アルミンク/新日フィル 第481回定期演奏会@サントリー(7/28)

c0060659_615266.jpg【2011年7月28日(木) 19:15~ サントリーホール】
<今、真の芸術作品に光を。秘宝よ輝きを放て>
●ウォルトン:ヒンデミットの主題による変奏曲(1963)
●ブリテン:Vn協奏曲 op.15
 ○バッハ:無伴奏Vnソナタ第3番~第3楽章
→イザベル・ファウスト(Vn)
●ヒンデミット:ウェーバーの主題による交響的変容
⇒クリスティアン・アルミンク
 /新日本フィルハーモニー交響楽団



ブリテンの協奏曲が極めつけに佳かった。なんと痛切な音楽だろう。。

異国を内包したスペイン風のリズム(タンタ|タタンタン|…タン)が執拗に付きまとう第1楽章は、オケの冷たい湿り気にブリテンの真髄が宿っていたし、ファウストの歌い口も不穏で心細い。心細いが、それをただの音色じゃなく充実したアーティキュレーションで実現させてるのが、超一流の藝術家の証拠だろう。

第2楽章はショスタコーヴィチによく似たスケルツォだが、あちらさんに比べてブリテンのスコアはオケがさらに残忍に鳴るようにできてるようで、11月の夜の森のようなオケの暗い咆吼にしばしば背筋が寒くなる。

そして第3楽章だけども、あの痛切な旋律美を完璧に描き出したファウストの手腕には脱帽するしかないよ。藝術的でも反藝術的でもなく、時にはヴァイオリンであることも超えて木管や金管にも、人の声にも変容しながら、ただそこにある楽音として音楽を奏でる人なのであった。
静謐で長い第2楽章のカデンツァからアタッカで突入すると、頼るべき何ものかを希求するようなアリアが始まる。アリアは何度も途切れながら、静かにクライマックスに向かっていく。張りつめたフラジョレットに客席は息を飲み、音がついに途絶えても動けない。ソロも指揮者もオケも、客席も、おのがじし何かを感じ、考えるための長い沈黙があった。

アンコールに選ばれたバッハも、旋律の線がそれほどはっきりせず、途切れがちなアリア。ファウストの意図を感じ、ぐっと目頭が熱くなってしまう。ブリテンとバッハの繊細な旋律に身を浸して、休憩時間いっぱい、ぼうっとする。

+ + +

後半、すでに20時45分を回っていたが、交響的変容が始まる。
これは仕掛けが巧妙に発動した感があった。すなわち、全曲を甘く、ソフトに、上品に仕上げることで、音楽的クライマックスを第3楽章に持ってくるという手口なんだよね。トリフォニーでトリスタンをやった残響がオケに残ってるみたいで、特に弦楽器の響きがいつもよりずっと官能的であった。

この曲の第1,2,4楽章は(極論すれば)グイグイひっぱってドンジャカやってりゃだいたい格好がつく音楽と思うので、そこで、通常は浮いてしまいがちな第3楽章にあえて焦点を合わせるなんてのはいかにも頭脳プレーだわな。
そしてこの皮肉いっぱいの音楽を、推進力をまったく持たせずに無邪気に柔らかく変換してゆくという、ヒンデミットに対する皮肉も漂うよね。



最初のウォルトンは感想なし。ヒリヒリに乾いた音の中に時折響く稲光のような激しいパッセージが、僕をこの作曲家から遠ざける(酷薄すぎてついてけねーのです)
by Sonnenfleck | 2011-08-01 06:21 | 演奏会聴き語り
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