アルミンク/新日フィル 第448回定期演奏会:WHO INTEGRAL

c0060659_10374286.jpg【2009年7月11日(土)15:00~ すみだトリフォニーホール】
●シュミット:オラトリオ《七つの封印を有する書》
→ヘルベルト・リッペルト(T/ヨハネ)
  増田のり子(S)、加納悦子(A)
  吉田浩之(T)、クルト・リドル(Bs)
→栗山文昭/栗友会合唱団
⇒クリスティアン・アルミンク/新日本フィルハーモニー交響楽団


大感動、というのとは全然違うなあ。
「儀式」に一から十まで参加してしまったような、そういう種類のバツの悪さを感じたのだった。
普通の音楽テキストでは秘匿されているキリスト教の生臭みがももんと漂ってきていたため(「信じろ信じろー信じないと救われないぞー」っていうヤツ)、最後の音の後にずいぶん長く沈黙が続いたのは、多くのお客さんが「演奏行為」に拍手する以前に、その生臭さに引いてたせいなのではないかと、そのようにも思いました。いや、引いてたのは僕だけで、本当に皆さん深い感動に包まれていたのかもしれないけどさ。
あと、クラシック音楽はやっぱり最後にはキリスト教の味方なんだということも、改めて見せつけられた格好です。もしこの日の終演後にホールの出口で布教活動が行なわれていたら、各団体は多くの信者を獲得したんではないだろうか。とね。

一方、某所では「アルミ君」の異名を取るらしいアルミンクは、その軽量級の好みを存分に実現していたんじゃないでしょうか。僕が生で聴いたアルミンクの中では、今日が最も充実していたと思います。
アーノンクールに慣れていた耳には最初ちょっと速すぎるように感じられた「CDGF」モチーフも、儀式の前口上・後口上としては妙に現実味があったと言えます(同時に、日常も儀式も境目のないアーノンクールの面白さを再認識することにもなりましたが…)。
新日フィルの充実ぶりにも目を見張りました。第1部では玉座前のイっちゃってるキラキラ描写(木管の皆さんブラヴォでした)、「赤い馬」のトゥッティ猛攻、「青い馬」の描写におけるコルレーニョなんかは実に見事でしたけども、特に休憩後の第2部で、細身ながらキシキシせず、かなり精妙な音響を作っていたのを忘れるわけにはいきません。いつも新日フィルからちょっぴり感じる物足りなさ、よりも、今回は引き締まった筋肉のカッコよさを認識した次第。

歌手の人たちに関して触れますと、この曲のエヴァンゲリスト役であるヨハネを歌ったヘルベルト・リッペルトにはほとんど感心しなかったことを、最初に書いておきたいです。歌い始めの不安定さは仕方ないにしても、途中でテクストや音楽が高ぶってくるとヒステリックな声質を抑えず露わにしてしまうので、ヒステリーとは無縁だった今回のアルミンクの音楽からは、終始浮かび上がっていたように思いました。アーノンクール盤で彼が担当していたテノール・ソロは、ヨハネ役とは違ってむしろそのように浮いていた方がいいキャラクタだから、安心して聴いていられたのかもしれない。
合唱も、同じ理由で絶賛はできかねます。部分的に極めて佳かったところもあったけど、最後のアーメンであそこまでキンキンされてしまうと、ちょっとな…という感じ。
アルト・ソロの加納悦子さんはいつもどおりの素敵な声。しかし、クルト・リドルの声で「余はアルファでありオメガであり、始まりにして終わりであるぞよ」って言われちゃうと、ははーって平伏したくなるのは何ででしょうね。さすがの大ベテラン。

+ + +

開演前、アルミンクが綿密なプレトークを行なっていてですね。「本」の動機や「赤い馬」の闘いの合唱を、PAまで繰り出してお客に予習させていたのには驚きました。極東の島国の異教徒たちに、音楽と合同した時のキリスト教の凄味(「秘密」?)を叩き込むには、これくらい周到なことをしなければいかんかったのでありましょう。
何か凄いことが行なわれたってのはよくわかりましたが、そこから信頼感につながるかどうかは別問題で。結局、八百万メンタルワールドな自分にとっては理解の範疇を超えた作品でした。普段バッハの受難曲とか聴いてもこんなこと思わないんだけどなあ。
by Sonnenfleck | 2009-07-12 10:41 | 演奏会聴き語り
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