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カンブルラン/読売日響 みなとみらいホリデー名曲コンサート・シリーズ:ラモーがなくちゃ始まらない!

カンブルラン/読売日響 みなとみらいホリデー名曲コンサート・シリーズ:ラモーがなくちゃ始まらない!_c0060659_6422275.jpg【2009年4月19日(日) 14:00~ 横浜みなとみらいホール】
●ラモー:《ダルダニュス》組曲~
 〈アントレ〉〈タンブーラン〉〈荘重なエール〉〈活発なエール〉
 〈アントレ〉〈眠りのロンド〉〈優雅なガヴォット〉〈リゴードン〉
●ラヴェル:《クープランの墓》
●ベルリオーズ:《幻想交響曲》 op.14
 ○サティ/ドビュッシー:《ジムノペティ》第1番
⇒シルヴァン・カンブルラン/読売日本交響楽団


東京南部に住んでいたときの癖で、いまだにみなとみらいが近いつもりで出かけてしまう。やっぱ遠いよー。

さて、《幻想交響曲》の終了と同時に激しいブラヴォが飛び交いました。
中には感極まったのか「ゲボォォォーー!」という切ない叫びも聞こえてきて、興行としてなかなかの成功だったでしょう。しかしこの日のお客さんのマナー最悪だったなあ。咳のタイミングといい、楽章間拍手といい、慣れてない方がたーくさんいらっしゃったのではないかと思われた(いよっ!大新聞!俺っちも招待してくれっ!)

しかしカンブルランと読響の《幻想交響曲》は、かなり性質の異なる彼らの化学反応の現時点での到達点であったとともに、今後の課題が見え隠れするパフォーマンスでもあった。
先々週のベートーヴェン・プロで危惧されたアンサンブルの荒れはだいぶ収まったものの、この演奏における大編成ではカンブルランの期待しているであろう音響の軽さ、すなわち夾雑物のないクリアなサウンドや、フレーズの入りやおしまいへの配慮がまだ十分でないように感じられました。特に第4-5楽章に多い興奮の山場では、オケが冷静さを失い、ゴージャスだが濁りの多い音響に終始することもあったように思う。熱くなるのは読響の欠かすべからざる魅力だけども、カンブルランはもうちょっと先の地点にオケと聴衆を導こうとしているんじゃないかな。
ただ、「先の地点」の背中(たとえばトゥッティがひとつの生き物のようなデュナーミクを感じさせたり、パートごとの重なり合いが異様に細かなグラデーションを描いたり)は、この日は第2楽章第3楽章においていくつも観測されていましたので、今後の共同作業によってそれは見えてくるでしょう。特に第2楽章の微細にして分厚い弦楽合奏、まさに大勢のモブキャラクタによって主役=主題がどんどん隠れていってしまうような演出は見事でありました。

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前回の感想文からご覧の方は、書き手の態度がちょっと変わったことに気づかれたかもしれません。
それは、この日の前半に組まれていた《ダルダニュス》組曲《クープランの墓》が大変素晴らしかったからに他ならないのです。猛々しく荒っぽいことが第一義とされたらしい(あるいは練習の不足が原因だったのかもしれない)ベートーヴェンとは似ても似つかぬ、あのようにクリアなサウンドが聴かれるとは想像していなかった。ベルリオーズの演奏に対して浴びせられた喝采は、僕としては、ほとんど残らずラモーとラヴェルに供されるべきだったと思う。

《幻想交響曲》に比べて半分くらいのコンパクトな編成で扱われた《ダルダニュス》組曲は、そのぶんカンブルランの意図がアンサンブル全体に染み渡り、えもいわれぬ典雅な響きに。
ピリオド本流の指揮者でも、今回のように<当意即妙>だけでラモーのテクスチュアを織り上げることのできる人っていうのはそんなに多くはない印象です。おっかなびっくり扱ったために編み目が緩すぎたり、踏ん張りすぎて奇怪な模様ができてしまったりするのは、たまには楽しいけどいつもでは困る。しかしカンブルランは特に弦楽器に対して弓の扱い方の指示を多く飛ばしたようで、多くの音はしっとりと(でもしっかりと)したメッサ・ディ・ヴォーチェで表出するものですから、読響としてはかつてないほど軽い音になっていたのではないかと思います。もちろん、輝きはゴージャスなままで!
オケも指揮者もちゃんと小さなアンサンブル作品に向き合っているなあというのが伝わってきたし、何よりもカンブルランがこういう音楽で何を目指す人なのかが(何となくではあるけど)わかったのが嬉しい。拍手を聴いていると、たぶん読響に興味のある普通のお客さんはラモーなんか箸にも棒にもかけないんだろうけど、個人的にはとてもいい現場に立ち会ったという感じがする。これがカンブルランの所信表明だったのかもしれない。

《クープランの墓》について書くには文章が長くなりすぎました。だいたい、目指しているところはラモーの演奏とほとんど違わなかったのです。トゥッティがカンブルランの意志を捉えて有機的に動き出したら、読売日響は新しい段階に足を踏み入れるのかもしれません。

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今回から(今回だけ?)数年ぶりにサブタイトル制を復活。
by Sonnenfleck | 2009-04-21 06:44 | 演奏会聴き語り | Comments(4)
Commented by hienoyama at 2009-04-21 20:43
こんばんは。

ふ~む、あのカンブルランがラモ―をやったんですか。
しかもラヴェルはともかく、そのラモ―がなかなか良かったとは・・・
聞き逃して残念!
こうなると、今度は「ボレアード」あたりを指揮して欲しいと
おねだりしたくなります。
Commented by Sonnenfleck at 2009-04-22 06:57
>hienoyamaさん
そうなんですよ!常時ヴィブラートではなくてスパイスに用いている点や、繊細なアーティキュレーションは、ちゃんとしたピリオド風味ながら、ちょっと都会的に澄ました音響がとてもよかったです。あれならラモーのほかの作品もきっと映えることと思いますよ。
Commented by mamebito at 2009-04-22 23:42
カンブルランよかったんですね~。同じ日、武蔵野でピリスを聴いていました、体が二つ欲しかった・・・
拝見して、ラモーのインド、ラヴェルのダフクロやラヴァルス、あたりも聴いてみたいと思いました。次回の来演が楽しみですね。
Commented by Sonnenfleck at 2009-04-23 06:50
>mamebitoさん
エアチェックテープの中にカンブルランのライヴを発見したんですが、その中に《高雅にして感傷的なワルツ》が入っていて、ちょっと楽しみにしています。カンブルランがドビュッシーにどのようにアプローチするかについてはいまだ謎のままなので、そのへんも次回来日で組まれるとうれしいです。
ピレシュの武蔵野公演もかなり行ってみたくて、実は直前までチケットも狙っていたんですが、こっちのほうは入手できませんでした。。
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