インバル/都響 『作曲家の肖像』 Vol.72 《ベートーヴェン》@芸劇

c0060659_6382432.jpg【2009年4月4日(土) 14:00~ 東京芸術劇場】
<ベートーヴェン>
●序曲《コリオラン》 op.62
●Pf協奏曲第2番変ロ長調 op.19
→ゲルハルト・オピッツ(Pf)
●交響曲第3番変ホ長調 op.55 《英雄》
⇒エリアフ・インバル/東京都交響楽団


年度を跨ぐこの時期、毎朝晩に電車の中でレイボヴィッツのエロイカを聴いていたのにはわけがございます。今となってみれば何の根拠もないのは明白ですが、なんとなく、インバルのエロイカはレイボヴィッツみたいになるんじゃね?という予想があったものだから。

ところがまあ、それが大外れに外れた。

レイボヴィッツのように水で譬えると、あの録音が「設計された西洋噴水」だとしたら、今回聴いてきたインバルは「細部までマニアックに造り込まれた巨大水槽」でした。噴水と水槽で何が違うかといったら、それは<閉じているか開いているか>だろうと思う。噴水だって循環してるじゃんよ、というのは措いておくとしても、水槽の中に閉じ込められているエロイカの「水量」はそれ自体の厖大なエネルギーを外に放射することなく、ただ不機嫌そうに澱んでいる。
水槽の中には竜宮城セットや藻や田螺や、そういうこまごまとした小道具が配されて、さらに(これが重要だけど)インバルのセンスという巨大な魚が悠々と泳いでいます。インバルは自分のこだわりを生かすためにエロイカの巨大なフォームを拝借しているだけで、英雄交響楽に対して尊崇の念なんかこれっぽっちも持ってない。圧倒的解釈者!

インバルのセンスに共感できた方は、大喝采でしょう。さらにそれをオーケストラ上で実現させた手腕を評価する(造形美至上主義みたいな?)のであっても、大喝采でしょう。終演後の熱気を見ると、事実多くの方がこれを評価し、拍手を送っていたのです。
響きの肌触りはあくまでもノーブル、鞭のように気品がある。水槽の中のジオラマは完璧です。…なのに、何かがどこかが心に引っ掛かってくる。盛んに伸び縮みするテンポか、粘つくダウンボウか、普通は重ならないパッセージが微妙に重ね合わせられる木管か、もっと具体的にここなのですと言うのは僕の力では無理なのだけど、なぜか懐疑に落とし込まれる。各局面において自分の好み・自分のセンスをこんなに揺さぶられるベートーヴェンは聴いたことがないものですから。
自分は水槽を外から眺めているつもりになっているけど、インバルのセンスという巨大な魚は時折、ガラスの中からこちらを見ています。見られているのはどっちだ。

前半の《コリオラン》と第2Pf協奏曲はとても聴き応えのある、しかし普通の演奏だったので、後半のこの思いは余計に募ったわけです。ソロのオピッツも含めて。

+ + +

生で都響を聴いたのはずいぶん久しぶり。やっぱりいい音してるなあ。いいオケだなあ。
この日はお客ノイズが盛大で環境は最悪でしたが、それでもいい時間でした。

3/23のラヴェル・プロはTakuya in Tokyoさんのレヴューに、3/29のプロムナード・コンサートはまめびとの音楽手帳さんのレヴューに、なるほどそれぞれきっとそのようだろうなあという共感を覚えたので、勝手ながらリンクさせていただきました。
by Sonnenfleck | 2009-04-06 06:39 | 演奏会聴き語り
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