フランソワ×バンジャマン。

c0060659_2113932.jpg【Flora/FLORA1909】
●バッハ:VnとCemのためのソナタ BWV1014~19
●同:VnとB.C.のためのソナタ ト長調 BWV1021 *
⇒フランソワ・フェルナンデス(Vn)
 バンジャマン・アラール(Cem)
 フィリップ・ピエルロ(Basse de viole *)



注目のチェンバリスト、バンジャマン君が、重鎮フランソワ・フェルナンデスと一緒に演奏するバッハのソナタです。
このチェンバリストの只ならぬ風格については、彼が同行した、今年のラ・プティット・バンド来日公演を聴かれた皆さんのレヴューに詳しい。通奏低音奏者としてきわめてクレバーな補助と支配を行なういっぽうで、同時代的なグルーヴ感のある華やかなソロを聴かせていたこのひとが、バッハではどんなふうなのか?

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…ということを気にしながら聴き始めたのだが、僕はまず、フランソワ・フェルナンデスのヴァイオリンにすっかり心を奪われてしまった。

「シギスヴァルトの懐刀」としての実力はなんとなく感じつつも、彼ひとりの音楽を注意して聴く機会はこれまでに一度もなかったんだが、僕がとりわけ好きな第2番イ長調1015でのほんわか風情には本当に恐れ入った!
おおらかに雲が浮かぶ5月の青空のような第1楽章から、ヒバリがひゅーっと軽く飛ぶような第2楽章。地を這うイモムシのようでありながら線を太く保つことで深刻に陥らない第3楽章を伝って(草むらからも見上げれば青空がある)、いよいよこの世の快活を一手に引き受ける第4楽章のまぶしさよ。またヒバリが遠くで鳴いている。

第1番ロ短調1014の第2楽章での、自信に満ちて重い足取り(Allegro ma non troppo…)、また第3番ホ長調1016の第1楽章では、調性感をきわめて巧みに捉えてブロンズの風格を漂わせる。フェルナンデスがここまで雄弁に語るヴァイオリニストなのだということ、僕は知らなかった。

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翻ってチェンバロはどうなのか。もう一度、第1番の第2楽章を聴いてみよう。
通奏低音のいないこのソナタ集でも、半分以上の楽章は3声部で書かれているから、実質的にはチェンバロの左手が通奏低音化して支えになり、立体的な音場が形成されることになる。
アラールの左手のタイミングを聴き、「低音擦弦楽器への擬態」が完璧に処理されているような気がして、自分はたいへん驚愕しました。左手をほんの少しだけ右手の発音から遅らせることで、音量の核が遅れてくるような効果を、つまり、低音擦弦楽器のメッサ・ディ・ヴォーチェを表現してるんじゃないかと思うのだ。

もちろん、チェンバロが普通の伴奏に回る楽章では(第4番ハ短調1017の第3楽章とかね)、堅牢さと柔軟な伸縮を両立した「枠組み」の維持に余念がない。アラールのこの面はラ・プティットでよく現れていた。正確な仕事人でもある。

バンジャマン君、2009年録音のこのとき、23歳でしょう?
by Sonnenfleck | 2011-11-10 21:02 | パンケーキ(18)
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