三島由紀夫『春の雪』、2002年改版、新潮文庫。
『春の雪』が映画化されるようです。公式サイトは
こちら。
三島の遺作となった<豊饒の海>四部作の最初を飾る『春の雪』は、大正時代の華族の若君の悲恋を、あの人独特の重く華麗な筆致で描いた作品であります。
…と書くと、いかにも行定勲が好きそうな
ただの恋愛小説のように見えますね。
事実、映画の公式サイトは『世界の中心で、愛をさけぶ』ばりの「悲恋」をあからさまに前面に押し出してます。行定氏も「王道を行くようなラブ・ストーリーだと思います」と堂々と公言しているし、妻夫木聡と竹内結子というキャスティングもまさに恋愛映画の王道。だけど…
<豊饒の海>四部作はクロノロジカルに展開します。『春の雪』が大正元年ころ、『奔馬』が昭和11年、『暁の寺』が昭和16年〜昭和22年、さらに昭和42年へと進み、完結編『天人五衰』が昭和45〜49年の設定。ものがたりの根幹には、映画で妻夫木聡が演ずるところの華族の青年が「転生」を重ねていくというテーマがあり、四部作を通じてそれを見守るのが副主人公の「本多繁邦」です。『春の雪』で純情な若者であった本多は、『奔馬』『暁の寺』では友人であったその青年の生まれ変わりを追いかけつつ、敏腕弁護士として巨万の富を得るものの、最終巻『天人五衰』では老醜をさらし、死の淵へ沈まんとします。四部作はこの本多の目を通して描かれるのですが、しかしながら「転生」以上に重要なのが、
「唯識」という主題なのです。
「唯識」とは仏教用語で、「
一切の存在はただ自己の識(心)の作りだした仮のもので、識のほかには事物的存在はない」という考え方のこと。三島が拘っていたのはこの「唯識」の証明ではないかと思うのです。ネタバレになるとアレなんでこの辺でぼかしますが、本多が
生涯を賭けて認識し構築してきた世界は果たして本当に存在するのか…ということに関して、『天人五衰』の最後の数行で凄まじいカタストローフが起こります。
『春の雪』はこの壮大なものがたりの序章に過ぎないわけです。まあただ、一編の恋愛小説としての完成度も相当に高いので、この作品のロココ調の面構えに魅了された行定勲の気持ちもわからないではない。でもそうしたら、膨大に張り巡らされた第2作以降への伏線はどうするつもりなんでしょうか。ただの装飾要素になっちゃうのかしら…。一番まずいのは下手に「唯識」という主題に気を遣ってしまうことですね。いっそのこと完全に開き直ってちゃらちゃらした恋愛映画にしてくれたほうが、原作のファンとしてはまだ安心できます。怖いなあ、、でもきっと見に行っちゃうんだろうなあ。本多は誰が演じるんだろ。