プイリエフ×ドストエフスキー『白夜』:非リア非モテの花道

c0060659_8531835.jpg【2011年9月10日(土) 15:00~ 浜離宮朝日小ホール】
<ロシア文化フェスティバル2011>
●『白夜』(1959年、カラー、97分)
→フョードル・ドストエフスキー(原作)
 イワン・プィリエフ(監督・脚本)

僕が映画にとことん疎いのを不憫に思った友人が、チケットを譲ってくれたもの。50年代のソヴィエト・リアリズム映画ってことで、先日の『グラス・ハーモニカ』の対極にあろうかと思う。視点が増えていくのが嬉しい。

ドストエフスキーの『白夜』って読んだことあります?『白痴』じゃないすよ。
自室に隠って妄想に耽るのが好きなヒキ青年「私」。これまでリアル女性と話したこともない。そんな彼がネヴァ川のほとりで出会った女性・ナースチェンカに一目惚れし、ナースチェンカの恋バナを友人として誠実に受け入れ、決定的に親しくなるも、その幸せの絶頂でナースチェンカは戻ってきた元カレに走り、「私」は心をざっくりと斬られて討ち死に。ああこれが俺の青春だったんだウォッカぐびぐび。幕。
Hélas!森見登美彦にリライトしてほしいよねえ。ネヴァ川を鴨川に変えてね。

僕は原作を読んだことがなかったから、どこまでがドストエフスキーでどこからがプィリエフという監督の脚色か判断できんのだけど、「私」とナースチェンカの話が最初から最後まで全然噛み合わないのがまことに痛々しかった。

全編、ネヴァ川のほとりのベンチで2人が話してるんだけど、「私」が「普段こんなの空想してるんです」と自慢げに披露する妄想シーンでの子どもっぽい活気と(森の奥の古城でチャンバラしたりしてる)、ナースチェンカのあくまで実体験に即した恋バナと、こんなのが噛み合うわけがない。

いちおうお互いに「私も空想家よ」とか「わかりますよナースチェンカ!」とか言い合うわけだが、当然痛さがこみ上げる。むろん「私」路線寄りの自分としては、その気持ちをわかってて保険扱いしながら弄ぶナースチェンカ爆発しろと思いましたがね。元カレに手紙を渡すのを手伝わせたりしてるしな。あー腹立ってきた(笑)

セットを組んで撮影されたと思われる華麗なペテルブルクの街並み。ナースチェンカの自宅の細やかなディテール。プィリエフという人は人民芸術家で、スターリン賞を6回も受賞して連邦議員にまでなってるので、この雰囲気が映画における社会主義リアリズムへの解なのかなと思う(ただしこの人は経歴がショスタコーヴィチにそっくりなので、この画面を鵜呑みにしていいか若干悩むところでもある>反体制の意志がこっそり隠れてたりするのかしら)
それから俳優たちの謎の熱い演技。突然歌い始めたりするのも可笑しい。特に主人公「私」を演じるオレグ・ストゥリジェノフの煌々と輝く病的な瞳にぞっとする。

+ + +

客層の高さはクラシックの比ではなく、往年の左翼インテリ、みたいな背筋のスッとした爺さんが多かった(会場では最年少だった自信がある)。まあなあ。ソヴィエト映画なんて今日び流行らないよなあ。あまりにも救われない結末に心底冷え冷えとし、観終わってから代々木のラーメン屋に行ってしまった。
by Sonnenfleck | 2011-09-18 09:00 | 日記
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