熱狂の復習―5月4日(月)

c0060659_9233366.jpg前夜は早めに休み、満を持して2日目。

【231】5/4 0945-1030 ホールB5〈リューネブルク〉
<フランス風ソナタ&組曲>
●クープラン:4声のソナタ《スルタン妃》
●テレマン:Rec、弦楽と通奏低音のための組曲 イ短調
⇒スキップ・センペ/カプリッチョ・ストラヴァガンテ


この日を待ちに待ちました。ついに初の生センペ。

実際にこの才人たちのフランス・バロック(テレマンのあれはフランスのスタイル)を聴き、面白かったのは、センペのチェンバロがほとんど「通奏低音」らしくないというか、レオンハルトお師匠さんたちのような意味での通奏低音を選択しない、というやり口をこんなにうまく使うんだなあという点です。
アンサンブルのリズムを縦方向からカッチリと支配して、その次に自分の装飾を控え目に行なう、というのではなく、この日もアインザッツを取るのは1stVnのソフィー・ジェントであり、またリコーダーのマルタン君であり、センペはただアンサンブルの後ろで、羽毛のような装飾をいっぱいつけたパッセージを風のように流しているだけ。。ために、出来上がってくる響きの不思議な軽さ明るさには大変驚いた次第です。それを小さな部屋で聴ける幸せ!

それにしても、見事さはすでにCDでも発見されていたとはいえ、テレマンのプレイには心底惚れ惚れとしました。マルタン君の超絶技巧は言わずもがな、アンサンブル各員の声部が渾然一体として「練り」が生じる上に、センペの気まぐれな(しかし恐らく冷徹に計算され尽くした)羽毛パッセージがふんわりと乗っかる。2曲目の〈Le Plaisirs〉愉悦、喜悦は録音以上に繊細で清々しく、しかしその官能性のため臍下丹田に力がこもると言いますか、とにかく萌え転がるしかありませんでした。こういうレベルのテレマンの演奏をライヴで耳にする機会って、そんなに多くないんすよ。。ううう。。これからもついてゆきます。。

【281】5/4 1900-1945 相田みつを美術館〈アルンシュタット〉
●フローベルガー/エグエス:組曲第2番(1649年稿)
●ビーバー/エグエス:無伴奏Vnのためのパッサカリア
●バッハ/エグエス:無伴奏Vc組曲第3番ハ長調 BWV1009
 ○ヴァイス:曲名不詳
⇒エドゥアルド・エグエス(Lt)


初台から舞い戻って。レディ・マクベスの世界とはあんまりにも差がありますけど。
そもそもリュートという楽器が、100席程度の小部屋に向いているのだということを実感するの巻き。この楽器が急速に廃れた理由が改めて体感されます。逆に言えば、この箱の中において、リュートは王様のように響き渡るわけでして、たとえばビーバーのパッサカリアでは荘重さと哀しみが両立しているのがはっきりわかったし(隣に座った兄さんが彼女に向かって「この曲すげえぜ泣くぜ」って言ってたのは本当であった)、バッハのハ長調のVc組曲が自ら語り始める瞬間にも立ち会うことができました。
エグエスは知的で静かな雰囲気を漂わせた人で、そんな演奏家と対話するのに2000人のホールではやっぱり無理があるよね、と思った。

【282】5/4 2030-2115 相田みつを美術館〈アルンシュタット〉
●ヴェストホーフ:無伴奏Vn組曲第4番ハ長調
●ヴィルスマイヤー:無伴奏Vnパルティータ第3番ハ短調
●テレマン:無伴奏Vnのための幻想曲第7番変ホ長調
●バッハ:無伴奏Vnソナタ第3番ハ長調 BWV1005
⇒グナール・レツボール(Vn)


あれっ...と思いました。絶賛の続くあのヴァイオリニストの演奏はこんな感じなのか、と。
さっきまで心地よくリュートが響いていたみつを空間に、ヴァイオリンの音が残酷なほど合わない。響かない。周囲の大喝采に比してこちらのハートは熱くならない。バッハの冒頭の重音なんか、隠匿されるべき神秘機械の回路がむき出しになっているみたいで、耳をそむけることができたらどんなにいいかと思いました。豊かな残響の中でのリベンジを決意。絶対決意。

【238】5/4 2230-2315 ホールB5〈リューネブルク〉
●クープラン:《王宮のコンセール》第2番~プレリュード、アルマンド
●同:《新しいコンセール》第4番~エール
●同:同第5番~サラバンド、メヌエット
●バッハ:Ft&Cemソナタ ホ長調 BWV1035
●同:同ロ短調 BWV1030
⇒マルク・アンタイ(Ft)+ピエール・アンタイ(Cem)


この日は朝に初センペ、夕に初アンタイというぐるぐるな一日でした。
アンタイ兄のほうはイメージどおりの偏屈なおっさんで、怖そうなメガネかけてるし、客席を見てもニコリともしないどころか逆に睨みつけてくるし、ピアノ椅子の後ろ脚に段ボールか何かを挟んで前傾姿勢で弾くし、不気味カワイイ。逆にアンタイ弟のほうは人懐こい感じです。

この深い時間帯の演奏が、極めて素晴らしかった。朝のセンペと甲乙つけがたい。
フランス・バロックというと、感覚的でふわふわとして形のないものと思われがちなのですが(自分だけの反イメージだろうか?)、実際のところ全然そんなことはなくて、舞曲の方向からにょろりと進化した独特のリズム-エモーションみたいなものがあり、その原理原則に従って粛々と音の流れができているのです。これは竹を割ったようなイタリア・バロックとはまったく違うし、独自の渋みを抱えたドイツ・バロックとも違うし、大変に説明しづらい種類のものなんだけど、たとえば、この夜の演奏はそれを十二分に果たしていた。あの場にいらっしゃって、ゆったりとした感銘を受けられたとしたら、「フランス・バロックってどんななん?」というこの先々の疑問に対して、あの時間を例に思い出していただいていいと思うのです。

アンタイ弟はリチェルカール・コンソートに乗っていたので、5/3にホールCで音を耳にしてはいます。そのときは眠気でぼんやりしながらも「この人は小会場向きかもなあ」と感じたんだけど、ホールB5で聴くとニュアンスの幅がかなり細かくコントロールされているのがわかって、あの漣状の伸縮を大会場で拡散させてしまうのはもったいないというリクツ。
クープランのコンセールはとにかく絶品!アンタイ兄も怒りゲージを抑えつつリズム-エモーションの保持に努めるし、たまに清楚な即興を入れたりするくらいで弟を立てていて、魅惑のアンサンブルだったことです。
by Sonnenfleck | 2009-05-09 09:25 | 演奏会聴き語り
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