デュトワ/N響 2010横浜定期@みなとみらい(12/18)

c0060659_10434174.jpg【2010年12月18日(土)14:00~ 横浜みなとみらいホール】
●ラヴェル:Pf協奏曲ト長調
 ○ブーレーズ:《12のノタシオン》~I, IV, V, II
→ピエール・ロラン・エマール(Pf)
●ショスタコーヴィチ:交響曲第8番ハ短調 op.65
⇒シャルル・デュトワ/NHK交響楽団


冬晴れの
土曜の午後の
横浜の
こんなところで 聴く曲じゃない

それはさておき(ああ)

タコ8。自分が生で聴いたN響の中では、ブロムシュテットの《グレート》以来のスマッシュヒットだった。それはオケ内の志向がばらばらにならず、きちんと意思統一が図られているという意味で。ミスの多寡はあまり問題ではない。

デュトワのショスタコーヴィチ、面白いんだね!特にそれを、第3楽章の拍の取り方に強く感じた。
ショスタコの中でもとりわけ深刻で重たい第8交響曲を取り上げるなんてのは、まずだいたいがロシア系の指揮者たちである。
彼らにもさまざまなタイプがあるから十把ひとからげにはできないが、中期ショスタコの急速楽章に限れば、小節の中を絨毯爆撃していくような「踏みしめ型」のリズム把握がほとんどだろう。非ロシア系でこの曲をレパートリーにするハイティンクやベルグルンドも、やはり同じタイプ(プレヴィンとショルティは聴いたことがないのでコメントできないのですが)。

ところがデュトワはね。違ったんだな。
Vaから始まるリズム[タ・タ・タ・タ│タ・タ・タ・タ│タ・タ・タ・タ]というのがこの楽章の「踏みしめ」だとすると、デュトワがやったのはタタタタタタタタタというような「跳ね飛ばし」(したがってそのぶん、聴感上の速さは著しい)。これは古楽では当然の拍取り方法だけども、ショスタコーヴィチでこういったのを聴くと胸が熱くなっちゃうよね。このスピードではトロンボーンとテューバは死んでしまうなあと思ったら、皆さん顔を紫色に染めながらも拍を崩さない。ここで拍が崩れなければ、デュトワの意思は実現されきったと言っても良いと思われた。まるで《ミューズの神を率いるアポロ》を聴いているかのようだった。ほんとだよ。

こうした拍取りに基づく演奏様式は、この日の演奏の急速な部分においては至るところで見つけることができたし、さらにじっくり聴けば、緩徐な部分でも見つけられそうであった。ショスタコ演奏でもこういったことができるのだということに驚くのと同時に、なぜ誰もこうした様式を用いたがらないのか、たいへん不思議に感じたのである。
今のところ、このようなスタイルのショスタコーヴィチを聴いたことはあまりないし(ティエリー・フィッシャーは比較的近かった)、もしデュトワがこのスタイルでぶれずに録音してったりしたら、ショスタコ演奏史に残る交響曲全集ができるだろう。あるいはリムスキー=コルサコフまで来ているインマゼールが、反対側からトンネルを掘り進めてきているのかもしれないが。。

リズムの話ばかりしてきたが、デュトワのハーモニーの感覚も、ショスタコにおいては新鮮な結果をもたらしている。
第1楽章では、濁りながらも黒光りするツヤあり感がプーランク(シリアス時)を思わせたし、第2楽章は野蛮のポーズとべちゃべちゃとしたテヌート(もちろんこれはわざとだよね)とが相まって、お腹をこわしたオネゲルのような趣き。第4楽章は冷たく湿ったブリテン風。第5楽章《ペトルーシュカ》の、謝肉祭の市場そのまま。
ロシア系の指揮者たちがつくる生真面目な第8とは一線を画すカラフルな様相、お見事としか言いようがない。

加えて、オケの状態も悪くなかった。いや、正確に書くならば「優6割、良3割、可と不可で1割」くらいのブレンド具合なのかな。いつもは「良」の割合が非常に高いN様ですが、今回は「優」が多くて素敵。池田さんのコーラングレがMVP、そしてVaVcKbと打楽器の皆さんの充実が著しかったでした。

+ + +

前半のラヴェル。いや、よかったよ。エマールもアンコール弾いてくれたしね。でもちょっと変な演奏だったような気がするぞよ。

第1楽章の鈍いアンサンブルにはガッカリさせられたが(どうしたことでしょうか)、第2楽章から急に立ち直って、そして第3楽章が来た。
相変わらずの美しさを放射する前の楽章との落差をつけるために、この両手協奏曲の最後の楽章では、不真面目なアーティキュレーションを多めに盛り付けて、はじけてしまうことが多いと思うんですよ。
ところが、この日の演奏は最後まで抑制が強く効き、箱庭的な停滞感が漂っている。箱庭の完成度が極めて高いために、音楽として展開していくことすら箱庭の中に組み込まれていて、内にしか向かっていないことを気づかせない。鉄道ジオラマの登場人物は、自分たちが模型の中にいるのだと、目の前を走る電車が同じところを回っているだけだと、そういうことに気がつくのだろうか。みたいな怖さ。

アンコールはブーレーズのノタシオンから数曲。前に進む音楽。収穫したての野菜のようにしゃきしゃきと瑞々しく、甘い。
by Sonnenfleck | 2010-12-19 10:56 | 演奏会聴き語り
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