パーヴォ・ヤルヴィ/N響:最高と最悪と

【2005年5月25日(水)19:00〜 第1541回定期公演/サントリーホール】
●ペルト:《フラトレス》
●プロコフィエフ:Vn協奏曲第1番ニ長調 op. 19
 ○アンコール バッハ:無伴奏Vnソナタ第3番〜ラルゴ
→ヒラリー・ハーン(Vn)
●ショスタコーヴィチ:交響曲第5番ニ短調 op. 47


一曲目のペルトは、弦楽と大太鼓、それにクラベス(メキシコ発祥とのこと。拍子木のような音がする木棒が二本一組)のために作曲されたもの。弦楽の配置は通常どおりですが、普段Obがいるあたりに椅子が置かれ、その上に大太鼓が寝かされてます。打楽器奏者は左手でクラベスの片方を太鼓の表面に近付けて持ち、右手に持ったもう片方を打ちつけることで左手が皮とぶつかり、拍子木音と大太鼓の音が同時に鳴るという仕組み。
終始弦による美しく空虚な和音が響く中、楔を打ち込むように(しかし静かに)クラベスと大太鼓が鳴ります。全体は、中間部にトゥッティの山があるものの、基本的にはパートごとの美しい旋律が順に重なり合うことで進行していきます。最初からこのように繊細な曲に集中するのはなかなか難しいでしょうが、ここではN響弦セクションが健闘。緊張感が途切れないのはさすがです。でもそれに浴びせられたのは、保守的な定期会員の冷ややかな拍手…。やれやれ。

本日のお目当て、ハーンのプロコ。
いちおう始めに断っときますが、僕が座ったのは限りなくP席に近いLAブロックなので、Vnの直接音は聴けませんでした。その上での判断ですのであしからず。正面から聴いたらまた違った印象を持ったかも知れません。
なんといっても右手の表現力が完璧。これに尽きます。強靱でしなやかなボウイングはすでに、これ以上ない、と思わせるに十分でしょう。何年か前のベルリン・フィル来日公演のとき、ショスタコーヴィチのVn協奏曲第1番のソロを弾いているのをテレビで聴いたときから、この人はただものではないと思っていましたが、、はたして今回もぶったまげました。すげえ。音自体はそん…なに魅力的じゃないし、第2楽章の冒頭パッセージで少し窮屈なそぶりを見せはしましたが(ただしこれは指揮者の責任です。詳しくはあとで)、第3楽章の詩情溢れる弱音のニュアンス…ブラヴォー。アンコールのバッハはさらにそれに輪をかけた美演でした。激情だけに身を任せるVn弾きには、この演奏を聴かせてやりたい。

てなわけでテンションも上がり、意気揚々と後半に臨みましたが、世の中そんなに甘くない。ショスタコには一家言持ってるつもりです。いちおう責任持って言いますね。今日の5番は間違いなく最悪レベルでした

■■ここから先は気になる方だけお読みください。パーヴォ・ファンはここでウィンドウを閉じて。。■■

まず第1楽章冒頭の低弦の楽句が思いっきり寸づまり。切迫感を出そうとしてるのだろうけど、全然ダメです。耳につくのは呼吸の浅さだけ。ある旋律が終わりきる前に、その旋律の完結をうやむやにしたまま次の旋律を重ねてくるので(そしてそれゆえ楽句を発音するタイミングがみんなバラバラなので)、聴いてるほうはイライラがつのる一方です。前半のプロコフィエフでソリストの呼吸が乱れたのも、この進行の仕方のせいだと思います。そしてさらに悪いことに、中間部の行進曲で全種類の打楽器を同時に全開にしてるんですね。響きは濁るし、耳は痛いし、最低です。恥を知れ。
第2楽章も、ただ強引な弦楽だけが目立ち、なんの皮肉もない。脳天気なOb(もともと茂木氏の音色は明るくて太いのが取り柄だけど、ここではせめてもう少し抑制させたほうがよかった)。かといって陽気に行くのかと思うと、Kbに変に深刻ぶらせて台無し。おまけに最後の和音に向かって妙なアッチェレランドをかける下卑た演出
第3楽章がひたすら弱音我慢大会であろうことは、もう予想がつきました。この楽章は普通に弾けばある程度の完成度にはなると僕は考えますが、例の浅い呼吸のせいでまったく落ち着けない。ていうか発音するときの音色が汚い。静かなところは発音こそ命なのに、ほとんど顧みられてない。
第4楽章の下品なこと。もし下品に徹しきるのであったならばまだそれは好みの問題になりますけど、今日の演奏は無神経というか、無為無策というか、あまりにも適当すぎる。実演ではここまでひどいものは聴いたことがないです。会場は大きな歓声に包まれましたが、僕は口の中で小さくブーを呟いて、ホールをあとにしました。

うるさいだけのショスタコには、なんの価値もない。
by Sonnenfleck | 2005-05-25 23:28 | 演奏会聴き語り
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