アリーナ・イブラギモヴァ 無伴奏Vnリサイタル@所沢ミューズ(11/13)

今年は10月が長いなあ…という印象を持ってるんだけど、航空公園駅からミューズへの15分だらだら歩きがちょうどよく気持ちいい。ミューズのロケーションは関東最高クラス。それが実感できる季節が長くないにせよ。

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c0060659_23381619.jpg【2011年11月13日(日) 15:00~ 所沢ミューズ】
<バッハ>
●無伴奏Vnパルティータ第1番ロ短調 BWV1002
●無伴奏Vnパルティータ第2番ニ短調 BWV1004
●無伴奏Vnパルティータ第3番ホ長調 BWV1006
○無伴奏Vnソナタ第2番イ短調 BWV1003~アンダンテ
⇒アリーナ・イブラギモヴァ(Vn)


俊敏で獰猛、知能が高くてしなやかな猫科の動物を思わせた。イブラギモヴァのヴァイオリン。

更新を楽しみにしている2つのブログ、「miu'z journal *2 -ロンドン音楽会日記-」さんと「Langsamer Satz」さん。お二方をその魅力ですっかりとりこにしているのが、アリーナ・イブラギモヴァという1985年生まれのヴァイオリニストです。お二方があんまり誉めるのでどうしても気になり、今年の来日のチケットを早々に押さえたのであった。果たして客席は、こだわりのお客さんで満席。

なぜ所沢の300席ちょっとの小ホールで3000円で聴けたのか、僕は理解できない。王子ホールやトッパンホールを、あるいは紀尾井・しらかわ・いずみを連続リサイタルで満席にし、ヤフオクでチケットが高騰してもまったくおかしくない。

バッハの無伴奏としては、個人的には、もっと繊維質で静的な、様式感の強いピリオドの演奏実践が好みではある。でも、バッハを自分の様式で染め上げていく彼女の行為の高い完成度、堂々として幾分も照れず、ブレのない表現、こうしたところに完全に脱帽した。聴いたのがバッハでないほかの音楽だったら、椅子から立ち上がれないくらいの衝撃だったかもしれない。

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第1番はまだ、彼女が音楽を所有し切れていないように思われた。
第1番ロ短調はご存じのように楽句の抽象化が著しく、会話のような抑揚の巨大なブロックがぷわぷわと浮いているような曲(ドゥーブル部は宇宙的ですらある)。クーラントのドゥーブルなどは苦し紛れの早弾きで拍子が崩れ気味という感じ、サラバンドも焦点がぼやけてもやっとした様相を呈していたのは残念だった。しかし早晩、自分の切り分けで調理してしまうことだろうと思う。

なにしろ、第2番第3番を聴いてわかったことだが、彼女は彼女のセンスで楽句を切り開いて、調味し、「ピリオドじゃなく自分の好みの」フォームに整えていくことにまったく非凡な才能を発揮するみたいなのだ。高度に洗練されたクレーメル、と言い表すのがもっとも僕の印象に近い。

第2番はアルマンドの最初の一音から、第1番とは自信の持ち方が違って、大きな猫科の動物が獲物に躍りかかるときのような美しい勁さでもって楽句を支配している。クーラントの気ままなデュナーミク、グルーヴ感のあるサラバンド、明暗の対比が強いジーグ、いずれも佳い。シャコンヌでは、ボウイングがいっそう烈しさと正確さ、柔軟さを帯び、変奏をずいずい切り分けてゆく。恐ろしい緊張感と充実が両立した類い希な演奏が展開された(やっぱ音楽への自己の全面的信託という意味でクレーメル的なんだよなー)
繰り返すが、バッハの無伴奏にはクイケンみたいな静けさを求める自分でも、この午後の、イブラギモヴァの浪漫の迸りには惚れ惚れとさせられた。少なくともこれまでに実演で聴いたどのシャコンヌよりも強烈で、勁かった。

この日のお客さんは途轍もない集中力を発揮する集団で、聴きながら「自分と彼女との孤立した空間」を感じたくらいなのであった。シャコンヌの終わりとともに訪れた熱い泥のような静寂が、演奏内容と同じくらい印象に残る。

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そんなわけで、第3番は長大なアンコールのようで、却って肩の力が抜けた素敵な味わいの演奏になってしまった。ダンスミュージック。ジーグの最後でちょろっと舌を出すみたいにかわいい装飾を付けたのを聴いて、ああそういえば彼女は26歳の女性なんであったと、この日初めて気がついたのである。

サイン会は長蛇の列だったが、ハルトマンの葬送協奏曲のCD(Hyperion)を買ってサインをもらった。かわいいひとなので至近距離だとどきどきするス。
by Sonnenfleck | 2011-11-25 23:45 | 演奏会聴き語り
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