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晴読雨読:中川右介『昭和45年11月25日』

晴読雨読:中川右介『昭和45年11月25日』_c0060659_22203255.jpg中川右介『昭和45年11月25日―三島由紀夫自決、日本が受けた衝撃』、2010年、幻冬舎新書

事が起こったのは、僕が生まれる10年以上前のことである。

「好きな作家はたれか」という問いに「三島由紀夫です」と応じると、周りの「大人」たちが少し変な顔をする理由を、僕はこれまでずっと知りたがってい、逆にそれと同じくらい知りたがっていなかった。
僕が好きな、唯、虚構と美文に淫することに天才を発揮した作家・三島由紀夫と、市ヶ谷で割腹自殺した(らしい)丸刈りの人物とが、どうしても結びつかない。結びつかなければ結びつけなくともよい、と思って、彼の小説と戯曲に積極的に浸ってきたのとは異なり、彼が書いた思想的エッセーや、事件に関連した文献には、なんとなく触れ得ずにここまできてしまった。

そんなふうだから、なのかもしれないけれど、割腹自殺の件について「大人」たちが何かを語るのを、20代後半の僕は見たことがない。
アンタッチャブルとして処理される理由は、もう公言されていない。なんとなく、昭和の終わりころまではアンタッチャブルの理由が暗黙の共通認識になっていたのではないかと予想するのだが、きっと「思想」が特殊なひとの玩具として専門店で売られるようになったために、それも崩れている。

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この一冊は、当然のことながら中川右介氏の著作であり、氏の解釈と意向に沿って練り上げられているものとは思う。

だけど、昭和に生きていた120名の「昭和45年11月25日」への発言がコンパクトに取りまとめられたデータ集としての、わりあいに中立的な二次資料としての側面も間違いなく持っていて、これが新書みたいに手軽な形式で読めるようになったのは画期的ではないかしらと感じる。声が大きいひとの、思い入れたっぷりの一人称ではない、そこがこの一冊の優れたところなんだろう。こういう資料を読んでみたかったんだよね。
通常は時間の流れによって自然に形成される歴史の淵を、無理にコンクリートで固めて造った感は確かに否めないのだけれども、誰も何も語らない事件については、これくらいの公共工事が必要なのかも。

時系列を追うシンプルな4章立てで、なるほど作者があとがきで触れているように、『サド侯爵夫人』のごとく複数の視線によって本人がホログラムのように浮かび上がる格好。サド侯爵本人が登場しないのと同じように、三島由紀夫の肉声は語られない。中川氏はこんな状況を「情報が多すぎて、何が真実なのかわからない」とし、結論を曖昧にしている。これも賢明な投げ出し方だと思う。

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感想を語る120人は政治家、作家仲間から演歌歌手まで、本当に幅広いんだけど、事件の理由を三島由紀夫のウヨク思想に持ってきてる人が(それも、当時の若者が)思っていたよりかなり多くて、ただの美文ファン、ただの虚構ファンとしては、定めしそんなもんだべなあ…と思いつつもなにか腑に落ちない。

僕は2010年から振り返ってみて完全に「美学的自殺」だと思っているのだが、これは、三島由紀夫の作品しか残っていない今日だから持ちうる視点なのかな。死んだ行動家が芸術家として認識されているなんてのは、あるひとたちにとっては許しがたいのかもしれない。(逆説的な作劇が大大大好きだった本人はあるいは、多磨霊園の地下で大喜びしているかもしれない。)

晩年の三島由紀夫のああいった思想や行動は、僕には全部ポーズだったとしか思えないのだよな。本書に収録された「檄文」の、うっとりするような美しい修辞を目にして、あらためてそう感じる(念には念を入れて書き添えるが、あの内容は、僕には心底どうでもいい。強烈な自己愛の結末。ただ、あのようにして死んだら美しい、のための事務的準備。それでよくね?別に?

