初心38+ラグジュアリー39

c0060659_6412929.jpg【DECCA(TOWER RECORDS)/PROA242-6】
●モーツァルト:交響曲第35、36、38-41番
●同:セレナード第13番ト長調《アイネ・クライネ・ナハトムジーク》
●同:VnとVaのための協奏交響曲変ホ長調
●同:管楽協奏曲集
●ウェーベルン:管弦楽曲集
⇒クリストフ・フォン・ドホナーニ/クリーヴランド管弦楽団

ドホナーニ先生の魅力に気づいてから、どういうわけか廃盤だらけの彼のディスコグラフィーを辿り、いろいろと集めてきました。その中でも本当に影も形も見当たらないディスクもいくつかあって、具体的には《ラインの黄金》とか《ワルキューレ》なんか本当に存在してるのか自信がなくなってきたんですが、このモーツァルト+ウェーベルンの組物も探し当てることがまったくできなかった一品。もーう神様塔様ですよ。コンドラシンの《バービィ・ヤール》といい、どうしてあんなにも的確にこちらの萌えポイントを突いてくるんだろう?

取るものも取りあえず、まずは鍾愛の《プラハ》と39番を。。

c0060659_641435.jpg【DISC2】
●モーツァルト:交響曲第38番ニ長調 K504 《プラハ》
●同:同第39番変ホ長調 K543
●ウェーベルン:5つの小品 op.10
●同:交響曲 op.21

《プラハ》、この曲を初めて聴いたときのことを思い出していました。あのフレーズこのリズム、一体次は何が飛び出してくるのか?―正確に言えば、あのフレーズこのリズムをドホナーニがどんなふうに捌いていくのか、それを聴き取っていく作業に物凄い興奮を覚えてしまった。こんなことは滅多にない。
余計なアゴーギクをつけるなんていうことは絶対にせず、与えられたスコアを純粋に音化していくのがドホナーニ流モーツァルト。第1楽章主部への進入が電撃的に美しく(ここが聴けただけで満たされる)、また展開部へかけて真っ青な空のように恐ろしく純真な響きがしていて、これはその意味ではアバド/オーケストラ・モーツァルトと双璧をなしているということに気づきます。やっぱり自分が好きなのはこういう方向なのだ。
第2楽章は贅を凝らした調度品が整然と並ぶ廊下を散策するようですね。調度品の一つ一つは小ぶりですが、その配置のバランス感覚といったら。響きの結合はあくまで謙虚…でも自然に解れる一歩手前で、あるかなきかのような薄い膜で包まれている。完璧な秩序の下に設計された音響デザインに気づかず(あるいは価値を見出さず)「死んでいる」とか書いてしまう一部のヒョーロンカ先生方がとても気の毒です。

小股の切れ上がった《プラハ》に続くのは、こちらは浪漫水分を多めに含んだ第39番
入道雲のような恰幅のよさはドホナーニ先生ではあんまり聴かれない表現なので、かなり興味深いです。リズムもちょくちょく後ろへ凭れかかって、些事に拘らないラグジュアリーな空気感を醸し出すわけ。面白いなあ。こういうグランドマナーっぽいこともするんだなあ。
もちろんここで「些事に拘らない」のは外枠だけであって、その内部の響きはスマートにコントロールされてます。木管の斉奏なんか冗談ではなくオルガンのように聴こえますよ。

さて最後のウェーベルンの交響曲が、常ならずメッタメタにロマンティックです。
この濃密な陰翳!モーツァルトの余白にウェーベルンがあるんじゃなく、ウェーベルンを録音するためにモーツァルトを選んだだけなのかもしれません。この演奏からは確かにマーラーの骨が聴こえるし、もっと遡ってワーグナーの余韻もあって、ドホナーニの中の水脈を探り当てたような気分。
by Sonnenfleck | 2009-01-16 06:41 | パンケーキ(18)
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