ホグウッド/N響 第1652回定期公演Bプロ(9/9)

ミンコフスキのラモー&モーツァルトが良すぎて何も言えね、状態ですが。

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c0060659_8562545.gif【2009年9月9日(水) 19:00~ サントリーホール】
<ベートーヴェン>
●序曲《コリオラン》 op.62
●Pf協奏曲第4番ト長調 op.58
→クリスティアン・ベザイディンオート(Pf)
●交響曲第7番イ長調 op.92
⇒クリストファー・ホグウッド/NHK交響楽団


急遽、友人からチケットを譲り受け、定時ダッシュでサントリーへ。N響のB定期を聴くのって本当に久しぶりだけど、前以上に会員の高齢化が目につきました。新しい客層が全然入らないっていうのも、、なんだかなー。
Pブロックに座って眺めるホグウッドは、タクトを持たない指揮ぶりからして円い感じ。モダンに進出したあとの彼の曲づくりは全然聴いてなくて、むしろあの青ざめたヴィヴァルディの印象がずっと強いものだから、今回の客演はなかなかの興味をそそるものです。

最初の《コリオラン》序曲は、実はあまりいい印象ではない。確かにアンサンブルは整然としているし、ノンヴィブを実施してはいるものの、ホグウッドが今のピリオド指揮者たちのように目的意識の強いアクセントを付けないので、楽器はモダンで編成も巨大なのに、30年前のヴィヴァルディと同じようにツンと取り澄ました平明さを漂わせるのです。それにしてもこの曲で!(いや、だからこそ?)

さて、蓋を取ったスタインウェイのモダンが対向配置された弦の真ん中に縦に置かれ、当夜のソリスト、ベザイディンオートは指揮者をまっすぐ見据える形で座る。そのような格好で奏されたPf協奏曲第4番は、今度は面白いことになっていました。
まずベザイディンオートは、彼のようなスタイルはモダンピアノとは(ついでに言えば鳥井さんホールの音響とも)相容れないだろうなあ。比較的ステージに近いP席で聴いたのに、彼の持ち味であるらしいコロコロしたスタッカートが全部数珠つなぎになって飛んでくるのは大変残念だったし、そのうえトゥッティに合わせすぎるような嫌いもあり(通奏低音じゃないんだから…)。響きの硬い小さな空間で、音が鋭く減衰するいいフォルテピアノでソロを聴いてみなければ、ベザイディンオートの真価はわからないかもしれないが、あるいはベートーヴェン以降の「キャラ立ちした」協奏曲は向かない人なのかもしれない。
あ、でも第1楽章冒頭の弾き始めに装飾入れちゃってました。これはキャラ?

一方の伴奏は、示唆的と言ってもいいだろうと思った。
第2楽章について、プログラムでは「前代未聞の驚くべき構成」という解説が付されているのだけれども、叙情的なソロと峻厳なトゥッティの短い交替の連続というのは、イタリア様式のバロック協奏曲、それこそ(何度も引き合いに出すが)ヴィヴァルディの緩徐楽章ならよく耳にするような気がする。これまでこの楽章からバロックを嗅いだことがなかったのは、トゥッティの「合いの手」の表情が思わせぶりすぎたためだったのかも。ホグウッドの「合いの手」は予断なく仮借なく突き刺さる。
第3楽章ではPfソロに付き従うVcソロの動きに強く集中させられました。大体の演奏はこのソロVcは目立たないようにコソコソしているような気がするんだけど、こういうオブリガートもバロックでは普通のことだし、、この楽章も案外古い形式に接近しつつ作曲されているのかしらん。中ほどのVaに現れた鮮やかな瞬間は、ノンヴィブでしか出せない味わいでしたね。

で、ベト7。これは真ん中2つの楽章がベラボーによかったです。
もう簡単に書いちゃうけど、第2楽章は再現部分のフガートがこれ以上ないというくらい鮮やかな切り分け(インテル入ってた!)、第3楽章はこのスケルツォが実はジーグであったことを気づかせる軽いタッチ。なんだかんだ言ってもポテンシャルのあるN響のアンサンブル能力も含めて、非常に満足度の高いパフォーマンスだったと言えます。大抵は非協力的で仏頂面がとりえの紺マス氏が、カーテンコールで珍しく笑顔を見せ、指揮者だけを立たす素振りをしていたのが印象的でした。でした。
by Sonnenfleck | 2009-11-07 09:05 | 演奏会聴き語り
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