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「大人」の皆さん。あなたはあの日、何をしていましたか。何を思いましたか。
by Sonnenfleck | 2010-11-25 22:53 | 晴読雨読 | Comments(6)
Commented by 珍言亭ムジクス at 2010-11-27 00:47 x
中川右介『昭和45年11月25日』を読み、40年目と言うことで『豊饒の海』を読み、そしてこのブログで記事が書かれるのだろうと待っていました。

あの日、私は中学生で、あの出来事によって初めて三島由紀夫という作家を知った。
夕刊には生首が写っていた記憶があり、テレビでは三島の演説が流れていましたが、中学生の私には単なる「すごい事件だな」という抽象的な印象しかなく、翌日にはもう忘れていました。
だから文学、政治、思想、いずれの観点からも捉えていなかったけれど、後になって圧倒的記憶となり、それはこれからも変わらないと思う。

肉体の衰えによる醜態を晒したくないという強烈な思いが行動の急進性に拍車をかけたのは間違いないだろうけれど、どうしても「輪廻転生を最終的にどう思っていたのか」は知りたい・・・知りようもないのはわかっているのですが。

それともうひとつ、辞世の句がどうしてああも露骨で出来が悪いのだろう?
森田必勝の辞世の句ほうがずうっといい。
もはや辞世の句には作家としての三島由紀夫はなかったのだろうなあ。

だらだらと勝手なことを書きましたが、これからも三島由紀夫について考え続けます。
Commented by pfaelzerwein at 2010-11-27 17:11
事件は起きた時からもしくは知ったその時点から、過去もしくは完了として語られるので、同時に体験した人は数少ないでしょう。

当日は何曜日だったか知りませんが、平日だったでしょうから、学校から帰って来て、TVでは小金治ショーが特番扱いになっていたと想像します。夕刊の生首は記憶にはありませんが、私が見ているのは銀行での朝日グラフか何かです。

もちろん当時の学生紛争の裏で盾の会やらの活動は子供ながら記憶がありますが、その印象は今でもあまり変わりないといった按配で、あの一連の事件を「マトモに同時代性を以って感じていた人」は矢張りこれまた極少数と思われます。

むしろ同じ年の大阪万博やらの時代性の方が今でも印象は強く、恐らく歴史的に考えれば、当時誰も真剣に考えなかった三島事件は思想面でも大きな転機に起こった事件となるかもしれません。その後の日本は現在の衰退へと向かって一直線に突き進んだのでした。
Commented by Sonnenfleck at 2010-11-28 10:20
>珍言亭ムジクスさん
なるほど。中川氏も「そうなのだ、という真実の答えはない」としているとおり、実際の報をご覧になった方に対しては、文学も思想もすべて混ざったひとつの大事件として印象づけられた、というのが自然なのだろうなあと感じます。

特に晩年の作品に出てくる、老いの醜さへの攻撃的描写には、むしろ違和感を感じるくらいです。三島はたとえば「醜い若人」と同じくらい、「醜くない老人」を認識するのが嫌だったのでしょうね。本人も知らぬ間に作風と人格とが融合してしまった結果なのかもしれません。

森田のうたはクールですね。
Commented by Sonnenfleck at 2010-11-28 10:34
>pfaelzerweinさん
とても興味深いです。現在から振り返って眺めたときに、あの事件に対する同時代性を強調している意見は、もしかすると、特段に声が大きい少数のひとたちの少数の意見なのかもしれないわけですよね。

三島の檄文の「内容」に関して、私が少しでもゾッとするところがあるとすれば、それは、pfaelzerweinさんもおっしゃるような現代の日本の衰微を明らかに言い当てているということなのです。少なくとも彼の認識する世界においては。40年後に生きる楽天家からすれば、衰微もそんなに悪くないぜと(醜の美がこんなに華やかな時代もないぜと)教えてあげたいところです。
Commented by Pilgrim at 2010-12-05 15:12 x
 僕は当時、小学生でした。何年か前から三島をボチボチ読み返していますが、やはり面白いですよね。

 あの事件に政治的な意味は何もないし、あの人はノーベル賞貰って、自分の文学人生を完成させる意図のあったみたいで、それが川端に行っちゃって、何か他の方法を考えざるを得なくなった、なんて説もあるようです。

 僕はこれ、当らずとも遠からずと思っています。
Commented by Sonnenfleck at 2010-12-05 21:42
>Pilgrimさん
ご無沙汰しております。
作家と作家の作品を一緒にして考えることができると仮定すれば(三島文学にはこの仮定は不必要かもしれませんが)、あの自尊心の固まりみたいな文章を思うと、その説も十分にあり得ることだと思います。

彼のフィクションが好きな一ファンとしての立場から意地悪く書くと、彼の作品の根幹には「ちょっとお洒落をした大正の私小説」みたいなところが確かにあるような気がしていて、ノーベル賞を逃した格好悪さ、をトリガーのひとつとするのも納得のいく見解ですね。
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