境界

LFJが終わってから、たぶん一度にあまりにも多くの音楽を身体に入れすぎたせいで、フツーの音楽を聴く気がまったく起こらなくなってしまい、非常に変な状態が続いています(《マクベス夫人》の感想文もやっとの思いで書き上げた)。この気分は黴のように繁殖して、音楽への集中を著しく削いでしまいましてですね。最終日のチケットを半分くらい友人に譲ったのはここからくるものが大きい。
自分の片輪である古楽がかくも肥大してしまった以上、もう片方のモダンを強化せぬかぎりは一箇所を周回せざるを得ないのだから、しばらく強制的にモダンに浸ろうと思っています。

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c0060659_974997.jpg【SUPRAPHON/COCQ83825】
<ヤナーチェク>
●弦楽四重奏曲第1番《クロイツェル・ソナタ》
●同第2番《内緒の手紙》
⇒ヤナーチェク四重奏団
   イルジー・トラーヴニーチェク(1stVn)
   アドルフ・シーコラ(2ndVn)
   イルジー・クラトクヴィール(Va)、カレル・クラフカ(Vc)

村上春樹の新作長編『1Q84』の発売が間近に迫るこの5月、『海辺のカフカ』→『ねじまき鳥クロニクル』→『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』と順に読み返している最中であります。
ちょうどねじまき鳥の第3部まで来ていますが、あれらはやはり通勤時間帯に、満員電車で読むべきものではない。少なくとも出勤時に読むべきではない。「東京性と異界の割れ目」と言ったらいいのか、ともかく村上春樹にとって極めて重大なあの要素に飲み込まれてしまって、これから真面目な顔をして仕事をするなんていう気分にはならないもの。

その間中ずっと、iPodに入れたこのヤナーチェク四重奏団の録音を聴いています。
回帰の第一弾にヤナーチェクを選んだのは、「自分にとってフツーではない」音楽じゃないと起爆剤の用を成さないだろうと思われたからです。それほどまでに普段の僕とヤナーチェクの距離は遠くて、彼の、他のどの音楽とも異なる独特の抑揚や独特の和声に異様な感じを受けていたために、ずいぶん長い間接近しないようにしていました。実は。

5月の日光が電車の中に充満しても、ヤナーチェクは簡単に異界にアクセスする(ちょうど手にしている村上春樹が、簡単に異界へ足を踏み入れるのと同じように)。理論がわかり耳の鋭い人は、ヤナーチェクのどの部分がドヴォルザークでどの部分がブラームスか言い当てることができるのかもしれないけど、自分にはそれがうまくできなくて、であればヤナーチェクが使っている不思議な言葉を辛抱強く掴み取るしかない。幸いなことに通訳の4人が素晴らしくセンスに溢れている。
何度も繰り返し聴いていると、初めのうちは比較的馴染みやすかった《クロイツェル・ソナタ》よりも、不思議と《内緒の手紙》のほうにだんだん心惹かれるようになってきました。この不思議な言葉を「東欧風」などとごまかして還元するのはやめて、ディアローグそのものを感覚的に受容するのがいちばんいいのだと思う。つまり、ヤナーチェクの音楽が何かの暗喩であると考えるのをやめることで。。こちらに慣れてしまうと今度は、真面目な顔をしてドヴォルザークやブラームスが聴けなくなってしまうかもしれないけどね。

結局何が書きたいのかよくわからなくなっているけど、とにかく第一歩。
by Sonnenfleck | 2009-05-19 06:21 | パンケーキ(20)
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