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2-1を中心として250

2-1を中心として250_c0060659_4495991.jpg【TROUT RECORDS/H5508-9】
●ヘンデル:リコーダー・ソナタとトリオ・ソナタ集
⇒花岡和生(Rec)+竹嶋祐子(Vn)
 +西沢央子(Vc)+岡田龍之介(Cem)

基本的にこのブログは週末に書き溜めたものを週日に放出する方式を取っていて、余裕があると週日に新規エントリを書くこともできるのですが、ここひと月は本業繁忙期のためにそれも無理で、まさに帰って寝るだけのハードボイルド生活が続いております(帰宅できるだけマシなのか)
先週はうっかりしてヘンデルの没後250年目の日を通り過ぎてしまい、これではいけないなあと思ってこのCDをiPodに入れ、ずっと聴き続けたのでありました。結果として、この演奏のおかげで日々を乗り越えられたようなものです。

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リコーダー奏者・花岡和生氏のことについてはすでに何度か取り上げていますが、この2枚組CDはヘンデルのリコーダー・ソナタを聴くつもりで購入したので、CDの最後で、いわゆる「2-4」と「2-1」が流れてきたときにはちょっと狼狽してしまった。
「2-4」「2-1」というのは、つまり、ヘンデルが作品2として出版したトリオ・ソナタ集の4曲目と1曲目です。CDのブックレットにはHWVで表記されていたので、これら鍾愛の作品が収録されていることに全然気がついてなかったんです。

中でもop.2-1、ロ短調のトリオ・ソナタは、かつて及ばずながらも挑戦したことのある曲なものですから、第1楽章の歩むようなパッセージを聴いて、いろいろな気持ちを刺激される。リコーダーの担当する1stパートは非常に誇り高く、Vnの2ndパートは謙虚でありながら匂やか、通奏低音Vcにもテンポの維持だけではないフレージングのセンスが高度に要求される恐ろしい作品ですが、この演奏には名人の交歓といったふうの(事実名人ぞろいなのだが)余裕ある趣きがあり、緩やかに時間の流れを作っています。

どちらもあっさり上品な第2楽章第4楽章では、どの声部も絶対に衝突しないでするするとテクスチュアが編み上げられていくのが見事。最近流行りの凄腕アンサンブルではこうした急速楽章が才気煥発すぎることがあるのだけど、この落ち着いた仕立てのよさこそが日本古楽の佳さなんだわいなと思う(この佳さは、あるいはヘンデルの佳さの本質と少しずれるかもしれないけど、まあ別に構わないだろう)。

順番は前後するけど、雲を掴むような微妙な無念さの漂う第3楽章は、リコーダーの1stパートの独壇場です。花岡氏のリコーダーは力が抜けきって、そこへ盟友・岡田氏のチェンバロがリュートストップで応じ、何ともいえない香気がある。この楽章はふわふわとしていて一定の推進力を持たすのがとても難しいのだけど、この演奏では進んでいる気配すらないのに、いつの間にか終点に辿り着いてしまっているというマジックが味わえます。

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もちろんトリオ・ソナタ以外のリコーダー・ソナタも聴きもの。どれも余裕のあるオトナのヘンデルという感じなのです。余裕のあるオトナになりたい。
by Sonnenfleck | 2009-04-20 04:49 | パンケーキ(18) | Comments(0)
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