朝から雨の土曜日。どうしても音楽を聴く気が起こらないのでYouTubeをぶらついて過ごし、夕方から街に出る。雨が強くなってきたので駅前の本屋に入ってやり過ごし、コーヒーの本など立ち読む。帰宅して、夜の「美の巨人たち」が
マックス・エルンストの
《ナイチンゲールに脅かされる二人の子供》だったので、しっかり見ることにする。
エルンストのことが本格的に気になり始めたのはそんなに昔のことではなくて、例によって豊田市美術館のコレクションにある
《子供、馬そして蛇》、それから
このとき見に出かけて結局感想文を書いていない「シュルレアリスムと美術」展で見た
《女、老人と花》の双方から、強いセンスを感じてからです。
マグリットがあのようなポピュラリティを獲得しているのは、マグリットの絵がちっとも狂気を感じさせないから、プラスチックのように仕組まれて些かの害もないから、だと思っている(でも、だから価値がない、ということじゃないので。藝術音楽の分野からはサティを、もしかするとプーランクの一部の作品も、この系統に加えるべきだと感じている)。それに対するエルンストの作品は、もっと生肉のような、湿気を帯びた狂気をムンムンと発している。何かが篭もっている。
木戸と建物のコラージュ、午後の空、高い空を舞うナイチンゲール、刃物を振り回してそれを追う女、子どもを抱きかかえて逃げる男、地面に横たわる不定形の何か。小林薫は「ナイチンゲール=エルンスト」という解釈を与えていたけれども、あんまりしっくりこないな。。