オハン・ドゥリアンは誰でしょう

c0060659_58872.jpg【Lanne/LHC7086】
●ショスタコーヴィチ:交響曲第10番ホ短調 op.93
オハン・ドゥリアン/バイエルン放送交響楽団
(1980年1月10日 ヘラクレス・ザールでのライヴ?)

非常にたまげた。こんな演奏があったのか。
当方70何種類目かのタコ10録音ですが、ここまでの演奏はそれほど存在しないと思います。よく発掘されてきたなあ。。

この演奏、まず第1楽章とにかく遅いのです。ここですでに30分を使い果たすその歩みは、たとえばミトロプーロス/NYPによる演奏の1.5倍のペース配分。実測値以上に、耳に伝わる遅さのレベルが半端ではない。
しかしながら驚くべきは、このスピードでまったく弛緩しているように聴こえない音響設計の巧みさでありましょう。縦方向の意味のない膨張を戒める指揮者の働き、そこから生まれる物凄い緊張感がオケの弛緩を防ぎ、巨大な黒い立方体が滑らかに移動しているような趣きがあります。たとえばチェリビダッケの音響研磨術とは(結果的に同じように聴こえるけど)根本的に方向が違っているし、一方でクレンペラーのやり口にも少しだけ似ているけど、この指揮者はもっとずっと意志的。
第1楽章の終結部、この深沈として野太い響きはまるでザンデルリングのようで、、こうした肌触りの音楽は第一級の指揮者と素晴らしいオケの共同作業によってしか生まれないと思います。知り尽くしたと思っていたこの曲を聴いて、本当に手に汗を握らせてくれる演奏は久しぶりのことでして…ドゥリアンとは一体何者なのでしょう?!

ところが第2楽章になるとそのギアは一気にトップに入れられてしまって、驚きます。
スピードアップしながらも前の楽章のような引き締めをやめないものですから、バイエルンの優秀なオケはギリギリまで追い込まれて、音響運動体として理想的な動きをします。この整然とした焦燥感こそショスタコーヴィチの本質のひとつではないだろうか。たとえばムラヴィンスキーが生涯追求したようなところに、ここで到達している。
惜しむらくは、もともとナイスな状態ではないこの録音が、この楽章では盛大に荒れてしまっている点です。テープの回転ムラ?が酷くて音程が上下する有り様ですから、フツーな鑑賞という意味ではちょっと聴くに堪えない。でも、、聴いてほしい。。

テープが変わったらしく音質が一旦改善する第3楽章。重心が極めて低く設定されていて、神秘的という名の無為に陥りやすいこの楽章を片づけるためには、確かにこの策は有効なのです。スコアの読みが本当に深いと思う。そうとしか言えない。
ホルンの「エリミーラ!」3回目を導き出すあたりからのトゥッティの音が、これほどブルックナーのように響くことがあっただろうか。ゾクゾクしてしまいます。ヒートアップしがちな中間部でも響きを荒らさずに威厳を保つ自制力、そこに付いてきているバイエルン放送響の見事な合奏能力!
この楽章が納得できる演奏ってほとんど見当たらないのだけど、これは。これはいい。

そして第1楽章と同じように重々しく開始される第4楽章
冒頭のFgソロの歌い回し、それからそれを支えるトゥッティがセンス抜群で、まずここでうっとりします。Allegroへ入るとモーツァルトのように華麗な擬ロココ風世界に一変するわけですが、ここも凡百の演奏であれば今後の展開を(意味もなく)見越してしまった挙句、変に生臭く嫌らしくなってしまうんですね。ところがこの演奏の初々しさといったら!まったくどこまで完璧に造形してくるんだ!
DSCHの絶叫でホルン?が1名入りを間違えていますが、このレベルの演奏の中では瑕にはなりません。一旦がっくりとテンポが落ちて精妙な弦楽合奏ののち(このアイディアも面白い)、再び這い上がるようにしてFgとClの見事な掛け合いを聴かせて、最後は軽いタッチでディヴェルティメントのようにコーダへ突っ込んでいきます。。

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オハン・ドゥリアンは誰でしょう?
こんなに素晴らしいショスタコーヴィチを造形する人はあまりいません。「アリアCD」店主さんのコメントは全然大げさではありませんです。
ショスタコファンにはぜひともこっそり入手していただきたいと思いますが、一応のステレオ録音とは言え、全編にわたる大きめのヒスノイズ、前述した回転ムラによる音程の揺らぎ等、録音状態は万全ではありません。コンドラシンの第4交響曲の録音状態が我慢できる方ならば、、大丈夫だと思いますが。
by Sonnenfleck | 2009-01-28 05:09 | パンケーキ(20)
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