「幻容の道」を観る

通信環境は無事に復旧。原因がPCにあったらどうしようかとヒヤヒヤでしたね。
さて、楽しそうな催しがあったので夕方から出かけてきました。

【2005年5月18日(水)18:00〜 慶應義塾大学・来往舎】
「幻容の道」と題された、〈和栗由起夫+好善社〉による舞踏公演。音楽や美術に関しては普段ごちゃごちゃと抜かしておりますが、演劇やバレエ、コンテンポラリー・ダンスといった、身体をメインに据えたジャンルの芸術については僕はとんと疎く、いわゆる「舞踏」を観るのも今回が初めてであります。会場は日吉来往舎のイベントテラス。無料だし、観客はインターネットなどで情報を集めた学外の方が多そうな感じでした。三田にも張り紙してあったんだけどなあ。

8メートル四方の黒い舞台、後方には高い場所から大きな白いスクリーンが吊されています。全体は約一時間半。プログラムによると、以下の5つに区切られます。
1「野宮」/2「水月」/3「傀儡」/4「修羅」/5「花形身」
1では、仮面の女(和栗)と6人の侍女?が交錯しつつ舞います。いま調べたら、野宮というのは、皇女が斎宮(天皇即位のとき、天皇名代として伊勢神宮に遣わされる使者)になる準備をする仮の宮殿のことらしい。侍女たちが退場すると女は仮面を剥ぎ取り、異様な痙攣を見せつつ踊り続けます。和栗は全身白塗りに深紅のドレス姿、ときおり口から覗く赤い舌が実に艶めかしい
2は銀色の盾(おそらく水面のきらめきを表す)を持った3人の女の群舞に始まり、やはり赤い衣装の和栗が木の枝を捧げ持って登場、3人が置いていった盾(水面)を上から覗き込み、自分の姿を見て錯乱したかのように跳ね、舞い、躯を震わせる。BGMは12音の弦楽四重奏曲でした(ベルク?)。
続いて3では、さきほどの6人の侍女たちが文楽の男の人形のような黒い紋付きを着、長唄のような音楽に乗って、それまでと違った厳密に統制された舞を見せます。
彼女たちが去って4に入ると、和栗が今度は歌舞伎役者のような男装で極度の緊張感を持って舞います。躯がぎしぎしと軋む音が聞こえてくるような緊迫。BGMも、飛行機のジェットエンジンのような重低音にアジア系民族音楽が重なって異様な雰囲気です。
最後の5では、スクリーンに花・葉が映し出され、1と同じ格好をして再登場した侍女たちがそこへ吸い込まれるようにして舞い、退場。そして和栗が腰布一枚に、蜘蛛の糸のような粘つく白い繊維を全身に纏って現れますが、今度は床を這いずり回って、あたかも内面へと凝縮されていくような、やり場のない痛々しい表現を提示します。やっとのことで立ち上がり、両の腕を天に伸ばして幕。

うーん…。観終わって感動はなく、ただ自分の頭では処理できない戸惑いが目の前に横たわっているだけです。まったく釈然としない。自分が表層を見て想像したことと、和栗が表現したかったこととの間にどれほどの乖離があるのかという問題。そもそもこの乖離の度合いが、まさに自分そのものを規定するところなのかもしれないという困惑。さらにこうした困惑こそ、芸術経験の核になるものではないのかという気もする。となると、平生の僕が音楽に対していかに鈍い態度でいるか、という考えがだんだんと膨らんできます。
行ってよかった。

〈和栗由起夫+好善社〉公式サイト
by Sonnenfleck | 2005-05-18 23:07 | 日記
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