ブリュッヘン/新日フィル Beethoven Project 第2回(2/11)

c0060659_2246503.jpg【2011年2月11日(金) 15:00~ すみだトリフォニーホール】
<Beethoven Project>
●交響曲第4番変ロ長調 op.60
●交響曲第5番ハ短調 op.67
⇒フランス・ブリュッヘン/
  新日本フィルハーモニー交響楽団




◆1 生煮えとしての第4番
オケのコンディションがすこぶる悪い。エロイカと第5の過渡期の、どっちつかずの存在として第4を捉え、それを演奏精度のフェーズにまで徹底させたのであったとしたら、それは評価しなくちゃならないとは思うけど、実際には単に造り込み時間が不足しているようにしか聴こえず、僕にはブリュッヘンの意図が掴めなかった。(ところがディテールに拘る箇所もちゃんとあったんだな。第1楽章の結尾をメゾピアノくらいまで急激にディミヌエンドしたのはなぜだったか。チェリビダッケがよくやるあの技。)
崔コンマスのときの新日はほとんど外れがないと思ってたんだけども、今の彼らだったら絶対にもっと良いものを実現できるだけに、あの粗雑なテクスチュアには率直に言ってがっかり。2月8日の第1回ではパート内から誰かひとりの音が浮かび上がってしまうということはなかったが、この日に前半は特にその凹凸感が気になった。Vcもフィナティ氏だけひとり悠然とヴィブラート掛けてたしな。。

◆2 管楽合奏のための協奏交響曲ハ短調 op.67a 《運命》
このため、後半の出来如何によっては、長々と書いた前回の感想文をいくらか訂正しなければならないかと思ったのだが、幸いにして杞憂に終わった。

いつも《運命》を聴いて、特に何も考えず、弦楽合奏の間に管楽合奏が挟まっているように感じていたのだが(弦楽器経験者のナチュラル傲慢)、この演奏はまったくの逆であって、初めからおしまいまで常に管楽器が最前面に位置づけられ、各所で快楽的な花がぽうぽうと咲いていた。

特に第4楽章の管楽隊の響きの「織り」はまことに見事。ラトルなどがいかにも取ってつけたように登場させるピッコロを、楽章の初めから惜しげもなく贅沢に投入しているにもかかわらず、第1楽章からずっと強靭な管楽合奏を展開してきたために、特徴的な音色の新楽器たちの登場を難なく受け止めることができている。色鮮やかな友禅に太い金糸を這わせたような、豪奢な印象を受けた。(3階奥の僕の席からはコントラファゴットの活躍を聴き取ることはできませんでしたが、ピッコロと同じように堂々とアンサンブルを盛り上げていたことでしょう。)

また、そのような管楽合奏を消してしまわないように、ことに第2楽章など弦楽合奏の音量バランスをかなり慎重にコントロールしていたのも印象的。こうしたときにはノンヴィブラートで弦の減衰を速めるやり方が正攻法だし、現に有効だよね。

そうした中で後半は、特にファゴットの取り扱いがよく練られていたように思う。
通奏低音楽器としてファゴットを捉える考え方はハイドン中期くらいで途絶えたという認識だけども、この日は、その古式ゆかしい方法がいくぶん復活していた気がする。ファゴットはもちろん、輝かしいソロも披露するけど、同時に管楽合奏の中のリズム隊として、快楽的花弁を支える茎の役割も熱烈に要求されていたようだ。首席の河村さん、ホントにお疲れさまでした。ブラヴァ。

協奏交響曲的テクスチュアを実現し、泰西古典浪漫主義名曲《運命》の視座をぐらぐらさせること、これを交響曲性の簒奪の一種として無理やり捉えることもできるだろう。このあと、我々はついに《田園》と出会うのだが、はてさて田園交響楽はそのままの姿をしているだろうか。《田園》と空気感のよく似ている第2交響曲の第2楽章を聴いた限りでは、今回もやっぱり、時間と展開を拒否した幸せミイラ的テクスチュアが用意されているような気がする。

[関連リンク]
SIDE-B/SIDE-I (4)(2006年。18世紀オケとのツィクルスについて。)
on the air:ブリュッヘン/スタヴァンゲル響のベートーヴェン 2(2008年。)
by Sonnenfleck | 2011-02-15 22:49 | 演奏会聴き語り
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