フェドセーエフ/チャイコフスキー響のショスタコーヴィチ@サントリーホール(10/17)

c0060659_838184.jpg【2012年10月17日(水) 19:00~ サントリーホール】
●スヴィリードフ:交響組曲《吹雪》~プーシキンの物語への音楽の挿絵~より
●リムスキー=コルサコフ:《スペイン奇想曲》op.34
●ショスタコーヴィチ:交響曲第10番ホ短調 op.93
 ○チャイコフスキー:《白鳥の湖》から〈スペインの踊り〉
⇒ウラディーミル・フェドセーエフ/
 チャイコフスキー交響楽団


いよいよ本年の期待度MAX音楽会。
有給休暇も使って備えは万全。
ショスタコーヴィチの第10交響曲が好きでたまらず、これまでに正規非正規合わせて90種くらいの録音を聴きましたが、今でも録音のベストはフェドセーエフ新盤だったりするからです。前二日間の演奏からすると、フェドセーエフの好みは少し変わってきてるようです。はたしてそれがどう転ぶやら。

第10番は、現代の標準的な指揮者と標準的なフルオケが特に策を持たずに挑んでも、まあまあサマになってしまうようなところがあって、第5の次の人気作として最近は位置づけられてきている。そのせいなのかはわからないけれど、変な定石がだんだん形成されてきてて興味深くもあります。第1楽章は長いからテキトーにスパイスを掛けて、第2楽章はスリリングに、第3楽章は曖昧にそれっぽく、第4楽章の最後で派手に打楽器を爆発させりゃあ客は喜ぶぜ、みたいな。

そしてもっと厄介なのは、そういうヌルい定石だけではなく、あまり様式感に合わない珍奇な策を乗せる傾向も広がってきているという事実。
第2楽章でだけ爽快感が出るくらいスピードを上げたり(ムラヴィンスキーやミトロプーロス、ロジンスキーはちゃんとほかの楽章も快速運転です)、奇矯なフレージングに頼って第1楽章を破壊してみたり(パーヴォ何とか氏は第1とか第6をレパートリーにすべきでは…)、枚挙に暇がない。

何も懐古趣味に陥っているわけじゃない。2010年に出たヴァシリー・ペトレンコ盤(Naxos)なんか、新しい録音だけどたいへん佳いと思いますもの。
ただ、モーツァルトに様式感があるのと同様に、やっぱりショスタコーヴィチにも厳然たる様式感というものがあると僕は熱烈に思うのです。モーツァルトをカラヤンみたいに作り込む人、もう今日ではいないでしょう?

+ + +

当夜のフェドセーエフは、ただただシンプルに、ショスタコーヴィチの中期様式に対して忠実な作り込みをしていたとしか言いようがない。このスタンスは彼の二種類の録音からまったく変化していなかった。安心した。

じゃあショスタコの中期様式って何だろうか。
それが要求するものは、さほど特別なものではないと僕は考えていて、腹の底にズンと来る重い響きだったり、痛切な音色だったり、ダッサいリズムを恐れずに腹を括った乱痴気騒ぎだったりする。要するに、チャイコフスキーの様式が要求する技芸とあまり変わらないのだ。無論、初期様式や後期様式はちょっと違いますけれどもね。

2日前のチャイコフスキーと同じく、フェドセーエフが大音量を武器にしていた時代が終わったことをよく物語る第1楽章
どことなくはんなりとした色気さえ漂うゆったり感のうちに、展開部でも響きが割れずに豪壮な風格がある。変なアゴーギクが用いられないためフォルムには鉄壁の安定感があるが、その一方で弦楽合奏には人が泣き叫ぶような音色が割り当てられているため、聴き手の気持ちは不安定なままである。

第2楽章の雄渾なランドスケープには(十分予測されていたけれども)驚かされる。相変わらず縦線はざっくりしているが、拡がりを感じさせるくらい構えが大きい。この楽章はスターリンのカリカチュアだとよく言われますね。このフェドセーエフ製スターリンは冷静かつ巨大で、逃げられる気がしない。

この日の演奏は全曲にわたってテンポの揺動が聴かれなかったが、唯一、亞!と思ったのが第3楽章でした。
エリミーラ主題が初めてホルン隊の斉奏で登場した直後、ほとんど事故のようにしてガクッとテンポを落とすフェド。中間部のワルツでこそいつものフェド節が聴けるだろうと思っていた僕は、こんなところでぽっかりと口を開けた奈落にギョッとしたのであった。これ、録音でもやってたかなあ…?

第4楽章。全曲を通じて魅力的なソロを聴かせてきた木管隊が最後の祝祭をキリリと〆てくれる。ファゴットのモノローグがあれほど野太くトゥッティを突き破って聴こえた経験はないし、結尾を導くクラリネットがあれほどねっとり厭らしく聴こえたこともなかった。
フェドセーエフ自身はかなり響きの円やかさを好むようになったみたいだけど、味のあるベテランに血気盛んな若手が供給され続けているオケはそうそうすぐには変化せず、結果として複雑な味わいのブレンドになっていたのが面白かったな。ショスタコーヴィチの中期交響曲を聴くには、ベストの状態だったかもしれません。

+ + +

密かにハチャトゥリャーンのレズギンカを期待していたアンコールは、月曜と同じチャイコフスキーのスペインの踊り。残念です。ただ、前半のリムスキー=コルサコフ(これも大名演!)とスペインセットを形成したのは楽しい配慮と思われた。
(※2003年の東フィルタコ10のときってフェドセーエフはレズギンカをやったと記憶してるんだけど、どなたか覚えておられませんか?)

オケもアンコールではさすがに疲れを感じさせるが、目算4割の熱心な客席は二度の一般参賀でもってマエストロを讃えたのだった。ショスタコーヴィチにちゃんと様式があり、それが有効であることをライヴで再確認できて、心から満足しています。また、このブログでずっと以前からお世話になっているmamebitoさんにTwitterを通じてお会いできたのも、忘れられない思い出になりました。おしまい。
by Sonnenfleck | 2012-10-27 08:38 | 演奏会聴き語り
<< 続|オハン・ドゥリアンは誰でしょう こめのことを、想う。 >>