いったい何ができる?

金曜の午後、お客さんとの話が終わって彼をエレベータホールに案内し、乗せようとした瞬間、ゆらっときた。どうせすぐにおさまるだろうと思って「大きいね」なんて話していたら、揺れはいっそう激しさを増し、まもなくエレベータは停止。エレベータのカゴが壁面にガツガツとぶつかる音が響く中、僕らはつかまり合って立っているのがやっとであった。

揺れが収まるのを待って、ひとまずお客さんを階段で地上まで案内し(あとで考えればこれは気の毒なことをしてしまったのだが)、自分の机に戻ると、散乱した書類を床から拾い上げながら、同僚たちが引き攣った顔でテレビを眺めている。仙台で震度7という。
実家のある秋田市も震度5強に見舞われているのがわかり、急いで携帯電話で連絡を試みるも繋がらず、メールでこちらは無事と連絡を入れる。みんな無事でいてくれ。やがてメールも繋がらなくなってしまう。

18時頃、父親から家族全員無事とのメールが届き、安心する。
仕事の役割的にも、また移動手段がないことからも、この日の19時頃には会社に泊まることを決意する。暗い中で20キロ以上も歩くリスクは大きい。官房長官の言うとおり、無理に帰宅するのはやめよう。

+ + +

大きな余震に生きた心地がせず、緊急地震速報のたびにヘルメットをかぶり直す、長い夜。やがて事態が明らかになるにつれ、東北が甚大な被害に見舞われたことがわかってくる。仙台放送局の東北ニュースで子どものころから親しんできた太平洋側の街が、壊滅的な打撃を受けている。津波にのまれて亡くなった大勢の方のことを思うと、目の前が暗くなる。恐怖だ。

0時半頃、応接室のソファに横になる。身体は休息を求めているが、心がそれを許さない。おかしな内容の夢を何度か見て、4時頃の緊急地震速報の音で目が覚める。今度は長野か。日本はもうだめなのか。

周囲の高層ビルに映る不気味な夜明け。それでも陽光は気持ちを高揚させるのかもしれない。6時頃、対策本部で今後の対応を協議し、ひとまずは残っている者で倒れたキャビネットの復旧をして帰ろうということになり、簡単な食事を摂ってから、10時頃まで必死の片付け。その後、復旧したJRを乗り継いで帰宅。武蔵野の街は何もなかったかのように静かなのだ。

自室はCDが散乱しているのと、TVが落ちて床がへこんでしまったのを除けば、さしたる被害もなく、東北の惨状とのギャップに胸が苦しくなる。
僕にはいったい何ができる?僕の東北のために?
by Sonnenfleck | 2011-03-13 19:30 | 日記
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