【passacaille/961】
<ヨハン・クリスティアン・バッハ>
●ソナタ ハ短調 op.17-2
●ソナタ ト長調 op.5-3
●ソナタ 変ロ長調 op.17-6
●ソナタ ニ長調 op.5-2
●ソナタ ホ長調 op.5-5
⇒ニコラウ・デ・フィゲイレド(Cem)
やっぱクリスティアン・バッハって佳い…というアルバム。かつ、ニコラウ・デ・フィゲイレドの代表作となるべき録音と思われる。
op.5-3 ト長調の、聴いてるこっちが痒くて恥ずかしくて身悶えするようなギャラントぶり。これは、上質なラブコメにニヤニヤしているときの気持ち、そして、読後に必ず感ずる幸福な空しさによく似てら。今日から僕はクリスティアン・バッハ≒ラブコメと認識することにする。なお、ここから中二病をこじらせるとブラームスの緩徐楽章になります。
op.17-6 変ロ長調などは様式が下っているせいか、モーツァルトの雰囲気かなりに接近しているけれど、モーツァルトのように展開部で深淵を覗くこともなければ、かと言ってハイドンほど健康的でもない。
でも、現世利益の何が悪い。俗気と色気の漂うフィゲイレドのタッチで聴くのに、これほど合う音楽もないだろう。第2楽章など、上品な香水が体温で温められて匂い立ってくるかのごとき現実的エロスである。
そんな曲どもを、ひたすら伊達に弾きまくるフィゲイレド。軽いタッチと絶妙の弾力、罪のない揺らめきが得意なフィゲイレドには、息子スカルラッティよりも親父バッハよりも
(もちろんそれらも素敵なんだが)、この浮薄なキャラクタがよぅく似合っている。すべてのチェンバリストがアンタイやセンペだったら、この世は息苦しかろうよ。
そして、ここでフィゲイレドが弾いている1749年グジョンモデル(エミール・ジョバン製)のフレンチがかなり華奢な音のする楽器であり、この軽~い雰囲気づくりにまったく一役買っていることも、忘れちゃならない。