ピエール=ロラン・エマール|コラージュ―モンタージュ2011@トッパンホール(11/20)

【2011年11月20日(日) 15:00~ トッパンホール】

<Prelude elementaire/易しいプレリュード>
●リゲティ:ムジカ・リチェルカータ第1番
●バルトーク:ミクロコスモス第124番《スタッカート》
●シェーンベルク:6つのピアノ小品 op.19~第2番
●バルトーク:ミクロコスモス第135番《永遠に動くもの》
●ブーレーズ:ノタシオン第4番、第8番

<2. Sostenuto/ソステヌート>
●クルターク:《遊び》~"In Memoriam Gyorgy Szoltanyi"
●ムソルグスキー:《展覧会の絵》~〈カタコンブ〉
●スクリャービン:5つの前奏曲 op.74~第2番(十分に遅く、瞑想的に)
●ヤナーチェク:《消えた男の日記》~間奏曲
●クルターク:《遊び》~"for Dora Antal's birthday"
●ベートーヴェン:《ディアベッリ変奏曲》op.120~第20変奏
●クルターク:《遊び》~"Doina"
●ストロッパ:《ミニチュア・エストローズ》~〈ニンナ・ナンナ〉

<3. Melody and Melody/メロディ&メロディ>
●シュトックハウゼン:《ティアクライス》~〈ふたご座〉
●シューベルト:36の独創的舞曲 D365~第21番
●シュトックハウゼン:《ティアクライス》~〈みずがめ座〉
●シューベルト:16のレントラーと2つのエコセーズ D734~レントラー第12番
●シュトックハウゼン:《ティアクライス》~〈おひつじ座〉
●シューベルト:12のワルツ、17のレントラーと9つのエコセーズ D145~レントラー第6番
●シュトックハウゼン:《ティアクライス》~〈やぎ座〉
●シューベルト:16のレントラーと2つのエコセーズ D734~レントラー第7番
●シュトックハウゼン:《ティアクライス》~〈おうし座〉
●シューベルト:16のレントラーと2つのエコセーズ D734~レントラー第4番
●シュトックハウゼン:《ティアクライス》~〈おとめ座〉
●シューベルト:12のワルツ、17のレントラーと9つのエコセーズ D145~ワルツ第6番

<4. Capriccio/カプリッチョ>
●ベートーヴェン:6つのバガテル op.126~第6番ト長調(部分)
●ケージ:《7つの俳句》~第4番
●シューマン:《謝肉祭》~〈スフィンクス〉、〈蝶々〉
●ベートーヴェン:6つのバガテル op.126~第6番ト長調(部分)
●スカルラッティ:ソナタ第426番ト短調(部分)
●ベートーヴェン:11のバガテル op.119~第10番イ長調(部分)
●シュトックハウゼン:ピアノ曲第8
●ベートーヴェン:6つのバガテル op.126~第6番ト長調(終わり部分)

<5. Cloches d'Adieu/告別の鐘>
●ミュライユ:"Cloche d'Adieu, et un sourire...in Memoriam Olivier Messiaen"
●シェーンベルク:6つのピアノ小品 op.19~第6番
●クルターク:《遊び》~"Organ and Bells in Memory of Doctor Laszlo Dobszay"
●メシアン:前奏曲集~第6番〈告別の鐘と告別の涙〉
●ラヴェル:《夜のガスパール》~〈絞首台〉(抜粋)
●ムソルグスキー:《展覧会の絵》~〈キエフの大門〉(抜粋)

⇒ピエール=ロラン・エマール(Pf)


しばしばコンサートに一緒に行く、あるいはしばしば偶然出くわす友人二人と鑑賞。
終演後、友人二人はあんまり面白くなさげだったので(「空耳アワーだった」との友人の意見、これはたしかに一理ある…)、僕は黙って一緒に飯田橋駅まで歩いたのだが、いや、個人的にはかなり面白かったのよ。自分のように面白がりの閾値が低いと、ほんとに人生はお得の連続!大ハッピー!だと思う。

