奈良帯解・円照寺 夏の日ざかりの庭で

 道のゆくてを遮る木蔭の一つ一つが、あらたかで神秘に思われた。雨になれば川底のようになるであろうその道の雑な起伏が、日の当るところはまるで鉱山の露頭のようにかがやいて、木蔭におおわれた部分は見るから涼しげにさざめいている。木蔭には原因がある。しかしその原因は果して樹そのものだろうかと本多は疑った。
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 沼があった。沼辺の大きな栗の強い緑のかげに休んだのであるが、風一つなくて、水すましの描く波紋ばかりの青黄いろの沼の一角に、枯れた松が横倒しになって、橋のように懸っているのを見た。その朽木のあたりだけ、かすかな漣がこまやかに光っている。その漣が、映った空の鈍い青を擾している。葉末まで悉く赤く枯れた横倒れの松は、枝が沼底に刺って支えているのか、幹は水に涵っていず、万目の緑のなかに、全身赤錆いろに変りながら、立っていたころの姿をそのままにとどめて横たわっている。疑いようもなく松でありつづけて。
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 道の勾配は急になったが、もう山門が近いという思いと、杉木立が深くなって涼風が立って来たのとで、本多の歩みはよほど楽になった。道の上のところどころに帯をなして見えるのは、前には木蔭だったのが、今度は日向であった。
 その杉木立の暗みの中を、白い蝶がよろめき飛んだ。点滴のように落ちた日ざしのために燦と光る羊歯の上を、奥の黒門のほうへ、低くよろぼい飛んだ。なぜかここの蝶は皆低く飛ぶと本多は思った。
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 黒門をすぎると、山門はすでに眼前にあった。ついに月修寺の山門へ辿り着いたかと思うと、自分は六十年間、ただここを再訪するためにのみ生きて来たのだという想いが募った。
 車寄せの陸舟松が奥に見透かされる山門に立ったとき、現実に自分の身がここにあることを本多は殆ど信じかねた。山門をくぐるのさえ惜しく、今はふしぎに疲れも癒えた心地で、小さな耳門を左右に侍らせ十六弁の菊の紋瓦を屋根に連ねた山門の柱に佇んだ。
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 山門をくぐると卵いろの五線の筋塀に沿うて、黄ばんだ小砂利に、四角い敷石が市松つなぎに内玄関まで敷かれてある。本多が杖でひとつひとつこれを数えて、九十に達したとき、ひたと閉め切った障子に、菊と雲の紋様の白い切紙細工の引手のある、内玄関の前にその身は在った。
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 これと云って奇功のない、閑雅な、明るくひらいた御庭である。数珠を繰るような蝉の声がここを領している。
 そのほかには何一つ音とてなく、寂寞を極めている。この庭には何もない。記憶もなければ何もないところへ、自分は来てしまったと本多は思った。
 庭は夏の日ざかりの日を浴びてしんとしている。

三島由紀夫『天人五衰』

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目的の場所を訪れることができ、今は心から満足しています。
2005年2月に始めたこのブログも、いつの間にか5年目に突入しました。ずいぶん長く続けたので、ここで遅めの夏休みをいただこうと思います。ただ、そのままさよなら、とするほどの意志の固さは自分にはないので、少ししたら再びお会いすることになるでしょう。
それではまた、その時まで!
2009年8月31日  

by Sonnenfleck | 2009-08-31 06:26 | 日記
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