ラザレフ/日フィル 第614回東京定期演奏会(10/24)

c0060659_7174430.jpg【2009年10月24日(土) 14:00~ サントリーホール】
<プロコフィエフ交響曲全曲演奏プロジェクト vol.3>
●チャイコフスキー:幻想的序曲《ハムレット》
●モーツァルト:Pf協奏曲第27番変ロ長調 K595
→田村響(Pf)
●プロコフィエフ:交響曲第3番 op.44
 ○同:バレエ《シンデレラ》~ワルツ
⇒アレクサンドル・ラザレフ
  /日本フィルハーモニー交響楽団


いま彼らを聴かぬは損!

土曜朝の11時頃まで部屋で悩んだあげく、ブログ界隈でのラザレフ+日フィルの評判がここ一年くらいでどんどんうなぎ上りになっているのを鑑み、プレヴィン/N響のタコ5を切って溜池山王に行ったのでした。しかしこれは…ラザレフを選んだのはまったく正しかった。コンサートの全編に亘って痺れた。

この人の指揮を初めて聴いたのは2003年に日フィルとやったショスタコーヴィチ11番で、相当壮絶だったに違いない第2楽章よりも、今となっては意外に第3楽章の豊かな抒情が強く印象に残っている。2回目はこのブログを始めてからの2005年12月、サントリーホールでのオール・プロコフィエフ。このときの第5交響曲について、当時の自分は「偉大な鈍重」「大蛇ずるずる」と書いていますが、まさに今思い返してみてもそんな感じで、いずれも強烈な印象を残しているのです。

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プロコの第3交響曲は、ほぼ理想的な演奏だったとしか。

ギャングスターのような悪ぶりに冷えたオカルトを混ぜて、その土台に少年のようなリリシズムがもったりと添加されたこの曲、僕はプロコフィエフ作品の中でも特に好きなのだけど、ライヴではまず滅多に取り上げられることがありません。演奏技術的にオーケストラに掛かる負担と、上記のような相反する要素たちに気を配らなくてはならない指揮者の負担が、ともに大きすぎるからだと思う。
今回ラザレフと日フィルは、その負担どもに対して、真正面からがっぷり四つに組む。
少なくともラザレフの態度は「共同作業」という感じではなく、各パートへの異常にねちっこい指示の飛ばし方を見ていると(よほど緻密にスコアを読み込んだ結果だろう)、「歯を食いしばって俺についてくれば負担も全部引き受けてやる」というような信頼の親方ブランドが燦然と光って見えるのです。きっと練習は苛烈を極めたと思うけど、オケが指揮者を強く信頼して音楽を付託している様子が客席に伝わってくると、それはお客だって強く引き込まれちゃうよね。

第1楽章第4楽章の阿鼻叫喚は、ベクトルの長さが想定外。ただ表面をショッキングにするだけでなく、Vnにすら分厚い低音を求め、低音金管楽器と打楽器によって肉厚の(しかも引き締まった)響きを形作っていたのには舌を巻きます。説得力のないアッチェレランドが皆無なのもすげー。この曲の録音でたとえれば、ロジェストヴェンスキーとラインスドルフのいいとこどり、みたいな。第2楽章も美しい。。
13声部ディヴィジの第3楽章のみ、フラットめの設計に違和感がありましたが、これはラザレフの読みとこちらの好みが合わなかったか、あるいはオケの皆さんさすがに疲れたか、というぐらいのことだろう。あのように、平面の中に模様を閉じ込めるのもありかもしれない。

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で、このプロコフィエフはあくまでも(程度は高級だったけれど)こちらの予想を裏切らなかった。まったく予想外によかったのが、前半のチャイコフスキーとモーツァルト。。

今回の序曲《ハムレット》は、自分の中のチャイコフスキー像を見直さざるを得ないくらい完璧な仕上がりでした。オフィーリアを表すというObのメロディで「おめえらここを聴け」とばかりに客席に向かって指揮をし始めるマエストロが可笑しかったその直後に(これは《1905年》の第3楽章でもやってた)、木管たちが重なり合って天国のような響きが聴かれた。これがまず忘れがたい。

それから最後の葬送行進曲、このときの弦楽は(はっきり書いてしまおう)いったいコバケンが指揮したときにあのような音を出すのと同じオーケストラだろうか、というくらい緻密で静かで、そのうえ溶けたバターのようなぬらめきが備わっていて、とにかくこれも極上でありました。こんなのを聴かされたらブラヴォを飛ばさざるを得なかったです。

それからモーツァルト。うちは佐藤卓史勝手に応援ブログであるから、若手男子ピアニストにはどうしても点が辛くなりがちなのだが、いや確かに田村君のピアノはいいと思った。ハンマー投げ選手のような風貌(ごめんなさい!)に似合わない甘い音の持ち主で、はまったときには本当に素晴らしい効果を発揮すると思う。

ラザレフはやっぱりというか当然、オケメンたちが楽器を構えるタイミングまで指示していたし、さらにピアニストに向かっても指揮をしていて、協奏曲を指揮する指揮者って本来こういう感じなのだろうなあと妙に感じ入る。ラザレフのモーツァルトは今や誰もやらないような、ミッドセンチュリー的なつくりなのだけど、果たしてその精妙さにぐうの音も出ず。
第2楽章でピアノのつぶやきを最初に受けるホルンと、続く管楽器たちのあの美しいバランスを聴いて、それでもラザレフが爆演専門指揮者だと言うのなら、僕は受けて立ちますよ。それぐらいよかった。

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ちょっと興奮した。
by Sonnenfleck | 2009-12-28 07:24 | 演奏会聴き語り
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