スティーヴン・イッサーリス ベートーヴェン全曲演奏会第1日@王子ホール(11/21)

c0060659_10564081.jpg【2012年11月21日(水)19:00~ 王子ホール】
<ベートーヴェン>
●ヘンデル《ユダス・マカベウス》の主題による12の変奏曲 ト長調 WoO.45
●Hrソナタヘ長調 op.17(作曲家自身によるVc編曲版)
●Vcソナタ第1番ヘ長調 op.5-1
●モーツァルト《魔笛》の〈娘か女か〉の主題による12の変奏曲 ヘ長調 op.66
●Vcソナタ第3番イ長調 op.69
 ○アンダンテと変奏曲 ニ長調 WoO.44b(イッサーリスによるVc編曲版)
⇒スティーヴン・イッサーリス(Vc)+ロバート・レヴィン(Fp)


イッサーリスに対しては、これまではあまり特別な思いを抱いてこなかった。この公演のチケットを入手できたのも、某オクで破格の値段が提示されてたのを偶然発見したからに過ぎない。
ところが、音楽の神さまのお膳立てにより、至芸と表現してよいチェロを知ることになった。これまでに足を運んだどのチェロリサイタルよりも強く、感銘を受けた。

+ + +

1726年生まれのストラドにガット弦を張ったイッサーリスの音色、これは聴神経の担当領域だけでは上手く形容できない。
基本的には、マットな音。ブリリアントなチェリストが世界にはたくさんいるけれども、彼の音はけっして大きくないし、派手じゃない。しかしながらそのうえで(摩訶不思議なことに)実家の座布団のようにインティメイトなにおいが漂うこともあれば、博物館の漆器みたいに凄みのある底光りがのぞくこともある。耳以外の器官が音をキャッチし始める。
彼の演奏、たとえばブラームスのソナタなんかをCDで聴いていたときには、こんなに多彩な音が彼のガットとボウから発せられているとは気がついていなかった。まったく自分の薄ぼんやりに呆れてしまう。

そんなひとが、レヴィン教授のワルターレプリカと組んでベートーヴェンを演る。
冒頭の《ユダス・マカベウスの主題による変奏曲》から、あっという間に術中にはまる我々。イッサーリスはあの音質を土台に据えたうえで、縦横無尽のボウイングから繰り出す多彩なフレージングでもってベートーヴェンと共闘していく。

共闘である。
ねじ伏せたり、分析したり、ではない。

ベートーヴェンの音楽が根源的に備えている「面白がり」や「驚かせたがり」、「楽しませ」という要素を、イッサーリスのチェロが増幅していく。五月蠅いくらいヘンテコなアーティキュレーションを採用したかと思えば、また時には人間の深淵を覗くような真っ暗な音が出てきたりもする。いかにも愉快そうにボウを操る彼の姿と、愉快そうに筆を執る楽聖の姿とが重なる。

レヴィン教授の極めて豊饒な(それでいてもちろん「慎み深い」)演奏実践も、この共闘を側面支援する。モダンピアノのモダンな奏法では、イッサーリスのボウから紡ぎ出される音をみな塗り潰してしまうだろう。
前半の第1ソナタの第1楽章が終わったところでワルターレプリカの調律が狂ってしまい、梅岡楽器サービスの梅岡さんが舞台に飛び出して応急処置、という一幕も。梅岡さんによればこのコンビでベートーヴェンの録音をするという話があるみたいで、心の奥底から楽しみです。

最後の第3ソナタ。第1楽章展開部のお尻(再現部への推移局面)でぱっくりと口を開けたベートーヴェンの深淵が、一生忘れられない音楽の記憶として残りそうだ。なんだったのだろう。あの深い音は。

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僕は「チェロはもっともひとの声に近い楽器」という言説にずーーーーーっと違和感を持ってきたんだけど、イッサーリスの音は圧倒的なまでに声だった。一生ついていくことに決めて、サインもゲット。メンデルスゾーンのソナタ集。
by Sonnenfleck | 2012-12-09 10:58 | 演奏会聴き語り
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