸していない現象」はカラヤンのスタジオ録音でよく聴かれると個人的には思っていて、それがカラヤン全否定派の方たちには耐えられないんだろうなと想像するんですが、この《悲愴》はその程度が低いし、何よりあのように豪奢に仕立てられた音響美の前では流れが止まってても別にいいかなと思ってしまう。
さらに、レンブラントのようにキアロスクーロを明確にされた団員たちの横顔や、横一線に居並ぶ管楽器の威容なんかを見て、本当にユニークな美意識の持ち主だったんだなあと改めて感じます。ここに「生感」を求めるのは、ダリやエルンストを捉まえて「あなたの絵は現実に即していないからダメだ」と言ってしまうくらいのとんでもないお門違いアクションではないかしら。

この後は10日にブラ1、11日にブラ2が放送されるようです。
by Sonnenfleck | 2009-01-04 12:24 | on the air | Comments(3)
Commented by dr-enkaizan at 2009-01-05 03:13
今年も宜しく、さてカラヤンの壮年から晩年がちょうど蔵初めころと重なっているのですが。
 バーンスタインのように実演は聞けてませんが、FMでは新譜のプレのように、ライヴが聞け・・・来日生放送のようなこともあり、当然新譜攻勢で、そのたび物議をかもしても記憶があります。
>「横の流れが呼吸していない現象」
 自身マーラー九番の別世界のような、衝撃や六番悲劇的あたりでそれに当該する思いをしています。あくまでも流麗にレガート行うので抑揚が平坦に研磨された金属部品面持ですが、それが決して譜面の旋律造形やアテギュレーションを無碍にしていないところに、オケのドライヴはやはり一時代の長をなしえた証でしょうね。前述悲劇的の第一楽章の第二主題あたり、や他流でのアンダとのバルトークのピアコン3が典型としてお勧めします。つづく
Commented by dr-enkaizan at 2009-01-05 03:18
 >本当にユニークな美意識の持ち主だったんだなあと改めて感じます。ここに「生感」を求めるのは、
 ですね、映像の普及やデジタル時代の到来を見据えて作ったかのような、映像素材もその美学を一貫していたということが今となってはすごいと思います記録というより表現媒体目論見であったとこれからその評価転換するのかもしれません、今それらが普及して腰をすえて比較評価できる時代を迎えたというわけですね。
Commented by Sonnenfleck at 2009-01-05 23:37
>円海山さん
こちらこそよろしくお願いいたします。
「平坦に研磨された金属部品」「記録というより表現媒体」というのはまさにおっしゃるとおりで、あの、呼吸を止めたような別世界音響・彼岸映像は本当に独自の感覚ですよね。その独特の表現をあたかも普遍のようにやり続けたのが、またカラヤンの面白いところであると感じます。
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