ピーター・サーキン Pfリサイタル@武蔵野市民文化会館(10/11)

c0060659_9504432.jpg【2010年10月11日(日)15:00~ 武蔵野市民文化会館】
●ジョン・ブル:《ドレミファソラ》
●同:ジグ
●ドビュッシー:《古代のエピグラフ》
●ウォリネン:スケルツォ(2007年)
●バッハ:パルティータ ハ短調 BWV997
●ショパン:即興曲第1番変イ長調 op.29
●同:夜想曲第18番ホ長調 op.62-2
●同:ボレロ イ短調 op.19
 ○ブラームス:間奏曲ハ長調 op119-3
 ○バッハ:シンフォニア第5番変ホ長調 BWV791
⇒ピーター・サーキン(ピーター・ゼルキン)(Pf)


海辺の街に行楽に出かけたその足で三鷹へ。前夜の疲れがあって集中しきれない時間が多く、サーキン氏には申し訳なし。そのうえでの感想文。

昔(2003年?)、N響でブラームスの協奏曲を聴いたことがあるような気がする。でもサーキンのことがあんまり印象に残ってないのは、演奏の特徴までわかるほど聴き知った作品でもなかったからだろうね。だから、ここで小ホールの至近距離で彼のピアノを聴くことができて、かなり特徴のはっきりした音楽をやる人だとわかったのは、僕にとっては大きな収穫だった。

+ + +

まずバッハのフーガ楽章でのひどい煮崩れと、ノリノリになってしまった箇所での子どもみたいな幼稚なリズム遊びは、ちょっと許容しがたい。
前者は単純なライヴ性のミスかもしれないけど(全然フーガに聴こえなかったんだけど、大丈夫かな)、バッハのジグ楽章を、あるいはショパンのボレロを、一気に浅はかでチャラい世界に持っていってしまったのは、意外を通り越して幻滅であった。これが好きじゃなかったところ。老いたヒッピー。

これだけで終わってしまったら救いがないわけだけど、一部の作品の異様な素晴らしさは何だったか。
冒頭の、ブル《ドレミファソラ》。耽美な旋律に淫するようなサーキンのねっとりレガートは、ヴァージナルのための作品によさを感じていなかった自分には不意の腹パンチであった。面白いことに、ねっとりしつつ色彩感が薄いので、ミルク色の肌の厚い陶器を思い起こさせる。こうやって演奏するといいんだなあ。

同じようなねっとりタッチは《古代のエピグラフ》やバッハのパルティータ(の、プレリュードとサラバンド)にも効果的に用いられて、極度の耽美家としてのサーキンを印象づける。アンコール、やはりバッハのシンフォニア第5番がたいそう爛熟していて、クープランかと聴き間違える軽い装飾音にふぅと溜め息。

+ + +

思ったよりずっと「不器用」なピアノだった。割り切れないものをたんまり抱え込んでここまで来ました、という雰囲気が彼の音楽の根底を形づくっている。この場合、不器用は悪ではないよね。
by Sonnenfleck | 2010-10-16 10:12 | 演奏会聴き語り
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