ル・ジュルナル・ド・パリ(9/20)

c0060659_21573915.jpg【公演9 2010年9月20日(月)14:00~15:00】
●ラヴェル:4手のための《マ・メール・ロワ》
⇒アンヌ・ケフェレック+児玉桃(Pf)
●ドビュッシー:《前奏曲集》第1巻より
 〈デルフォイの舞姫〉〈帆〉〈雪の上の足あと〉
 〈亜麻色の髪の乙女〉〈パックの踊り〉〈吟遊詩人〉
⇒クレール=マリー・ルゲ(Pf)
●同:《前奏曲集》第1巻より〈沈める寺〉
●同:《前奏曲集》第2巻より
 〈オンディーヌ〉〈月の光がそそぐテラス〉〈花火〉
⇒アンヌ・ケフェレック(Pf)


桃氏の柔らかい低音パートに、ケフェレックの怜悧な打鍵による高音が輪郭を施していく。《マ・メール・ロア》が理想的な名演奏だったなあ。この作品のまったき本来の姿である連弾版は、ライヴで出会うことが極端に少なく、千載一遇の好機を逃さずに済んだ。
〈美女と野獣〉の暖かさも格別だったけども、〈妖精の園〉の気高い佇まいには昇天の心地せり。じぃんと痺れて拍手もままならず。

ルゲ嬢の前奏曲は地上的にして生活的で、あれもドビュッシーの一側面かもしれなかった。大掴みの和音が逞しい。
かたやマダム・ケフェレックの前奏曲は、峻厳な居ずまいがどこまでも鋭く尖り、軽い疲労感を感ずるほどなのですな。〈花火〉は〈火花〉であった。

+ + +

【公演10 2010年9月20日(月)16:00~17:00】
●ドビュッシー:《前奏曲集》第2巻より
〈霧〉〈枯れ葉〉〈ヴィーノの門〉〈ヒースの草むら〉
〈風変わりなラヴィーヌ将軍〉〈ピックウィック卿をたたえて〉〈カノープ〉
⇒クレール=マリー・ルゲ(Pf)

●フォーレ:舟歌 第10番イ短調 op.104-2
●同:舟歌 第11番ト短調 op.105-1
●同:夜想曲 第11番嬰ヘ短調 op.104-1
⇒ジャン=クロード・ペヌティエ(Pf)


ルゲ嬢のいくつかの前奏曲は(〈ラヴィーヌ将軍〉とか)、打鍵がきつすぎ、無理に自分を大きく見せようとしているみたいで少し居心地が悪かった。等身大でオーガニックな〈ヒース〉、とってもよかったのにな。

ペヌティエのフォーレは何かの啓示だった。おじいさんと一緒にホットミルクを飲むみたいな。
手にしたマグの中身がホットミルクになるまで、何がしかの何かがあったのだろうけども、孫たる聴き手はビターな何かを感じても、その正体は掴めない。ペヌティエの静かな語り口は、そのようであった。

+ + +

【公演11 2010年9月20日(月)18:00~19:00】
●フォーレ:即興曲 第6番変ニ長調 op.86
⇒ジャン=クロード・ペヌティエ(Pf)

●ドビュッシー:4手のための《古代のエピグラフ》
⇒児玉桃+クレール=マリー・ルゲ(Pf)
●同:《12の練習曲》第1巻より〈4度音程のための〉〈8度音程のための〉
●同:《12の練習曲》第2巻より〈半音階のための〉〈反復する音符のための〉
⇒アンヌ・ケフェレック(Pf)


《エピグラフ》まで睡魔強襲。個人的この夏のテーマソングだったので無念。

さてもマダム・ケフェレックの弾くエチュードの凄まじさよ。彼女のストイックさとドビュッシーが考えていたモダニズムが化学反応を起こして、厳しい「かたち」ができあがってきた。触れるものを拒む。聴き手は遠巻きに万雷の拍手。

+ + +

【公演12 2010年9月20日(月)20:00~21:00】
●ドビュッシー:語りとピアノのための《おもちゃ箱》
⇒石丸幹二(朗読)+児玉桃(Pf)

●フォーレ:夜想曲 第13番ロ短調 op.119
⇒ジャン=クロード・ペヌティエ(Pf)

●ラヴェル:VnとPfのための《フォーレの名による子守歌》
⇒フィリップ・ベルナール(Vn)+ジャン=クロード・ペヌティエ(Pf)


最終公演。入りは本日最多やも。
《おもちゃ箱》がちゃんとして上演されるのはそうそうないことだろうから、これも貴重な体験だった。兵士の物語に似た他愛ない筋だけど、ヴァイオリンを持った悪魔がぶち壊していかないのと、ドビュッシーの甘く冷ややかな音楽のために、後味悪からず。桃氏の柔らかい音もそれを手助けする。

そのあとのフォーレは、おじいさんのホットミルクが最後にもう一度だけマグの中でぐらぐらと煮え立つような、たいそう胸苦しい音楽であった。
いったいフォーレとは何者だったか。ペヌティエは自分で考えろと言った。

ラヴェルがエピローグを書く。じんわりとした小品だったけど、しかし決定的にラヴェル工房のクリスタル。ヴァイオリンとは不思議な音のするものよな。
by Sonnenfleck | 2010-09-22 22:29 | 演奏会聴き語り
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