井原和子[オール・シュトックハウゼン]Flリサイタル@オペラシティ

c0060659_22395995.jpg【2010年9月4日(土)19:00~ 東京オペラシティ・リサイタルホール】
<シュトックハウゼン>
●Flソロのための《ユプシロン》(1989)
●FlとMbのための《ティアクライス》(1975)より
  〈天秤座〉〈蠍座〉〈射手座〉
  〈山羊座〉〈水瓶座〉〈魚座〉
→小森邦彦(編曲、Mb)
●《リヒト―月曜日》第3幕より
  AFlとBHrのための〈アヴェ〉(1984/85)
→曽田クレム留美(BHr)
●《リヒト―月曜日》第3幕より
  Picとエレクトロニクスのための〈誘拐〉(1986)
○ピアソラ:《タンゴの歴史》より〈1960年代のナイトクラブ〉
⇒井原和子(Fl、AFl、Pic)


こういう気合の入ったプログラムに積極的に参画するのは、僕たち愛好家の責務だと思うのよ。微力ながら経済的にだって協力したいし、何より自分の感度を鈍らせないためにも。
井原和子さんというフルーティストは残念ながら存じ上げませんでしたが、ケルン国立音大の現代音楽科で学ばれた後、シュトックハウゼン夏季講習会で研鑽を積まれているとのこと。この日演奏された〈アヴェ〉でもって講習会でのコンクールに入賞されたそうで、作曲家とも交流が多かったみたいです(松平敬氏のブログ「KLANG weblog」でもそのときのことが紹介されていました)。

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で。元のオルゴールverから、フルートとマリンバのデュオ用に編曲された《ティアクライス》も、ファンシーでキャッチーかつ理知的で大変可愛らしかった(コンセプトが解体されてもこの人の音楽は力があるということが、地味に理解された瞬間)。しかし後半、《リヒト》からのナンバーがとっても良くって、当夜の印象はここに濃縮される。
僕はこの夜、曲が始まるまで、フツーのリサイタル形式で(悪く言えば)棒立ちのまま演奏されるとばっかり思っていたんですが、始まってみたら、当たり前のように《リヒト》の抜粋上演だった。これはこちらの知識不足で、歌手が喉を持つのと同じように、この「オペラ」では楽器を持った演奏者が登場人物になっているわけだから、演奏は演技と溶け合って境い目はないんだな。

〈アヴェ〉。AVE役の井原さんとEVA役の曽田さん。微分音マシマシの楽音と一緒の「舌打ち・笑い声・楽器を吹きながらのしゃべり」、そこへ加えて、リサイタルホールの低い舞台の上を所狭しと動き回る演技。大地の母エーファ=バセットホルンと、その鏡像(小僧?)のアーヴェ=アルトフルートが、惹かれ合い、いがみ合い、和解して一体になる「劇」が、その「音」をセリフにして進行していく様子に、圧倒される。テクストの必要がどこにある。
初めて《リヒト》に触れたのは天王洲のアートスフィアだったが、そのときの心理的遠さが、自分の中でのシュトックハウゼンとの遠さに結びついていたのかもしれない。ゲンオンこそ生で聴かなければわからない。

そして〈誘拐〉。退屈したAVEが子どもたちを引き連れて月に帰ってしまう情景が、リサイタルホールの客席まで含めて上演される。
会場の後方から侵入し、ピッコロを吹いて見えない子どもたちを先導するAVE。鋭すぎずどこか甘いピッコロの音色が、井原さんが通路を移動するのに伴ってあちこちから聴こえるなか、そこにあまねく覆いかぶさる美しい電子音。チェンバロによって、鐘によって、人間の声によって、あるいはただ電子音によって編み上げられた、聴き手の距離感を痺れさすような時間。最後は彼方に向かって静かに溶暗していく。
シュトックハウゼンの音楽は、そこから「宗教っぽさ」という最も大切なコンセプトが除去されても、それでもなお美しかった。溜息が出るよ。この夜の客席には、案外、ゲンオンヲタ的な感じの人が少なくて、それでも自然な感興にもとづく拍手が巻き起こっていた。

関連リンク:シュトックハウゼン来日記念演奏会(2005年6月26日)
by Sonnenfleck | 2010-09-08 22:42 | 演奏会聴き語り
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