サントリーサマーフェスティバル2011|映像と音楽 - 瀧の白糸(8/27)

c0060659_22252379.jpg【2011年8月27日(土)16:00~ サントリーホール小ホール<ブルーローズ>】
●溝口健二×望月京:無声映画《瀧の白糸》
 (1933製作/2007作曲)
 (35mmサイレントフィルム、白黒、101分)
 音楽・日本初演
→有馬純寿(エレクトロニクス)
⇒杉山洋一(Cond)
 藤原道山(尺八)、後藤真起子(箏)、辻英明(三味線)
 池上英樹(Perc)、篠崎和子(Hp)、野口千代光(Vn)


1933年の無声映画に、2007年の音楽が寄り添う。

時には素直な効果音のごとき場面もあるが、音楽のほとんどはそれ自体が映画とは無関係なイメージを喚起する豊かなもので、映像と同様の色気を感じさせた。
従って、どちらかがカンヴァスになって全体の印象を決定づけるのではなく、今は映画が主に見える、ここは音楽がメインに聴こえる、てな感じで、だまし絵状態に陥った。これは同じ「後付け型」のヴィオラ×ヴァレーズじゃ感じなかったで。

さて、望月さんの音楽をライヴで聴くのはこれが初めてだったが、響きが著しく肉感的であるのに衝撃を受ける。
メロディもリズムもハーモニーもそれぞれは渋い雰囲気だが、なぜかそれらが集合すると華々しく感覚を撫でる。音の要素が蒔絵重箱にぎゅっと詰まっているような感じ。そらぁあんた箏と尺八と三味線が入ってたから華々しいのは当たり前じゃねえか、と思われるかもしれないが、この官能性は(別エントリで取り上げる)マン・レイのフィルムへの付随音楽ではより一層高いレベルで現れていたので、これが望月音楽の特徴なのだろう。
箏とハープの切ないデュオ、パーカッシヴにメロディを奏でて最強な三味線、それをライバル視して頑張るヴァイオリン、すべてを強烈に統率する打楽器群に、気障な尺八。アンチストイック、饒舌な音楽だった。

また、無音の箇所がかなり多いのもたいへん面白かった点です(それも、いかにも情感溢れる場面や、いかにも哀しい場面において)
そうしたときは、プログラムにもあったけど、網膜に光が焼き付いて太陽の形が見えるがごとく、無音の画面にそれまでの音楽が残響として漂うんだなあ。それを自分の中に聴き取るのはとても愉快な経験だった。

+ + +

最後に、映画についてね。映画と演劇と建築は、上手に鑑賞する方法がいまだにわからないのではあるが。。
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女水芸人「瀧の白糸」は、乗合馬車の御者を働く村越欣弥と知り合う。欣弥が金のために学問を断念したことを知った白糸は、自分が仕送りをすることを約束し欣弥を支援する。欣弥への仕送りはしばらくつづくが、やがてそれもままならなくなり、また芸人仲間の若い連れを駆け落ちさせるなどして旅座仲間の南京出刃打の恨みを買う。
白糸は一座のために高利貸しの岩淵から金を借りたが南京にそれを強奪され、岩淵と南京がグルであることを責めようと白糸が岩淵を訪れた折、誤って岩淵を刺し殺してしまう。白糸は勉学に励む欣弥の元を訪れるがあえなく逮捕、取調べに立った検事は欣弥であった。
拘置所を訪れる欣弥に白糸は正直に裁いて欲しいと懇願し、法廷で欣弥は白糸に包み隠さず正直に証言するよう諭す。白糸は言われるままに正直に殺人の経緯を告白。そのまま法廷内で自殺を遂げるのであった。
(wikipediaより)
ヴェリズモ・オペラみたいなストーリーよね。
時間軸の比較的自由な移動。それから、平たくのっぺりと全員を映したかと思えば、人物の視点を獣のように追うシーンもあり、一筋縄ではいかない不思議なリズムが画面にある。これが世界の溝口というやつなのかしらん。

それにしても、瀧の白糸=入江たか子の異常な美貌にゃ恐れ入ったよう。
by Sonnenfleck | 2011-09-05 22:28 | 演奏会聴き語り
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