ベルトラン・ド・ビリー/N響 第1721回定期@NHKホール(2/11)

僕はこのコンサートにイザベル・ファウストを聴きに行ったはずなのだが、気がついたらベルトラン・ド・ビリーのファンになっていた。おそろしい。

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【2012年2月11日(土) 18:00~ NHKホール】
●ドビュッシー:《牧神の午後への前奏曲》
●プロコフィエフ:Vn協奏曲第1番ニ長調 op.19
 ○バッハ:無伴奏Vnソナタ第3番ハ長調 BWV1005~ラルゴ
→イザベル・ファウスト(Vn)
●シューベルト:交響曲第8番ハ長調 D944
⇒ベルトラン・ド・ビリー/NHK交響楽団


僕の心をぐっと掴んだのは、ド・ビリーのきわめて安定して高品質な音楽的センス(なかんずくテンポと木管バランスに関する感覚)と、それを生かしていろいろな様式を巧みに捌いてしまう彼の職人技なのである。この指揮者がヨーロッパのあちこちで引っ張りだこな理由がやっとわかったということだ。

昨日の多くの聴衆はもしかしたらド・ビリーを「特徴がない」とか「何でも屋」と捉えたかもしれないが、本当の指揮のプロはああいう音楽を作るということを忘れちゃいけない。鬼才に異才、奇演に凄演、そんな音楽ばかりでは、僕は厭なのだ。

まことに勝手な想定だが、僕がドイツとかベルギーに住んでいるつましい商売人とか小役人だったら、余裕があるわけではない家計からお金を捻り出してでも、ド・ビリーのような指揮者が監督をやっているオケの会員になるし、自分の子どもにはド・ビリーのような音楽を日常的に聴いて育ってほしいと思うだろう。
そういうことです。

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最初のドビュッシーから、木管のバランスの良好さに驚いた。N響ソロ管のなかで僕がもっとも信頼し尊敬しているのが神田さんのフルートなのだが、彼による導入から木管の緩やかなマーブル模様が拡がり、たいへん美しい。
それと同時に、風呂敷を広げすぎない「小体の美学」とも言うべきド・ビリーの手堅さに、感興がぶくぶくと湧くのであります。

プロコフィエフは、ホールが広すぎていかにもファウストの音が遠い。昨年の新日フィルとのブリテンほどには心に響かなかったのが無念。それでも第1楽章の澄み切ったフラジョレットや、甲虫のように光るスル・ポンティチェロ、第3楽章の夢幻的空間の出現など、いくつかのポイントはしっかりと感じ取れた。しかしもっと小さいホールで聴きたい。決定的に。
さてここでも、ド・ビリーの底堅いセンスがよくわかる。あくまで軽やかに。

後半のグレートは名演だったと言わざるを得ない。

フルトヴェングラーのグレートや、チェリビダッケのグレート、そういうどろどろしたシューベルトがお好みの方の琴線には全く触れないだろうが、明るい青空にクリスプなクラング塊がぷかぷかと浮いているような横方向のつくりは、20世紀浪漫でも、20世紀古楽でもない、独特の(あるいは1950年代のカラヤンにうり二つの!)センスに基づいている模様。
なるほどこれなら「小体なグレート」が実現される。第3楽章のトリオが極上な此岸的美しさを湛えているのも好いし、第4楽章のコーダで品の良いアッチェレランドをちゃんとかましてくれるのも花丸。ピリオドにあえなく呑み込まれてしまったと思われていたノイエザッハリヒカイトの正統的嫡流、なんて書いたら大げさだろうか? いやいや、ぜんぜん大げさじゃねーだろ。

このスタイルはノリントンの64倍くらい新鮮。そして256倍くらい上質。始めに話を戻すと、要は、僕はこのひとにN響の監督になってほしいっつーことです。
by Sonnenfleck | 2012-02-12 11:41 | 演奏会聴き語り
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