デュトワ/N響の "Tausend" 第1715回定期@NHKホール(12/3)

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【2011年12月3日(土) 18:00~ NHKホール】
●マーラー:交響曲第8番変ホ長調
→エリン・ウォール(S)、中嶋彰子(S)、天羽明惠(S)
 イヴォンヌ・ナエフ(A)、スザンネ・シェーファー(A)
 ジョン・ヴィラーズ(T)、青山貴(Br)、ジョナサン・レマル(Bs)
→東京混声合唱団、NHK東京児童合唱団
⇒シャルル・デュトワ/NHK交響楽団


デュトワが造形した第一部は、日本での第8演奏史上、もっとも個性的な部類に入るものではなかったかと考える。音楽が自律的前進に、音楽家のほうで制限をかけたという意味で。あるいはこの作品で、ちゃんと「表現した」という意味で。

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マーラーのこの交響曲に魅入られてまだ三四年程度ではあるけど、僕が聴いてきた指揮者はすべて、この夜のデュトワのようではなかった。
ことに、第一部はよほどのことがないかぎりは、曲自体の重みで豪華客船のように前進していくものだと思っていたんだよね。それ以外の在り方があるとは全然考えていなかった僕の眼前に広がったのは、異形の「流れない」演奏であった。

夏くらいにウェブラジオで聴いたダニエレ・ガッティ/フランス国立管の第8もずいぶん「流れない」演奏だったが、あっちが曲に多量の水とき片栗粉を入れただけだったのに対し(それはもうでろでろ)、デュトワはもうちょっと老獪である。

彼が取り組んだのは、執拗とも言える「響きのバリケードづくり」。
陶酔的なレガートのかわりにクリスプなスタッカートを全面的に適用した結果、余計な水気が蒸発。楽句は裸になって、パーツ同士が一瞬で縦方向に組み上がり、マーラーが元来この曲に与えたであろう立体感が自然に現れる。このバリケードが邪魔をして、温暖湿潤な流れはすっかり犠牲になったが、そのかわり得られた新鮮な響きといったら!この曲にはこんなに豊かな表情がつく余地があったんだね。
(※ネット上では、このマーラーの不思議な感触の理由をNHKホールのデッドな音響だけに求めるレヴューも目立つが、自分はそうは思わない。デュトワが元からトゥッティを強烈に締め上げて、楽天的ぶよぶよを排除した結果だと思うんだ。)

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さて、これでは大方の千人ファンはぷんぷん怒ってしまうんじゃないかと思ったんだけど、第二部は清純系「フツー千人」への見事な転身をやってのけるのが心憎い(テノールだけ妙に不純で残念でした)。やっぱりデュトワの独墺レパートリーって独特の魅力があって面白いよねえ。
by Sonnenfleck | 2011-12-05 22:12 | 演奏会聴き語り
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