シャネル&ストラヴィンスキー(1/16)

c0060659_21572882.jpg【2010年1月16日(土) 16:30~ シネスイッチ銀座】
<2009年 仏(原題"COCO CHANEL&IGOR STRAVINSKY")>
→アナ・ムグラリス(ココ・シャネル)
  マッツ・ミケルセン(イーゴリ・ストラヴィンスキー)
  グリゴリイ・マヌコフ(セルゲイ・ディアギレフ)
  マレク・コサコフスキ(ヴァーツラフ・ニジンスキー)
  ジェローム・ピルマン(ピエール・モントゥー)ほか
⇒ヤン・クーネン(監督)

舞台は1920年のパリ。一流デザイナーの地位を手にしながら、初めて心から愛した男を事故で亡くし、悲しみにくれるココ・シャネル。天才音楽家でありながら、「春の祭典」初演を酷評され、悲観にくれるイーゴリ・ストラヴィンスキー。そんな2人が出会い、たちまち恋に落ちていく―。
妻子あるストラヴィンスキーだが、2人はお互いを刺激し、高め合い、心を解放し、悲しみさえも活力にかえていった。そしてお互いの中に眠っていた新たな創造力を、次々と開花させていくのだった。初めての香水創りに魂を注ぐシャネルと、「春の祭典」再演に命を賭けるストラヴィンスキー。秘められた恋の行方は―。
というストーリー。クラヲタ的には、1920年のハルサイ再演のために改訂作業を行なっている途中のストラヴィンスキー、と書いたらいいか。

昨秋の「クララ・シューマン 愛の協奏曲」が記憶に(特にロベルト錯乱シーンが生々しく)残っているところですが、今度の「シャネル&ストラヴィンスキー」は、はっきり言って、よかった。
まず、徹頭徹尾、装飾的に仕上がっている作品だというのがポイント。
服飾デザインとクラシック音楽という、一般的にはマニアックな世界のお話なのに説明口調の部分がほとんどないし、むしろ観客が想像する余白がたっぷりと取られている。そのために枠組みは重厚なのに足腰の運びが軽いんだな。だから、説明される映画が好きな人にはこれは絶対物足りなく感じられるだろうし、決して万人受けはしないと思う。

それから、その点にも関わるけども、シャネルにもストラヴィンスキーにも寄りすぎていない脚本のバランスが見事。
完全な3人称とまでは言わないけども、シャネルの視点もストラヴィンスキーの視点も不完全で、2人の考えている内容が明確に提示されることはあまりない。(←それでもイーゴリの行動がわかり易いのは僕が男子だから?) しかし見終えた後にトイレに行ったら、すれ違った2人組の女子が「シャネルってマジめんどくさい女ぁ!」って言ってたから、女子的にもココは謎なのか。それも謎。

+ + +

以下、鑑賞後に同行者と話し合った内容及び個人的補足を箇条書く。

■冒頭の唐草模様エフェクトがカコイイ。
モントゥー似過ぎ!!!!!鼻血出そう!!
■ハルサイ初演のシーンは極めてよくできていると思った。クラヲタならこのシーンだけでもこの映画を見る価値があるだろう。(演奏はラトル/BPOなのかしら?巧すぎるので演奏のリアリティはない。) 怒って席を立つサンサーンスを探したが見つけられず。
■ココもイーゴリもカラダがきれいだなあ。R-18ながらきれいすぎて装飾化。
■エレーナ・モロゾヴァ演ずるエカチェリーナ・ストラヴィンスキーはホラー寸前。シャネルに告発文を渡して別荘を去っていくときの演技はなかなかのものです。
■スリマ発見。
■秘書面接と称して男の子を裸にしているディアギレフが可笑しい。
■赤ワインうまそう。
■ストラヴィンスキーが自らタクトを取ってハルサイ再演を行なうラストシーン。その一歩手前で、ストラヴィンスキーはニューヨーク、シャネルはホテル・リッツと、最晩年の老いた2人の様子と彼らが過ごした場所のカットが挿入される。これはどうしてだろう。
「我を忘れて愛し合った瞬間を見ていた観客に、それも人生の僅かな一部分だったにすぎない、ということを客観的に感じさせるためではないか」というのが同行者の説。僕は考えたけども理由がわからなかった。
■タイトルロールで席を立ったらダメダヨ。

+ + +

これ、原作があるんすね。amazonでその商品情報を見てたら
天才音楽家でありながら、7年前のニンジンスキー振付の「春の祭典」初演を酷評され、悲嘆にくれるイゴール・ストラヴィンスキー。
って書いてあるんだなあ。我喜欢胡萝卜!
by Sonnenfleck | 2010-01-26 22:14 | 演奏会聴き語り
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