アルミンク/新日フィル 裸足のハンガリアン・マチネー(7/31)

c0060659_20175574.jpg【2010年7月31日(土)14:00~ すみだトリフォニーホール】
<第465回定期演奏会>
●リゲティ:Vn協奏曲
 ○ホルへ・サンチェス=チョン:《クリン1996》
 ○リゲティ:《バラードとダンス》*
→パトリツィア・コパチンスカヤ(Vn)
→西江辰郎(Vn*)
●ヴェレシュ:哀歌~バルトークの思い出に(日本初演)
●コダーイ:組曲《ハーリ・ヤーノシュ》
⇒クリスティアン・アルミンク
  /新日本フィルハーモニー交響楽団


まず何を措いてもソロのコパチンスカヤに拍手。楽句の即興的・嬉遊的処理は頭の固いファンを怒らせるに十分だが、その爽快な楽しさはスクロヴァの「主張する伴奏」とあいまって聴き手にハイドン的な知的興奮を与える。第1楽章カデンツァは作曲者本人によるPf協奏曲編曲版のそれを、さらにシュナイダーハンがVn用に再編曲した(!)珍バージョン。音色は実に現代的、ティンパニソロの合いの手が面白い。(2004年4月22日)

まぁー偉そうに書いてまんなぁ(何ノリ)
6年前だからブログを始めるちょっと前のことです。このとき、コパチンスカヤはN響定期でベートーヴェンを弾いたのですが、その彼女と、リゲティの協奏曲で邂逅。

いや、凄かった。とても高級なパフォーマンスを聴いた。
と同時に、作品の素晴らしさも、肌が粟立つぐらいに強く感じた。
全5楽章、約30分間、ありとあらゆる種類の音響が湧き上がる。ゲンダイオンガクらしい鋭利な響き、急激なダイナミクスの変化もあるんだけど、それらはここでは、あくまでもスパイスでしかない。リズムのご馳走も、素朴な民謡メロディもあるし、煌めくような官能的和音もある。それに、構造もシンプルなんだよね。スパイス同士で盛り上がっているような楽屋オチの音楽ではない。なるほど名曲。もう一度聴きたい。
僕はこの日、サイドバルコニー最前方、つまり「すみだジェットコースター」の先頭に座ることができ、ステージを真横から観察する幸運に恵まれたのですが、そこからの観察で感覚的に、リゲティの豊饒な思索が追体験できた。

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コパチンスカヤが弾くソロパートは、全楽章にわたって凄まじい超絶技巧に浸されている。第5楽章のおしまいに置かれた濃密なカデンツァはぜひ正面から眺めてみたかったし、あのカデンツァを弾きながら即興的に歌をくちずさむコパチンスカヤには、軽く引くくらいであった(やくぺん先生のプログラムノートによると、ここは「奏者の自由な振る舞いも許されている」とのこと)。それなのに、出てくる音は繊細緻密なのよ。これはなんとなく、6年前のベートーヴェンの記憶と合致する。

裸足の―この日のパトリツィアはグリーンのロングドレスに裸足―彼女が鋭いパッセージでドン、ドシン、とステージを蹴るのも確認。アルミンクは彼女を評して「アニマル」と穏やかな表現を使っているけど、西江コンマスの顔に急接近して、彼を覗きこみながら非人間的な楽句を弾く様子は、「ビースト」だね。

でももっと「ビーストモード」だったのは、オーケストラの方かも。
「ありとあらゆる種類の音響」のために動員される、オカリナ、リコーダー、スライドホイッスル。。これらの楽器は音量が小さいので、トゥッティの中では目立たないかもしれないけど、これらが「異分子」として混入するオーケストラの響きは(少なくともステージサイドの席では)とても面白く聴こえる。第2楽章では、4名のオカリナ陣がテトリスの丁字型ピースのかたちでオケに嵌り込み、ビーストモード用強化パーツとして視覚的にも目立つ。
基本的には硬質なオケの輪郭が、少量の異分子のためにところどころであやふやになって、その有機的なかたちがソロVnを飲み込んだり、吐き出したりする様子。オーケストラがいつもと違う、生臭いもののように感じられる。

ドリフの総崩れシーンみたいな第5楽章の結尾。数秒の沈黙。大喝采。

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アンコール1曲目は、ググってみるとベネズエラ人の作曲家(Jorge Sánchez-Chiong)が書いたもののようでした。ここでも子音多めの歌というか、ペチャクチャした何かがソロVnとともに発せられて、客席がざわざわ。

さらに、すでにtwitter界隈ではネタバレされているだろうけど、アンコールの2曲目は、スコルダトゥーラ・コンチェルティーノとして頑張った西江コンマスが巻き込まれた。コパチンスカヤに促されて靴下まで脱ぎ、本当に裸足になって(!)《バラードとダンス》。こちらはリゲティお茶目モードのかわいい民謡ピース。これも盛り上がるしかないでしょうよ。喝采また喝采。
西江コンマスの脱ぎ捨てた靴と靴下を、ちゃんと回収して休憩に入ったVnの方に、客席からなおも温かい拍手。休憩中のロビーは、人々の顔が興奮していた。

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そんなわけで、後半は残念ながら「オマケ」感が拭い去られず。。
ヴェレシュの日本初演作品は、葬送行進曲スタイルの、意外にもチャイコフスキーみたいな作品で、演奏されていなかったのもまあわかるなあという感じ。山は高すぎ谷は深すぎ、というような若干の演歌風味がありつつも、素直にいい演奏だったとは思う。

《ハーリ・ヤーノシュ》は、今回初めてライヴで聴くまでさもない音楽だと思ってたんだけど、実際に肌で触れてみると案外ざらざらした苦みもあり、ドライなユーモアに満ちた独特の雰囲気を感じるんだな。『1Q84』で青豆さんがタクシーの中で聴いたのが、《シンフォニエッタ》じゃなく《ハーリ・ヤーノシュ》だったら、ものがたりはもうちょっとだけブッファ調になってたかもね。
ツィンバロンは、3階の奥まで届いたのか。あの箱を上から見下ろす僕の席でも、あんまり聴こえず。真綿と鹿皮のバチが交替で使われていた。

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2010年7月31日の塔。
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by Sonnenfleck | 2010-08-01 20:19 | 演奏会聴き語り
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