カンブルラン/読売日響 第110回東京芸術劇場マチネーシリーズ

c0060659_6341999.jpg【2009年4月12日(日) 14:00~ 東京芸術劇場】
●モーツァルト:歌劇《劇場支配人》 K486~序曲
●ベートーヴェン:交響曲第4番変ロ長調 op.60
●同:同第5番ハ短調 op.67
 ○シューベルト:曲名失念(どなたか教えてください!)
⇒シルヴァン・カンブルラン/読売日本交響楽団


カンブルラン。
ギチギチのゲンダイオンガクっ子というイメージしかなかったので、読響のシェフに就任するという話を聞いたときは大変驚きましたし、4月の来日でベートーヴェン・プロを組んでる(しかも第4と第5)っていうのを知ったときも仰天しました。仰天したら聴きに行かないといけない。

ところが、きっと精密で柔らかい演奏に違いない!と思っていた自分の頭は、最初の《劇場支配人》序曲の砲撃に吹っ飛ばされてしまいました。
確かにリズムは推進力があってかつ精妙なのだけど、音響の広がり方や、ジタバタドスドスとしたアーティキュレーション、リズムによって犠牲にされる細かな音程は、考え込まれたピリオド・アプローチと言うにはあまりにも剛直でありました。良くも悪くも「読響らしい」、あのド派手で荒れた音響をそのままに持っていってしまう。
(都響の美点をうまく引き出していたインバルを、先週聴いているので余計に。。)

ベートーヴェンになってもこのやり方には一分の変化もありません。引き締まったテンポで、雄々しく、猛々しく、荒々しい演奏でした。確かに第4番第1楽章とか、第5番第3楽章とか、部分的に靄のかかったような美しさを発揮する部分はあったにせよ、思いのほかアンサンブルに気を配らないのだなあというその点に耳が行ってしまうようになって、結果的には期待していたほど楽しめませんでした。そうだ読響の弦はこうなんだったよなあ…と今さらながら苦々しく思い出した次第。
変な仕掛けが付いているという意味でも、先週のインバル昨年のティエリー・フィッシャーのほうがずっとずっと「小うるさく」、ライヴだと最近は小うるさいベートーヴェンが好きになってきた自分としては、その点からも少し物足りなさが残りました。第5番第4楽章だけ金管にずり上げるような表情を付けていましたが、あれも著しく効果的だったかというと、うーむ。

ただ―これは完全に僕の妄想独り言なんだけど―、《劇場支配人》序曲ベト4に関しては、あのいかにも心の篭もっていない「陽気のポーズ」に、ラモーの乾燥した豪壮を感じないではなかった。これは、やはりカンブルランが振る4月18日のプログラムの冒頭を《ダルダニュス》組曲が飾るというところから勝手にイメージされてきただけだと思うんですよ。でも、本当に、それだけでイメージが浮ぶものなのかね。
by Sonnenfleck | 2009-04-15 06:33 | 演奏会聴き語り
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