+ + +

これはコンサートでいつも同じ曲ばかりが取り上げられる状況への戦いなのです。
五ブロック、五楽章の作品。繋がりがすぐにわかるブロックもあれば、一聴しただけでは繋がりがわからないブロックもあるでしょう。モザイク、パッチワーク、あるいはコラージュ・モンタージュ。

今回の90分、作品と演奏行為に対して求められる能動聴取力は、フツーのコンサートの比ではなかった。繋がりを必死で探したり、探しきれずに響きに淫することを選択したり、主体的な判断の瞬間が90分間絶え間なく、ずっと続いた。正直、エマールの好きな小品を並べた「愉快なアンコール大全」くらいに思ってたんだけど、全然そうではなく、もっとずっとコンセプチュアルなプログラミングだった。

注意して、皆さんが自分で補いながら聴いてみてください。

ひとつの作品を二度繰り返して弾いたり、作品のすべての部分を弾かなかったり、作品同士をくっつけたり、作品をばらばらにして再配置したり。あちこちでこういった手法が取られた。プログラムに存在しないリストの曲を紛れ込ませたりということもしたようだった(リストヲタならはっきりとわかったのかしら)

第一ブロックは継ぎ目が明白で、まだしも普通のリサイタルに近い。新ウィーン楽派の作品が圧倒的に美しい(愛聴している彼のベルクのソナタの演奏を改めて体感できて嬉しかった)。リゲティとバルトークは上品な都市生活者の音楽に仕立て直されて、これはこれで素敵である。

そこへ第二ブロックの濃密なハーモニー地獄が訪れる。曲同士はいよいよぬめぬめとくっつき合い、アマルガム状態からハーモニーの毒湯気がもうもうと上がって窒息しそうである。痛気持ちいい。
ハーモニーが痛気持ちいいってどんな感じだと思いますか?クルターク、スクリャービン、ベートーヴェン…それはもう…痛気持ちいいのです。ちなみに昨年のポゴレリチは有機溶剤系の「臭気持ちいい」演奏でしたね。。

第三ブロックで観測されたのは、シュトックハウゼンとシューベルトを完全シームレスに加工する手法。これはまことに魔法で騙されるような快感であった。つるりっとした「継ぎ目」部分では、脳みそがぐにゃぐにゃするような気持ちよさ。シューベルトがアヴァンギャルドなのか、シュトックハウゼンがクラシカルなのか。

エマール。第四ブロックではベートーヴェンのバガテルを一度ばらばらに裁断して、シェーンベルクやシュトックハウゼンと縫合してしまう。そのパッチワーク袋の中身には、ケージの《七つの俳諧》と、たぶんシューマンの《謝肉祭》の音の「骨」だけを抜き出し(これがこの日一番の問題行為だったと僕は思いますが、何しろシューマンのピアノ曲には疎いので勘違いだったかもしれません)、仏舎利状態にして格納。
でも、違和感を生じさせない。ここの奇妙な感覚は拭いがたい印象を残した。

最後の第五ブロックでは、ミュライユの寒天培地からシェーンベルクとクルタークを培養、シェーンベルクとクルタークからラヴェルを化学合成し、ついにラヴェル模様の魔方陣からムソルグスキーを召喚するという黒魔術を披露。〈キエフの大門〉は「湧いて出た」としか書きようがないのだほんとに。

何を言ってるかよくわからないでしょう。変な体験。
これだけやった90分間の「骨格」が僕には見つけられなかった。感動はまだらにして時折、審美の感覚を揺さぶられるくらい強烈。あ、やっぱり空耳アワーか…。

<おまけ>
◆「エマール」でYahoo!リアルタイム検索を掛けると、演奏会直後は、洗剤とピアニストがほんとに半々くらいの割合で出てきてた。しかるに今は、9割以上が洗剤に関するツイートなんである。花王さんすげえよ売れてるよ。
by Sonnenfleck | 2011-11-22 23:44 | 演奏会聴き語り
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