POC♯6「クセナキス歿後10周年・全鍵盤作品演奏会」@白寿ホール(9/23)

「現代のピアニストはおかしいと思うんですよ。ベートーヴェンやショパンの集中連続リサイタルはあるじゃないですか。名曲や重要作品をまとめて弾いてピアニストが真価を問うのはあたりまえでしょう。でもこの当然のことが現代音楽に対してはほとんどやられていない。現代曲だけのリサイタルというと新作初演を並べるとか、そういうのが多い。現代音楽の古典をいっぺんにというのはあんまりないでしょう。少なくとも日本ではほとんどない。これはものすごくおかしいことじゃないですか。現代音楽の古典をまとめて弾くのが現代音楽に献身するピアニストの当然の仕事ではないのですか(タワーレコード『intoxicate』第93号より/interview & text : 片山杜秀氏)

ヨーロッパ戦後前衛の衝撃は限定的で、オイルショック程度の外的要因で簡単に薄れ、主導した作曲家たちの多くはその姿勢を自ら捨てた。これらは、ヨーロッパ戦後前衛は演奏実践を伴わない中途半端な運動だったことの何よりの証拠ではないか?(野々村禎彦氏POC推薦文より)

c0060659_539974.jpg【2011年9月23日(金)18:00~ 白寿ホール】
<クセナキス歿後10周年・全鍵盤作品演奏会>
●《6つのギリシア民謡》(1950/51)
●《ヘルマ Herma - 記号的音楽》(1961)
●《エヴリアリ Evryali 》(1973)
《ホアイ Khoaï 》(1976)
●《ミスツ Mists 》(1980)
《コンボイ Komboï 》(1981) *
《ナアマ Naama 》(1984/日本初演)
●《ラヴェル頌》(1987)
《オーファー Oophaa 》(1989) *
→神田佳子(Perc *)
⇒大井浩明(Pf、モダンチェンバロ)


大井氏の姿勢にたいへん共感したので、面白いもの欲求が6割、そして(恐れながら)プチパトロネージュ4割のつもりで出掛けた。
この日は白寿ホールそばの代々木八幡宮の例大祭と重なって、あのあたりは恐ろしい人出であった。祭り囃子がスピーカーからガンガン流れ、御神輿の担ぎ手たちが酔っ払って喧嘩している脇をそっと通り抜けて、世にも珍しい音楽の時間に向かう。

+ + +

◆《6つのギリシア民謡》
エキゾチックな擬ドビュッシー。こんなのリサイタルのプログラムに入れるととってもおしゃれカワイイですよ!ピアニストの皆さん!

◆《ヘルマ》から《ミスツ》まで
たぶん、この1960年から1980年までの20年間が、クセナキスのコアなんだと思う。どの作品も硬い詩情を湛えている(以下、聴感上の印象批評にしかならないのは戦後前衛の作曲理論にあまり興味が湧かないためだし、古楽でもロマン派でも僕は同様のことしかできないので許してほしい)
僕には感じ取れなかったが、たぶんこれらの作品にはメロディが存在している。でもリズムの存在は疑わしい。泰西古典音楽のほとんどは、その存在の足腰をリズムに委ねていると思ってて、たとえば《音価と強度のモード》ぐらいまでは(メシアンが意図したかどうかは知らないが)ぼんやりとリズムが聴こえるんだが、クセナキスのリズムはよくわからなかった。偶発的な凹凸が発生した土壁を何日もかけて検分していくような気分。ハーモニーが聴ければまた別の感想になるんだろうけれども、リズムのない音楽を聴くのは、少なくとも僕にはとても難しい。

→大井さんがtwitterで「古楽(特に通奏低音)をやると、たいていの音楽は「外骨格の音楽」と捉える癖がつきますけれども・・」と書いていらして、なるほど素人ながら自分のコンティヌオ経験がリズムで音楽を聴く癖を作ったのかと納得するも、クセナキスの外骨格はどうやらリズムで成り立ってるわけじゃないっぽいので再びガックリ。僕の力では骨格が捉えられなかった。

◆《コンボイ》と《ナアマ》
リズムを生成するという意味ではピアノより「打楽器的」な打楽器が入り込むアンサンブル作品である《コンボイ》。ここでクセナキスの作風が急激に変容して、シンプルなリズムの積み重ねが唐突に現れたのは驚いた。
打楽器がいなくなった《ナアマ》でも、前半の同じソロ曲《ホアイ》に比べると、リズムを生成する因子の割合が突然増えているので戸惑ってしまう。《コンボイ》をソロチェンバロに落とし込むと確かにこのようになるだろう。

これら、音楽ノンポリとして聴いてて愉快なのは間違いないんだけど、まるでネオ・ストラヴィンスキー主義とでも言ったらいいのか、じゃあそれ以前の20年間の禁欲は何だったの?と問い詰めたくなる。硬派なゲンオンヲタだとこの変節は許せないんじゃないのかなあ。リアルタイムだとどう感じられたんだろ。

◆《ラヴェル頌》と《オーファー》
夭折とか事故死でないかぎり、晩年の音楽がシンプルで謎めくのはどんな作曲家も同じ。前者からはたしかにラヴェルのメロディ(この場合は「旋法」と言ったほうがより近いか?)が聴こえたし、後者は音の消える局面に軸足を置いているのがこれまでと全然違うところだった。チェンバロの音がペダリングによってフェルマータしていくのを見届けるのはまことに変な気分(モダン!)

◆幻のアンコール《カッサンドラ》
貼っときます。「能楽鑑賞」(NHK-FM日曜朝7時20分)にしか聴こえないよう。


◆演奏実践について
大熱演だったのは間違いないのだが、自分の耳のほうが全然及ばず、演奏実践の評価ができないのが無念。大井氏は譜めくりさんがいてもよかったと思った。

◆お客さんについて
客席の気分がマジで濃いよねえ。もう瘴気漂っちゃうっていうか。
新しもの好きの若人も多かったが、「本当に面白いわねえ」と言ってニコニコしている白髪の老婦人を発見したときはさすがに20世紀インテリの奥深さを想った。

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2時間半のクセナキス漬け。白寿ホールの階段をとことこと1階まで降りて外に出ると、独特の感慨が湧く。もう秋の風だな。リゲティとブーレーズも行こう。
by Sonnenfleck | 2011-09-26 05:40 | 演奏会聴き語り
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