ホグウッド/N響 第1654回定期公演Cプロ(9/26)

c0060659_9361249.gif【2009年9月26日(土) 15:00~ NHKホール】
●プロコフィエフ:古典交響曲 op.25
●ストラヴィンスキー:バレエ組曲《プルチネッラ》
●モーツァルト:フリーメイソンのための葬送音楽 K477
●ハイドン:交響曲第104番ニ長調 Hob.I-104 《ロンドン》
⇒クリストファー・ホグウッド/NHK交響楽団


気がついてみれば9月はホグウッド月間になっていた。ABC定期全制覇は昔スクロヴァチェフスキでやって以来かな。これによって、バロック以外の作品を振るときの指揮者ホグウッドを大きく見直すことになったのでした。
B定期(ベートーヴェン)→A定期(メンデルスゾーン)と聴いてきて、今回のC定期(古典+新古典)の完成度が最も高かったように感じました。9月を通じてホグウッドのやりたいことにはそんなに変化は見えなかったので、N響の慣れが特に影響していたかもしれない。

ホグウッドが志向する明確でシンプルなフレージングはベートーヴェンでもメンデルスゾーンでも窺えたけれど、この日のプロコフィエフは特にその成果がよく現れていました。
この曲はコントラストを強くしすぎるとわざとらしさが漂い、アンサンブルを自然に普通に整えている演奏って意外に多くはないんですが(決定版ロジェヴェン全集も古典だけは微妙)、あくまでもハイドンの交響曲第300番くらいのノリに抑えたホグウッドは、巧まずして勝利していたかも。結果的に、この数日前に聴いていた読響の荒れたアンサンブルと比べることになったけれども、こういうときのN響は実に活き活きとした機能美に溢れているんですよね。。この感じで第7交響曲や《石の花》が演奏されたら聴きものだろうなあ。

かたや《プルチネッラ》は、あのように自在な機械的特性を要求する方向付けならば、さらなるオケの練り上げが不可欠でしょう。精密機械からバネやネジが飛び出すなんてことはあり得ませんもの。それにしても木越氏のアンチノンヴィブはあそこまでいくと逆に見苦しいな。。あれは指揮者の要求だったりするか?

ブリュッヘンの十八番たるフリーメイソン葬送音楽は、この曲はシンプルに重み第一と思っている自分には軽すぎて欲求不満。好みの問題ゆえこれ以上は書きようがないけど。
で、最後。面白いくらいプログラム一曲目に似た肌触りをしてまして、プロコフィエフの擬態とハイドンの進取が交錯した120分間でした。
by Sonnenfleck | 2009-12-05 09:50 | 演奏会聴き語り
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