ハーディング/新日フィル 第497回定期演奏会@すみだ(7/7)

c0060659_22122948.jpg【2012年7月7日(土) 14:00~ すみだトリフォニーホール】
●シューベルト:交響曲第7番ロ短調 D759《未完成》
●R. シュトラウス:交響詩《英雄の生涯》op.40
⇒ダニエル・ハーディング
 /新日本フィルハーモニー交響楽団


生でもネットラジオでも、聴くたびに印象が変わってしまって、そのへんが扱いに困るハーディング氏。この日の公演では職人的趣味性というか、ギチギチにしろしめす気質というか、彼のそういう側面を特に強く感じさせられたのだった。

+ + +

このまえ目白の永青文庫で、細川家の香道具コレクションを眺めてきたんですよ。ハーディングの「統率」は、あのいともまめやかなるオートクチュールに似て、一切の不随意を排除する。排除して、隙間という隙間を随意の螺鈿で埋めていく。暗いと思われた空白も、実は全面がねっとりと黒漆で塗り固められている。

だからあのシューベルトは、僕には極めて不自然に聴こえた。
シューベルトの演奏にあっては、空気の薄さと靄のような余韻がなにより大事だと僕は思っています。第2楽章の終末に向けて空中分解していく様子など(それが意図された結果であるにせよ、そうでないにせよ)いくつかの演奏ではよく表現されているのを知っているだけに、ハーディングの「統率」の高い完成度は不毛な贅沢としか感じられない。
しかしこのような作り込みに対して、東京のオケでもっとも感度が良さそうなのが、たしかに新日フィルなんである。彼らがハーディングをパートナーに選び、またハーディングもそれに応えたのは、本当に納得のいくところでもある。

《英雄の生涯》は、その点ではとてもよくハーディングの特性と合致する(何しろ初めから隙間のない音楽だもの)
たとえば「英雄の戦場」のきれいな捌きなんかは聴いていて胸がスカッとしたよね。あの部分のほとんどクラスターみたいな混雑した響きを、ショスタコーヴィチみたいなダッサダサのリズムに乗せてするっと解体してみせたハーディングの手腕と、新日フィルの細身のアンサンブルは、なるほどいいコンビ。

ことほどさように、蒔絵小箱やつぶらな香炉のごとき凝縮した予定調和で物事は解決されていくのだから、何を反駁することがあるだろうか。ひとまず、その「誂えられすぎ」を退屈と言い換える必要が出てこない限りは。
by Sonnenfleck | 2012-07-09 22:16 | 演奏会聴き語り
<< 「​ニコニコ現代音楽 #3」双... twitter始めました。 >>