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平野政吉美術館で藤田嗣治の超大作《秋田の行事》を見る(9/22)

藤田嗣治と秋田県のゆかりについては、美術ファンのなかでもご存知でない方が多いのではないかと思う。乳白色のFoujitaと、《アッツ島玉砕》の藤田と、その間にある彼の変遷を知るのに、フジタの秋田滞在に関して知ることは不可欠なのです。

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秋田市に、大素封家にして美術コレクター・平野政吉というひとがいた。
彼がフジタと知り合った経緯は定かではないけれども、平野が夢見ていた秋田での私設美術館設立に、フジタは強く共鳴した。それは、帰国したフジタの野心や啓蒙心のためかもしれないし、フジタがパリから連れてきた愛人マドレーヌの葬儀費用を、平野が工面してあげたからかもしれませんね。

フジタは滞欧末期、北南米を訪問してその色彩溢れる文物に魅了され、そのムードに浸ったまま海路日本へ帰国する。帰国してから従軍画家になるまで、つまりフジタの1930年代には「色彩と活気の時代」のような時期があったのだが、平野はフジタが30年代に描きためていたそうした作品を次々と購入してゆく。僕たちが知らない土俗的なフジタ作品が秋田にたくさんある理由が、これです。

フジタはやがて、平野家の米蔵に滞在しながら平野の委嘱作に没頭する。平野が委嘱したのは、やがて完成する彼の美術館の存在意義とイコールになるような巨大な壁画―それがいま、平野政吉美術館=秋田県立美術館の壁に掛かる超大作《秋田の行事》なのだ。ずいぶん久しぶりの再会。

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僕が最後にこの巨大な作品を見たのはおそらく小学校低学年のころでないかと思うのですが、実はあまり記憶にない。しかしそれもそのはずで、20年後のいまでさえ、あの巨きさを認識するのに少し苦労するのだから、当時の視覚把握能力ではまったく絵画として認識できなかったのだろう。

《秋田の行事》は縦3m65cm横はなんと20m50cmという途方もない空間を恣にして描かれた作品である。僕はこんなに巨きな絵画を他に見たことがない。どれくらい大きいか、美術館のサイトは貧弱で情報が何もないので、写真が入った北海道新聞の記事をリンクしておきますからぜひご覧ください

《秋田の行事》(1937年)
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(C)ADAGP,Paris & SPDA,Tokyo,2011

画面の構成は大きく二つに分けられる。右3分の2が秋田市内の有名な三つの祭り(竿燈、太平山三吉神社の梵天奉納、日吉八幡神社の山王祭)の並列的描写、左3分の1が積雪した冬期の秋田の風俗である。
それらを分割するのが「香爐木橋(こうろぎばし)」という木製の橋で、画面奥の小高い部分に向かって伸びているが、伸びていく先はあえて描かれていない(「香爐木橋」は実在していて、僕の小学生時代はこの近辺くらいまでが自転車で遊びに行ける行動範囲だった。地元では「伽羅橋(きゃらばし)」と呼ぶひとも多い)

また、全面的な積雪のため、画面の時間設定は容易に冬とわかるけれども、三つの祭りのなかに夏祭りと秋祭りが含まれることを知る秋田県民だけが、画面の時間の捻くれに気づいてゾクとするのだ。竿燈の持ち手たちはご丁寧に、雪上に足袋の足あとまで付けてアリバイ工作を図っている…!

祭りの人々と冬の人々の平面的群像描写は、彼の戦争画や、2008年に札幌で見た《争闘》とよく似ている。身体性へのこだわりはハレの局面もケの局面も関係なく、ギラギラと光っていて、もはや虚飾のように白い秋田音頭の歌い手、もがき苦しむような竿燈の持ち手、ヒロイックな秋田犬など枚挙に暇がない。

その一方で、例大祭の屋台の紅白幕や梵天の緋、竿燈の持ち手の浅葱、冬外套の渋茶、そして地面の雪に対応する空の青鉛、という色彩の舞踏も特徴的。フジタのエキゾチズムの巨大な結晶であるかもしれない。

特に僕が強力に打ちのめされたのは、秋田の冬の夕暮れの青黒い空の色が完璧に再現されてキャンバスの上に広がっていたことである。ある種の嫉妬を覚えるくらい、フジタはあの色を完全に自分の麾下に収めていた。心の中で大切にしている色彩を奪われる敗北感のようなものをフジタから感ずるとは、思ってもみなかったんである(それが秋田に収蔵されているのはせめてもの救いだ)

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来年正式に開館する新秋田県立美術館に、《秋田の行事》を含むフジタ作品は移設されることが決まっている。1967年に開館した秋田県立美術館=平野政吉美術館はやがてその役目を終えるようだが、いま《秋田の行事》が展示されている巨大な空間については、老境のフジタ自身が採光や展示スタイルにアドバイスを与えていたみたいで、なんとなく惜しいことでもある。

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↑部分開館している新美術館の2階から、現美術館を望む。新美術館もこちらはこちらで安藤忠雄らしい、スマートな建築なのだ。手前の水盤から久保田城址のお堀へと、視線が後景に導かれる。


by Sonnenfleck | 2012-10-04 06:27 | 展覧会探検隊
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