マックス・エマヌエル・ツェンチッチ リサイタル@東京・春・音楽祭'09

c0060659_8233885.jpg【2009年4月10日(金) 19:00~ 東京文化会館小ホール】
●モーツァルト:歌劇《アルバのアスカニオ》 K111~
 《愛しい人よ、まだ遠くにいる愛しい人よ》
 《ああ、彼女の気高い精神を》
●同:ロンド ニ長調 K485 *
●同:幻想曲 ニ短調 K397(385g) *
●同:歌劇《ポントの王ミトリダーテ》 K87(74a)~
 《厳格な父よ、脅かしにやって来るがいい》
●ロッシーニ:歌劇《湖上の美人》~《幸福な壁よ》
●ハイドン:Pfソナタト長調 Hob.ⅩⅥ-40 *
●ロッシーニ:歌劇《タンクレディ》~《おお祖国よ》
●ドニゼッティ:歌劇《ルクレツィア・ボルジア》~
 《あのリミニの戦いで》**
 《幸せでありたい方に秘密を教えましょう》**
 ○オッフェンバック:歌劇《美しきエレーヌ》~
  《メネラス王》**、《今夜はラヴィリンスのパブで夕食を》**
 ○J. シュトラウスⅡ世:喜歌劇《こうもり》~《お客を呼ぶのは私の趣味で》

→東京オペラ・シンガーズ**
⇒マックス・エマヌエル・ツェンチッチ(C-T)+大塚めぐみ(Pf*)


忙中閑あり。いや、閑くらい作んないとやってらんねーぜー。

語呂が悪くて名前が覚えられない上野の音楽祭の一環で、カウンターテナーのマックス・エマヌエル・ツェンチッチが来日しました。ツェンチッチを聴くのはいつかのヴィヴァルディ《アンドロメダ・リベラータ》以来なのです。会場はしかし、見渡す限り実に85%以上が妙齢のオバサマ方で、大変形見の狭い思い。。ともかく根っから好きな人ばっかりが集まったのでしょう。

その、ヴィヴァルディのオペラでペルセウスを歌ったのを聴いて、そのときに感じたのとだいたい同じような印象をこの日も最初に持ちました、というかはっきりと思い出したわけです。ツェンチッチの声質は非常に特徴的で、華やかなのに女声らしくなく、低音が異常に充実してるのに男声らしくもなく、おまけに「カウンターテナーらしく」もない。で、機械みたいな音程合わせにはあんまり関心がなさそうな代わりに、その瞬間のアトモスフィアを作りこむための演出がすんごい凝ってるんですよね。
特に前半のモーツァルトは構成がシンプルなために、彼の声の持ち味である強い翳りがストレートに出ています。暗くもないはずのテクストがさめざめと歌われるのを聴いていると、何とも言えない憂鬱な気持ちになってゆくのでした。

その一方で、後半のロッシーニ→ドニゼッティ→オッフェンバックの攻撃にはタジタジ。。
前半のモーツァルトはかなり様式感にこだわっているというか、その結果としてフォームを突き抜けない古典性が第一義として扱われていましたが、休憩を挟んだ後で一転してエンタメ路線への爆走を始めたのだからたまらない。歌っている表情を見ると、ツェンチッチ自身も、ハイドン⇔モーツァルトの平原よりもヘンデル⇔ヴィヴァルディの丘とロッシーニから連なる大山脈に心が向いているように感じられます。
このあたりは普段聴きのレパートリーではないからあんまり詳しくはわからないんだけど、灰茶の陰翳と凄まじいコロラトゥーラを同居させてしまう技巧にはたまげたし、周囲の客席が息を呑んでいるのもしっかり伝わってきます。個人的には、ツェンチッチを通じてロッシーニへの登山道が拓けてしまったかもしれない。。自分にはまだ早いと思ってたけど、そろそろ挑戦してみようかな。。東京オペラ・シンガーズが巧いのは書かずもがな。

アンコールはさらに寛いだ雰囲気になって、ツェンチッチの声も翳りの中に何か底光りするようなエロスが混信していました(オッフェンバックはサイコーにクールだった)。
今回このコンサートを聴きにいったのも、バロックの延長線上にモーツァルトが聴けるかしらと思ってのことだったんですが、いい意味ですっかり予想を裏切られた。この人はこういうレパートリーを歌って喝采されるのが無性に楽しいんだろうなあ。幸せな音楽家の前には聴衆だって幸せにならざるを得ない。

+ + +

歌手達の立ち位置とか、譜面台とか、アンコールのアナウンスとか、舞台裏のオペレーションはプロとは思えないくらいグダグダでしたが(ちょっとあれは無い)、そんなことも忘れさすような金曜夜のリラックスでした。
by Sonnenfleck | 2009-04-12 08:24 | 演奏会聴き語り
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