生誕250年記念|酒井抱一と江戸琳派の全貌@千葉市美術館(11/6)

本業のピークが始まろうとしている。そして今年のピークはいつもより長い。やべーうひょーぉっという綱渡りがじりじり続くということである。厭だねえ。
こんなときは書きためておいたエントリを放出。ちょっと前のことですが。

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c0060659_2105261.jpg個人的に江戸琳派に強い親近感を感じること、また、はろるどさんや藝術に造詣の深い友人が絶賛していたので、是非もなく出掛けた。

千葉市美術館は初体験。東京都心からは一定の距離、千葉駅からも一定の距離、さらに雨の日曜の夕方なれば、ミーハーなおばはん連や知的デートを演出したいカポーなどもごく少なく、視たい人同士が作り出す良好な環境が保たれて善き哉。(最近の展覧会ってなんであんなに混んでるの?)

かねがね自分の中では、酒井抱一と彼の弟子筋にメンデルスゾーン的天才が重なっていた(光琳萌えもバッハ萌えと重なることだし)。あの強く自己完結した清潔感と瀟洒、意志のある精緻さ、空間支配の洗練された方法は、フェリックスぼっちゃまの音楽に相通じる。
しかし、フェリックスぼっちゃまにあって抱一ぼっちゃまにないものがひとつだけある、それが、作り手と藝術のデーモンとの交歓、みたいなものじゃないかと思ってたんです。メンデルスゾーンの複数の曲にはやっぱり確実にそういうところがある一方で、酒井抱一の作品ではそういうものがいまだに見つけられていなかった。

でも今回の大回顧展で、抱一の屏風の中に、背筋にゾッとくるものを容易に、そしていくつも発見することができた。さすが「全貌」である。

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◆《四季花鳥図屏風》(六曲一双・文化十三年(1816)・陽明文庫蔵)
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→全面がやや赤みのある明るい金地。四季の花鳥が大きめに、しかし妙なるバランスで配される。そして花鳥の足元にメタフィジカルな視点を付加する金箔ブロック(7ミリ四方くらいの正方形です)。花鳥がドット状になって金地に還元される一瞬を捉えたような、実に不思議な視覚の快楽。
また、右隻「春」の区画には、クリムトの《人生は戦いなり(黄金の騎士)》の下生えが、より洗練されたかたちで存在している。すなわち強靱な金地、モスグリーンのフラットな台、ワラビにツクシ、タンポポ、くっきりと色づく朱鷺色の花弁…。

◆《波図屏風》(二曲一双・文政後期・MIHO MUSEUM蔵)
→抱一にはもうひとつ、有名な《波図屏風》があるらしいが、そっちではない。こちらは高さ45センチ、幅は一双で155センチと親密な大きさだが、その内容が物凄い。ここに描いてある青黒い波の不敵な力強さはいったい何だろう。中期のベートーヴェンのような、力ある者の正当な傲慢さを感じさせる。

◆《月に秋草図屏風》(二曲一双・文政八年(1825)・個人蔵)
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→Aber der Mond verrät mich ... der Mond ist blutig.

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同時に、ほんのりとした幸福感を与える小品が多いのもメンデルスゾーンと同じ。僕が抱一に惹かれるのは、この小さな幸福感に吸い寄せられるからでもある。

◆《河豚蘿蔔図》(一幅・個人蔵)
→画像がご用意できないのが実に悔しい。
ひっくり返って腹を出したフグと、その脇にぼて…と寝そべった大根。描画も彩色もほんとうに最小限にとどめた結果、円っこさだけが要素として残った。この円っこい幸福感は絶大である。心から所有欲をかき立てられたもののひとつ。

◆《州浜に松・鶴亀図》(三幅・寛政後期・個人蔵)
→中央が松、左に亀、右に鶴。いやーめでたいね。汀に根っこを、空に枝を伸ばす、松の舞踊的な表現。キュートな亀にスマートな鶴。

◆《麦穂菜花図》(双幅・静嘉堂文庫美術館蔵・重要美術品)
→麦の穂が前面と背面の二層で描かれている。春霞にぼやける背面層と、空のヒバリ、そしてちょっと無生物的なほど規則正しい、青い麦の穂。春らしい雑駁なにおいが漂ってきそうな強力な空間支配ですね。

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見逃した方は、春になったら京都の細見美術館へ。巡回してます。
by Sonnenfleck | 2012-01-26 22:24 | 展覧会探検隊
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