グスタフ・レオンハルト オルガン・リサイタル@明治学院チャペル(5/29)

c0060659_2132583.jpg【2011年5月29日(日) 15:00~ 明治学院チャペル】
●スウェーリンク:プレルーディウム
●シャイデマン:プレルーディウム(1637)
●アラウホ:ティエント第54番
●ラインケン:トッカータ ト短調
●フィッシャー:シャコンヌ ヘ長調
●ブロウ:3つのヴォランタリー
●ケルクホーフェン:ファンタジア第131・132・129番
●パーセル:ヴォランタリー ト長調
●ベーム:コラール前奏曲《キリストは死の絆につかせたまえり》
○アンコール フィッシャー:《音楽のパルナッソス山》~組曲《メルポメネ》のシャコンヌ イ短調
⇒グスタフ・レオンハルト(Org *ヘンク・ファン・エーケン(2009))


今日30日はレオンハルトの83歳の誕生日とのことだ。めでたい。

前にレオンハルトを生で聴いたのはこのブログを始める前の2004年6月であるから、実に7年ぶりということになる。そのときの感想メモを読み返すと「ベームとヴェックマンがすごかったです」と書いてあるのだが、前回は本人を目の当たりにするだけで感激してしまったので、内容に関してしっかりとした記憶があるわけではない。

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雨脚が弱まらない中、白金台の駅から傘を差して日吉坂を下る。明治学院大学に立ち入るのは初めてですが、きれいなところですね。晴れた日に来てみたかったな。
チャペルは入り口が狭く、また雨も降っていることから、開場してからも長い長い行列に。並んでいると雅明氏の姿を発見。行列もみんな古楽好きなものだからその辺は心得ていて、みんなニコニコして氏を眺めるの巻。

客席から演奏台が見えないのをいいことにどうやらずいぶん前からスタンバってたレオ爺、入場の儀もなくいきなりのスウェーリンク。電撃的。いくぶんの揺れやふらつきもなくはないが、タッチの鮮やかさは83歳とは思えないね。

さて、シャイデマンの古色蒼然としたストップによる分厚いブレンドから、アラウホの最初の一音で一気に、赤っ茶けて乾いた空気が空間を充たしたのは驚愕であった。これが巨匠の技か。乾いた真夏の強い日差しのような音の線が、見えないけれども確かに、チャペル内部の湿った木組みを貫いていた。完全に残響なしの明治学院チャペルの特性も、音の追い易さに寄与したようだった。

フィッシャーは個人的萌え曲なので、公正公平には聴けませんでしたけどね。
アラウホからさらに一歩進めて鋭く尖ったラインケンでのストップ捌きから、今度はすっと方向を変えて、フィッシャーでは軽く鼻に掛かって掠れたようなブレンドが用いられた。アーティキュレーションも素朴で可愛らしくて思わず涙ぐんでしまう。でも、フォルムが絶対に壊れず、低音が着実に推進しているのは、やっぱりレオ爺の通奏低音魂のゆえだろう。いまだ衰えぬ推進力。

ブロウの3つのヴォランタリーは、2曲目のストップが実に刺々しく、またタッチもたいへん攻撃的でちょっとびっくり。でも3曲目で、今度はあっと思わされるくらい香りの薄いブレンドが用いられて、その落差設計に舌を巻くという結末。

重たく輝かしいベームが終わると、前方の客席からいいタイミングで拍手が巻き起こる。オルガン直下の住人は上を見上げるしかなかったが、ちょうどバルコニーから顔を出して下を覗き込んだレオ爺と目が合ってハッピー。妄想じゃないぜ。絶対目が合ったぜ。
アンコールに、まさかのもう一丁フィッシャー。今度は短調のシャコンヌ。フィッシャーが最強に輝くのは、このリュリ風のシャコンヌなんである。ストップはまたぽそぽそしたブレンドに調合されていた。幸福のきわみ(聴いたことある、、と思って帰宅して調べてみると《メルポメネ》のシャコンヌであった)

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↑レオ爺はこのバルコニーからひょいと顔を覗かせた。直上と直下の出会いさ。


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昔、といってもそんなに昔じゃないが、山之口洋『オルガニスト』というSF小説があってですな。僕は今でも好きなんだけどね。
グールドみたいな演奏をする天才オルガン科学生が、ヴァルヒャとレオンハルトを足して3倍したようなギチギチの超マエストロ師匠と対立して、学生君のほうが失踪したと思ったら、超マエストロがオルガン演奏中にいきなり爆死(文字通り)して、返す刀で怪しい組織が登場し、いつしかお話はSFの高みへ、というぶっ飛んだ話。

『オルガニスト』は、いかにオルガンがメカであり、また音楽そのものであり、人間はメカと音楽に思いを寄せながら、果たしてその合一は図られるか?という切ない主題をも扱っている。この日、レオンハルトのオルガンを聴いていて、僕はこのSF小説の終結部を思い出していた。もしカーテンコール(と呼んでいいものなのかわからないが)でレオンハルトが姿を見せなかったら、あれはオルガンそのものが何らかの意思を得て自ら鳴っていたと錯覚するところだったのね。

奏者を見えないようにして音楽を神化する教会建築の狡猾さを実感するのと同時に、奏者も聴衆が見えないのだから、弾いているうちにオルガンや音楽との合一感が高まってくるものなのかなとも思う。不思議な楽器だ。

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オルガンの音が消滅すると、その隙間を雨音のホワイトノイズが埋める。またオルガンが鳴り出し、止み、雨だれ。深呼吸すると、古い木造建築が湿ったときの懐かしい香り。これらがあの濃密な一時間の世界のすべてであった。
by Sonnenfleck | 2011-05-30 21:43 | 演奏会聴き語り
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