プレヴィン/N響 第1710回定期@NHKホール(10/22)

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【2011年10月22日(土) 15:00~ NHKホール】
●メシアン:《トゥーランガリラ交響曲》
→児玉桃(Pf)、原田節(オンド・マルトノ)
⇒アンドレ・プレヴィン/NHK交響楽団


ほかの何でもなく、これは緩慢な愛の交響曲なのだなあ。
スリリングなリズムの饗宴、エロティックな音色の乱舞、そうした要素は結果として付加されうるだけで、本質ではなさそう。僕はこの日までその副次的要素をトゥーランガリラのお楽しみポイントだと思ってきたが、しかと覆された。そういったわけで10月22日はトゥーランガリラ記念日。

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ケント・ナガノのCDが好きな僕からすると、この日の演奏のあまりに悠然とした歩みが、まずたいへん強い違和感を催させたのは事実。(黒色の歩行補助カートを押しながらよろよろと袖から出てきたプレヴィンを見て、「ゆるふわ☆とぅーらんがりら」を覚悟したのは僕だけだったろうか?)
でもただの「ゆるふわ」じゃなかった。ちゃんと聴いていれば、その違和感の理由は単純に音楽の構えがかなり大きいせいなのだということがわかる。拍が整然と揃っているのは明白であって、緩慢ではあるが弛緩しているとは言い難い。目前の楽句に喰らいつくようにして前に進んでいく演奏ではないっつうこった。

あり得なくもなかったはずのことだけど、晩年のクレンペラーがトゥーランガリラを振っていたらどうだったろう。大質量の巨大な立方体がひたすら等速で、すー…っと滑っていくようなあの音楽、あそこからクレンペラーらしい頓狂な発声を無くし、アンサンブルが分離しすぎないよう念入りにブレンドすれば、この日のプレヴィンの曲作りに接近するんでは。

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実は、週日の疲れが出て、全曲の間で5、6回は眠りに落ちたのです。
それは音楽に慈しまれるような、たいへん心地よい眠りでした。

ふと眠りに落ちて、覚めてもまた同じ音型がふあふあしたタッチで続いている。音楽が倦怠と漸進の間の絶妙なバランスを保って、時間を統御しているんだな。
プレヴィンのこの日の音楽づくりを「とろい」と罵るのはとても容易いことだけど、トゥーランガリラ交響曲の本質は、こういう醒と睡のあわひ、停まった時間のなかの緩やかな愛にあるんじゃないかしら、ということを気づかされました。おしまい。
by Sonnenfleck | 2011-10-23 09:07 | 演奏会聴き語り
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