熱狂の復習―5月3日(木)その2|ラフマニノフ→チャイコフスキー→ラフマニノフ

c0060659_19584816.jpgその1から続く。

【125】5/3 1800-1900 ホールB7〈チェーホフ〉
●ラフマニノフ:《楽興の時》op.16
●チャイコフスキー:Pf組曲《くるみ割り人形》
●ラフマニノフ:Pfソナタ第2番変ロ短調 op.36
⇒アレクセイ・ヴォロディン(Pf)


今回の大収穫。この人は、すぐにラフォルジュルネでは聴けなくなるようなクラスのピアニストじゃないかと思う。
最近のラフマニノフ運の強さは異常なほどである。昨秋に聴いたテミルカーノフの第2交響曲も最強だったが、ヴォロディン氏の楽興の時+第2ソナタも最強だった。

実は最近、クラヲタ歴10数年目にしてついに、ショパンとリストとラフマニノフの偉大さに気づきつつある。

つまるところ彼らは、どこまで行っても哀れで、汗臭く、夢見がちな男の浪漫を音楽にして残しただけなんだろうな(リストは少し違うかもしれんが…)。こんな簡単なことに思い至るのに、10年以上も掛かってしまった。
語弊を恐れずに書くが、男臭い浪漫に惹かれる女性ファンが多いのは非常に理解できるところだし、それに昭和のヒョーロンカとヒョーロンカに引き摺られている僕たちヲタ層が、コンプレックスと十分に融け合って切り離せないアンチ浪漫主義に基づいて、ショパンやラフマニノフを(たとえばバッハやベートーヴェンに比べて)なんとなく一段下に見てきたのも自明という気がする。

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1977年生まれのヴォロディンは、タチアナ・ゼリクマンとエリソ・ヴィルサラーゼに師事したロシアン・スクールの正統的逸材として名高い(ようである)。

でもそんな能書きは、ラフマニノフを聴けばすぐにぶっ飛ぶ。彼のラフマニノフは、上に書いたような男臭い甘みと、自己陶酔的苦みが渾然と融合したアダルトなスイーツのよう仕立てて、僕たち聴衆を一気に虜にした。口に入れるとすぐに溶けるが、甘みと苦みがずっと舌の奥に残る。隣席の女性はあまりの感激に苦しそうにして耳を傾けていたし、となりのおっさんも感極まってブラヴォを飛ばしていた。

チャイコフスキーは箸休め程度に考えていた僕に、ヴォロディンはさらにいろいろなことを示す。
この人は指がたいへんよく回るので、まずタッチの粒立ちの美しさが比類ないレベルである。でもそれだけじゃなくて、ピアノからピアノ以外の響きを錬成する技術にも長けているんだなあ。
序曲の金管、金平糖のチェレスタ、パ・ド・ドゥ(アンダンテ・マエストーソ)のハープとチェロ、そうした楽器の響きをちゃんと想起させながら、なおかつピアノの音それ自体としても美しいという一回転が起こっていたのだった。ピアノ弾き系クラヲタにとってはどうでもいいことかもしれないけど、非ピアノ弾き系クラヲタにはかなり大切な事象なんである。

そして最後のラフマ第2ソナタ!
この巨大なソナタの胸苦しい第2楽章を聴きながら確信する。ああ、自分にとってはラフマニノフがなくてはならない存在になりかかっているんだと。少し前なら考えられなかったようなことが自分の中で起きている。
ヴォロディンはときに傲然と、ときに傷つきやすく、つまりはきわめて男臭くこのソナタを捌いていく。しかし野暮ったさや鈍重さとはいっさい無縁で、楽興の時やくるみとは少し違う種類のダンディズムが漂う。アタッカで第3楽章に侵入する第1撃の輝かしさに、フィナーレの怒濤のフォルティシモに、これまた帝政ロシアの復活を思わずにはおれない。

最後の和音が鳴り終わらぬうちに、どうしてもとどめきれない拍手が雪崩れ込む。僭越ながら、僕もブラヴォを飛ばさせていただいた。彼、1月にオペラシティでリサイタルやってたんだなあ。行きたかったなあ。
この後、展示ホール「ディヤギレフ」でヴォロディンのショパン集を買う。

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その3へ続く。
by Sonnenfleck | 2012-05-06 20:49 | 演奏会聴き語り
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